2021年6月の記事、リライト。とても難しい話題なので、無駄に長くなってしまいました。
本当はあまり無闇に使うべきじゃないと思ってるパーソナリティ障害って言葉があるんですが。
自罰傾向が強い人、自分自身が困っている人が精神疾患になるのに対して、他罰傾向が強い人、周りの他人に迷惑をかけている人がパーソナリティ(人格)障害になる。
と、確か私が15年くらい前に精神科医から借りて読んだ精神保険福祉士か臨床心理士の教科書(どっちだったかな?)に書いてありました。
因みに昔、統合失調症が精神分裂病だったように?
パーソナリティ障害は昔は「人格障害」と言う方が主流でした。
すごいですよね、人格に障害があるって。すごい言葉。
実際、誤解や偏見、レッテル貼りが、世間や治療現場に生まれたのでしょう。
人格障害という言葉が完全に消えた訳じゃないけど、今はパーソナリティ障害を使う機会が増えたようです。
厚生労働省のサイトより
本来、他罰傾向が強くて何があっても全部周りのせいにする人は精神科やカウンセラーにかかろうとすらしませんよ。
だから、パーソナリティ障害を実際に臨床で診断される方は、しかもその診断名を受け入れて治療に取り組もうとする方は、真摯に自分と向き合う姿勢のある、人として大切な良心に目覚めた、パーソナリティ障害界のエリートです。
世の中には相当な人数の野良パーソナリティ障害の人がいます。ウジャウジャいます。蔓延っています。それが社会悪を作っています。
私は医師や教師など社会的に権威を持った人にも沢山いると思っています。
わたしはあなたたちメンヘラとは違うのよ、と思ってるアンチメンヘラの人たちの中にも沢山居ると思います。
もしも、自分が犯罪者等と同じ病名(障害名)だったりしたらまあショックですよね。
でも、それはたまたまですから、安心してください。
結構ありふれてるんです。誰でも育ち次第でそうなります。
法に触れたか触れてないか、捕まったかまだ捕まってないかの違いで、世の中に同じ傾向の人は沢山居ますよ。多分全人類の1、2割くらい。
ちょっとだけ性格に「傾向がある人」っていう範囲を合わせたら、とても沢山いるんじゃないでしょうかね。
下手すると5割くらいいるかも。
(数字に根拠はありませんが😅)
とにかく、そんなにパーソナリティ障害は、マイノリティではありませんってコトです。
パーソナリティ障害って色んな種類ありますし、
日本人のかなり多くが「回避性パーソナリティ障害」か「依存性パーソナリティ障害」あたりを持ってるんじゃないでしょうかね。
誰だって精神科医やカウンセラーにかかれば、なんらかの病名を貰うことが出来るんです。
診断されに行かないから病名を貰わないだけで。
〇〇パーソナリティ障害という診断を自分で認めて受け入れている人は、ちゃんと自分と向き合おうとしてるカッコいい人だと思います。
試しに様々なパーソナリティ障害について検索して調べてみてください。
自分はこれかも、と思うものが絶対に一つはある筈です。
でも、自分を省みて変えようと努力してる人はパーソナリティ障害に当てはまらないんじゃないかなとすら思います。
私の友人の話です。
幼少期に反社会性人格障害と医師に診断されたことにより、親からも教師からも見放され酷い子ども時代を送った人がいます。
今だったら発達障害と言われてたかも知れません。
ただ、毒親に反抗していただけなのに、幼い彼女が悪者にされました。
彼女の話は、涙なしには聞けませんでした。
どう考えても、母親がその毛があって、診断した医師の前での彼女の言動、振る舞いは、母親の教育、思想に汚染されていただけだった。
普段から母親に言われていた通りのことを、彼女は医師の前で喋っただけだった。
迂闊な診断は凶器になる。
それは、精神疾患も、発達障害も同じことです。
診断することの影響も考えずに診断できる医師が一番人格に問題があるのだと思います。
だから、出来ればパーソナリティ障害の話はしたくないんですが…(私が子どもの発達障害について色々語るのが好きじゃないのも、同じ理由です。)
実際、困った人が世の中には結構いまして。
例えば自己愛が異常に強く、職場や学校、社会で当たり前の注意を誰かにされたら、自分を反省することなく100%相手が悪いと思う人。
思い込みが強く、自分の妄想と現実の境目が分からなくなり、全て現実のように語る人。
自分の利益の為に他人を陥れたり、嘘を平気で重ねる人。
二枚舌であらゆるコミュニティの人間関係を破壊する人。
そういった独自の認知感覚、現実感を持ち、良心に乏しく、社会悪となる人が世間には意外と結構な割合で存在します。
精神疾患と併発している時もあれば、上手く社会に溶け込んで悪業を重ね続けてしまっている人もいます。
度を過ぎれば法に触れて犯罪者になるのですが、自分の立場を利用して、犯罪にならない匙加減で上手く世渡りしている人も多いです。
私は、
良心は、愛情で育まれるんじゃないかなと思っています。
良心が不足しているのは、愛情が不足していて、その人の親も良心と愛情が欠乏していたんだろうなあと。
では、
愛情って何?
って話なんですが。
優しくすること、世話を焼くこと、とは限らず。
存在ありのままを認めるってことだと思います。
具体的に言えば親が、
〇〇しなくちゃ世間から弾かれるだとか、
みんなと同じにしないといけないとか、
いい子じゃないと、いい人じゃないと愛されないって価値観だったり、
金がなきゃダメだとか、
地位や名声がないとダメだとか、
容姿端麗じゃなきゃ人ではないとか、
勉強しない奴はクソだとか、
友達いなきゃヤバいとか、
スポーツ出来なきゃ人間失格だとか、
孤独を恐れるために見捨てられ不安に取り憑かれ、そういうゴリゴリの価値観を持っていたら、
(全部子どもの頃にありのままでいられなかったことによる思い込みです。お金や地位、容姿、学歴などは持ってるといいことが多いかも知れないけど、持っていないとダメ、終わりだと思っているのがダメ。)
そういう自尊心の低い親の子は、条件付きの愛しか貰えません。
例えば、
勉強が出来ない子は愛されない=生きていけない=などとという偏った思い込みが生まれます。
そういう子(人)は他人を差別するんですよ、無自覚に、罪悪感なく、悪気なく。
まあ、そういう思い込みは子どもの愛情不足=良心不足を加速させますよね。
良心て、愛って、教えるものであるより先に、
無償の愛情を与えることにより、育むものだと思うんです。
どんな酷いことをしている人、困った人でも、
その人は昔、加害者ではなくて被害者だったんだなあと。
思う出来事が最近ありました。
親の持っている「普通」を子どもはコピーする。
少なくとも、大人になるまでの過程で友達に指摘されたり、
結婚した相手に「その普通、違うんじゃない?」と指摘されるまでは、家庭での常識がその人の常識。
親の考え方や習慣がどこか不健全や不健康であってもそれが子どもの「普通」になる。
健全、健康って何だろうなあ。
本当の意味での心の健康って、なんだろう。
とふと、考える。
笑ってること、かなあ。
失業、貧困、借金とかで心が荒んで不健康になることはあるけど、そういう環境でも笑ってる人もいる。
金銭的に裕福な家庭な筈なのに、家族の誰も笑ってなくて、なんだか食卓が冷たい印象を受けることだってある。
心の健康って、多分、その人が寂しいか、寂しくないかだと思う。
病んでいる人は奥底に孤独や寂しさを必ず感じている。
孤独耐性があるか、ないかは、心の健康と幸せにはとても重要なんだろうな。
孤独耐性がある人には見捨てられ不安がない。
孤独耐性は、子どもの時分に親に沢山愛して貰うか、大人になって苦労してある時悟って手に入れるか、どちらかなんだろう。
人は孤独を恐れる。
そのほかにも、親が病的に何かを恐れていたら、その子どもは同じものを恐れるようになるだろう。
何かに恐れる人は、何かに依存する。
嗜好品やギャンブルだとか分かりやすい依存もあれば、アピール(相手の反応待ち)に依存することもある。
関係性に依存するのだ。
他人からの反応や評価がないと、自分の価値を感じられない。
だからやはり親の影響は大きくて。
問題児、犯罪者、何かがあれば親が悪いって責める風潮は大きいですよね。
でもやっぱり、その親も昔は誰かの子どもで、被害者だった。
その親の親も、その親の親の親も、そうだったということで。
誰が一番悪いかって言ったら、もう、何代も遡らなきゃいけなくなる。
しかも、今の不寛容の時代に完璧な子育て出来る人なんてどれだけいるんだろう?
昔だって完璧な人の方がよっぽど少なかった。
子育て情報やライフハックが無かった分、便利な家財道具も無かった分、今の何倍も凸凹な親が居たかも知れない。
だけど、きっと今より昔は、
誰かが親の代わりが出来てたし、誰かが家族みたいな優しい目で、子どもを見れてたんだよ。