人によっては閲覧注意です。
気分が悪くなった時点で読むのを辞めてください。
精神疾患であろうと発達障害であろうとパーソナリティ障害であろうと、まあ呼称はあっても無くても、なんでも良いんですが、とにかく生き辛さを持った人って、
その人が辛い目に遭ったり、他人に迷惑をかけてしまったり、そのことで自己嫌悪になったり、人が周りから居なくなって寂しくなったりするのは、全部全部、その人の親が悪いんだと思っていました。
でもなぁ。
子どもにも…
生まれた責任があるよね。
それでも、生きていく責任があるよね。
その親に、いつか勝たなくてはならない責任があるよね。
言葉の表面の意味だけ捉えて絶望する人居そうだし、拒絶反応起きる人は、まだ時期じゃないので読まなくていいです。
因果がないとその親の元に生まれて来ないよな。
たまたまってないよな、とわたしは思っています。
自分が親になって初めて気が付いたことがあるんですけど…酷いこと言いますね。
世の中には、
ぜーーーーーんぜん、可愛くない子どもって普通に居ます。
親にとって、大人にとって、無償の愛で包んであげるには、しんどすぎる子どもって、確かに居るんです。
逆に、子どもに対して、イライラする、ムカムカする、怒鳴りたい、殴りたい、蹴飛ばしたくなる気持ちを我慢したこと、一度もない人って居ますか?笑
居るとしたら、ちゃんと子どもと正面から関わったことがないだけだと思います。子どもをよく知らないだと思います。
子どもって可愛いばかりじゃないです。
うちの子は可愛くても、よその子を可愛く思えないって人もいると思います。
逆もあるかも知れませんね。
特に自分が子どもの頃を思い出してみると…
すごく鼻持ちならなくて、すぐ調子に乗って、生意気で、分かりづらくて、能力は凸凹で、心の中で親のことも全ての人間のことも馬鹿にしていて。その癖、狡猾に大人に取り入ろうとする。
自分が親だったら、相当、育てにくかっただろうと思います。
自分みたいな子ども、育てたくないなとすら思います。
別に子どもの頃の自分を卑下したい訳じゃないんです。
別に子どもなんて可愛くねえよ! 幻想だよ!って言いたい訳じゃないんです。
別にわたし自身は我が子を愛せない親でもないと思っていますし。
ただ、綺麗事や絵に描いた餅で誤魔化したくないだけです。
そういった子どもに対して「うーん、可愛くない。憎たらしい」といった感情も親や大人の中にちゃんと「ある」と認識する。
(正当化することとは違いますよ?)
だってそれをしないと、子どもを守るだとか、子どもの権利だとかを主張したって意味がないと思うから。
子どもの権利条約
〜4つの権利〜
1. 生きる権利
・住む場所や食べ物があること
・病気やケガをしたら治療を受けられること
・健康に生まれ、防げる病気などから命が守られること
2. 育つ権利
・教育を受け、休んだり遊んだりできること
・もって生まれた能力を十分に伸ばしながら成長できること
・自分の名前や国籍を持ち、親や家族と一緒に生活できること
3. 守られる権利
・紛争や戦争に巻き込まれず、難民になったら保護されること
・あらゆる種類の暴力や搾取、有害な労働などから守られること
・障がいのある子どもや少数民族の子どもなどは特に守られること
4. 参加する権利
・プライバシーや名誉がきちんと守られること
・自由に意見を表したり、団体を作ったり、自由な活動を行えること
・成長に必要となる情報が提供され、子どもにとってよくない情報から守られること(注1)(注3)
子どもの権利条約では、「子どもにとって一番いいことは何かということを考えなければならない」とされています(注1)。子どもたち一人ひとりと丁寧に向き合っていくことが求められているのです。
子どもの権利条約について分かりやすく書いてある文章を抜粋させて頂きました。
わざわざこんな子どもの権利条約なんてあるのは、
可愛くない、めんどくさい、育てにくい子どもも含めて、全員漏れなく守るのが大人の仕事だからです。
それは本当に大変なことです。
親自身が、どんなに大変な、劣悪な環境に置かれていたとしても言い訳している場合ではありません。
ハッキリ言いますね。
時には…
可愛くない子どもって居ます。
向き合いたくない子どもだって居ます。
冷たくしたくなる子どもだって居ます。
存在自体がイラついてしまう子どもだっていると思います。
つい、意地悪したくなる子どもだっていると思います。
養育を放棄したくなる子どもだっていると思います。
それは、親側の心が親になる器にまで育って居なかったり、精神的、経済的なゆとりが全く無かったり、劣悪な環境で子育てをせざるを得なければそうなりやすくなるのは当然ですが…
子どもの個性と親の性格との相性って、親の気持ちを逆撫でる風に出来てるんじゃないかなと思っています。
その子の個性って、親の苦手なところ、痛いトコロをとことん突いてくるように、出来てるんじゃないでしょうか。
それが、人生というプログラムで、親という立場の人間が課された、学びなのだと思うのです。
(その覚悟も無しに、産んでくれるなよ…という意見があるのは重々承知の上です。)
わたし自身が、親から見て、つい、正論を叩きつけたくなるような子どもだったんだと思います。
つい、感情で叱りたくなる子どもだったんだと思います。
つい、嫌味や小言を言いたくなる子どもだったんだと思います。
わたしが親からされていたことをもし虐待と呼ぶならば、わたしは、少なくとも自分の親にとっては、虐待したくなる子どもだったんだと思います。
いや、もちろん、したくなっても、したらダメなんですけどね?
いじめたくなるような人でもいじめをしたらダメなのと同じです。
でもね、ダメなことをせずにはいられない人ってね、実は。
助けを求めているんです。
だから、親を悪者にしても解決しないんです。
親を、助けてあげないといけないんです。
そして親は、
まずは、自分を助けなきゃなんです。
自分がかつて子どもであったことを思い出しながら。
世間体や冷たい他人からのクソバイスなんて全部放置して、まず、自分を助けないとどうしようもないことも、あるんです。
これ以上の話は個々のケースによって色々あると思うので、今日はこの辺まで。
P.S
子ども視点の学びで言えば、インナーチャイルドケアの最終章は、自分の親のインナーチャイルドを癒してあげることなんですよね…。