中二病的自己紹介。

羽衣天女あまのみこと 【観音菩薩の遣い】



※今日の記事も長めです。


昨日に続きリブログ記事です。
どちらかというと、今回は治療家さんやヒーラーさん、セラピストさん向けの記事です。

大阪日本橋 眼科鍼灸の鍼灸ひより堂さん、5月の記事です。


冨田先生の見識、洞察力は本物の専門家だなぁと感じています。


今回の記事は、

精神疾患をお持ちの方を担当される治療家の方に大変参考になると思い、少し日が経っていますがリブログさせて頂きました。


また、

眼科の症状がない場合でも、精神疾患の方が鍼灸等、精神医療以外の治療の選択をする際に、多いに参考になると思います。





(以下一部抜粋)



また正直なところ、私は鍼灸治療が精神科疾患の再適応だとは考えていません。

 

今までに直接的、間接的に多くの精神科症状を抱える患者さんを見てきましたが、明らかに精神症状が強い場合には、鍼灸治療では回復が難しい症例を数多く見てきました。

 

精神科疾患や精神科症状を専門的に見ているという治療院の中には、数少ない成功例を過大評価している治療院もあります。

 

精神科疾患を抱える方は依存傾向が強いため、心身の密着度が高い鍼灸治療では、しばしば治療家に高い依存心を抱きます。

 

それを治療効果が挙がっていると勘違いし、本来の目的を忘れている治療院も多いため、治療効果をしっかりと第三者的に把握していなくてはいけません。

 

 否定的なことをたくさん書きましたが、あまりにも簡単に精神科症状を捉えている治療家も多いため、敢えて警鐘を鳴らすためにきつく書きました。

 

多くの精神科症状を抱える患者さんが、『自律神経失調症』という曖昧で実態の分からない病名で来院されたり、医師たちが自分の手に負えないものを『自律神経失調症』という都合のいい病名に押し込めている現状を見ると、かなり慎重にみるべきものだと思うのです。

 

自律神経失調症という名前で重症のうつ病の方が来院されたり、自律神経失調症という名で統合失調症の方が来院されることもあります。

 

それを冷え性や肩こりと同じ扱いで施術しては、最悪の結果を招くこともありますので、街中の治療院では注意をするべきなのです。

 

 行き場を失った患者さんのために、鍼灸院として精神科疾患や精神科症状と真剣に向き合うのは貴重なことだと思いますが、自分が手に負える範囲をしっかり知ることはとても大事です。

 

鍼灸師はしばしば自分の手に余るものにまで手を出してしまい、結果として鍼灸治療の評価を落としてしまいがちです。

 

特に開業している鍼灸師は、自分の力量をしっかり把握しておくことが大事です。

 

患者さんもイメージだけで治療を選ばず、しっかりと治療内容を把握して治療法を選択するようにして下さい。

 

鍼灸師の言っていることの真偽が不明な場合には、通院期間を予め決めて効果判定をすることをお勧めします。



(抜粋以上)





この方のブログはとても参考になるので、

治療家サイドの方は勿論、治療に行き詰まっている患者さんも読んでみて欲しいです。




※※※※※※※※※


長くなりますが💦
ここで、
元精神薬ユーザー・当事者であり、
元福祉職員であるプロ患者としての
わたしの個人的な見解を
偉そうに書いちゃいますね。


※※※※※※※※※



例え相手がプロの治療家であろうと、又は精神科医やカウンセラーであろうと、誰かに自分の辛い気持ちを受け止めて貰ってるうちは治らないし、ただの相互依存だと思います。


痛みや不快、不調を取り除いて貰うことは出来るでしょう。

でも、自分の辛い気持ちを受け止め、真に理解すべきなのは病める人、本人です。


自分の抱える孤独や怒り、焦燥、やるせなさを、他人にぶつけたり、受け止めて貰っているうちは、他人に自分の感情を介護して貰っているうちは、決してそこから這い上がれません。


病や痛みや症状には、その病に至った、考え方、生き方の癖が必ずあるのです(東洋医学、陰陽五行思想における病の捉え方)。

また、生まれ持ったカラダのつくりや個性により、その人が先天的に囚われ易い感情や思い癖があるとも言えます。


治療家はただ治すのではなく。気付きを促すような問題提起を常にしながら、患者の快復に必要なマインドを育てる、患者を自分で治すという意識に導く、といったことが必要なのではないでしょうか。


それが出来ないのであれば、患者にどんなに尽くしても不毛です。


ただひたすら癒しが必要な時期もあると思いますが、しかしそれは期間を限定すべきだと思います。


思いがけずあまりにも難しい患者さんに関わってしまった時は…時にキッパリと突き放すことも必要だと思います。


相手の「理解の求め過ぎ」にはこちら側の感情をオフにしながら、淡々と、サクサク、チクリチクリと正論による防御や反撃を

ものすごく難しいんですけれどね。

やり取りでこちらの感情もやられますから。


何らかの気付きを得て変わっていってくれたら、治療に光が見えてくるのでしょう。


ただただ、一方的に我慢大会をしてひたすら優しく接することは、その職業的忍耐は最もレベルの低い仕事だと思います。

少なくとも「善行」ではなく、「奉仕」ですらなく、ハッキリ言って「罪業」を無為に重ね続けるようなものであるとすら思います。


これは今まで散々、レベルの低い仕事を治療家にさせて来てしまった、又は福祉の職員として利用者にして来てしまった、わたし自身の自嘲です。

(自分、しくじり先生ポジです😓)


特に同じ痛みを理解しているからこそ患者に寄り添いたい、という気持ちを抱いている方が治療家をしているケースなんかは…


今まで散々自分が親や治療家、色んな立場の人から押し付けがましい根性論やらモラハラを受けて来たでしょうから、常に葛藤があると思います。

でも、いつか悟る時が来ると思います。


その人の痛み、辛さを理解することはスタートであり、ゴールではないことを。

いつまでもスタートから歩き出さずに止まったままでいることが、いかに不毛であるかを。

痛みや辛さに延々と共感し続けたら、その人の辛さに寄り添い続けたら、決して治ることはないことを。


治療家は、辛さを取り除くこと(ケア)のみではなく、治すこと(キュア)が一番大事な仕事ですから、常に病理を冷静に判断して状況を捉えなくてはなりません。


時に本人の為に、一見冷徹に思える対応もしなくてはならないこともあると思います。


介護やターミナルケアの場合であれば、また事情は違ってくると思うんですけれどね。


ここで、看護における「コア」「ケア」「キュア」の理念の図を貼っておきます。

(何かの参考になれば。)


理念モデル聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院看護部


法人の理念である「生命の尊厳」を現す「いのち」を中核に「コア」「ケア」「キュア」の専門的かかわりによって、回復の促進をめざします。

『コア』

看護師が患者の人格を尊重し、個別なニードに対応することで、患者の持つ潜在能力を引き出し、患者自身が、自己の置かれている状況を理解して、それに向かえるようにする。

『ケア』

身体への直接的ケアという相互作用として、患者・家族医療者の≪成長、治癒、学習≫の機会とする。

『キュア』

治療を通して患者・家族を支援する。





チーム医療に属さない治療家さんは、本来チーム医療が担うようなコア、ケア、キュア、全てを行わなくてはならないのが、大変だよなあと思います。
もっとも、既存のチーム医療が果たしてどの程度これらが出来ているのか、という問題もありますし。

あらかじめ、自分の仕事はここまで、と決めておくことも時には必要なのかも知れないですね。

…自戒をこめて。




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