2021.2.27
今後(再)公開予定がある記事との絡みでアップしておきますね。




以前、専門学校でゲスト講師のバイト?に呼んで頂いたときに、学生さん達と対話をして感じたことがある。


若かりし頃の自分と母親のやり取りも含めて学生さんの前で色々お話させて貰ったんだけど、



その、やや(?)過干渉気味の私の母親の話が、どうやら学生さんにかなり響いたというか、刺さったみたいで。


 
「それだけ母親に人格否定されまくったのに、母親に反発して家を出るという選択を出来た勇気がすごいです」


と複数の学生さんに言われました。


私からしたら、離れたい一心で家を出ただけで、その時にすでに23歳だったので、まあ、その年齢であれば普通に「独立」だよなあと思ってたんですが。


みんなね、口を揃えて言うんです。



「自分だったら、親にそこまでお前は駄目な人間だと言われ続けていたら、めげてしまって、家を出る勇気なんてない。23歳で家を出られたのは凄い」



その反応にこちらがびっくり😲でした。



すっかり、牙抜かれてるんだなあ、最近の子は。


今の中年以降の人たちの若い頃は、15で盗んだバイクで走り出したり歌舞伎町の女王になったりしてたもんだよと。
(いや、それは極端だけど😂💦)



今の時代は親の監視や束縛や干渉に対して「反発心」「反抗心」「反骨精神」などを抱くのは時代遅れみたいですね。
親に対してそうであるならば、社会や権力に対してもそうであるということ。


私たちの若い頃の「反発」って、一種の甘えだし、期待だった。
そういう形の依存だった。
お願い、大人たち、私たちを理解してよ!っていう。





今の子たちがそれをしないということは。


とことん諦めてるんだね。
期待してないんだね。
大人に。
分厚い心の壁を作っているんだね。
今の人は家出をしないで、引きこもるもんなー。




どうせ伝わらないよ、
どうせ変わらないよ、
分かってくれる訳なんてないじゃん。
どうせ何をしても無理、無駄だよ。
本当に馬鹿だなあ。
どいつもこいつも。
糞が。
はあ、死にたい。
生きるの無理ゲー。
いいよ、どうせ。
全部全部、こっちが悪いんでしょ?
それでいいよ。面倒くさい。
こっちが悪いんでしょ。
分かったよ。いいよもう。
生まれてこなけりゃ、良かった。
何で、生んだの?
息するの、ダルい。



こんな感じなのかな?
よくわからんけど。
教えて若い人。


これは、私たち大人は、反省しないといけないような気がする。


若者にそこまで絶望させるような世の中を作ってしまった、自分たちを。


厳密に言えば私よりもう少し上の人たちとか、国会議員にしぶとく蔓延る団塊の人たちが作った世の中だけど。



それを変えて行かないとなのは、私たちだよなあ。


今の自分たちが出来ることは何だろう。


 




親に恨みがあるのに毒親と呼べない人よりも、自分の親を毒親とちゃんと呼べる人の方が一歩も二歩も進んでいるのでしょうね。



勿論、それは「過程」であって、いつか卒業する「儀式」なんですけどね。


生き辛いのに親に文句すら言えない人(親に対する文句が全く出てこない人含む)は、却ってヤバい。


自分が人の親になる歳になって、親に対して何十年も変わらぬ愚痴、文句ばかり言ってるのは、そろそろいい加減にしたら?
と思いますけど…



親にエセ感謝してる場合でもないんです。
自分が親をパワーバランスで超えて無い時に、口先だけの感謝をわざわざ述べるのは、エセです。


特に自立する前に親に養われてる状態で、親に感謝してたら…それは上っ面です。
単なる世間体で、思い込まされた上辺だけの「感謝」です。


親の愛って、本来当たり前にそこにあるものなんですよ。
わざわざ感謝するまでも無いんです。
わざわざ親への愛情や尊敬、感謝を口にしなきゃいけない状態なのは、どこか無理してるからなんです。そう思い込みたいだけです。


自分自身が親を越えられたら…
自分が精神的に、または社会的に自立して、親になるなり、親を超える人物になったら…慈愛が湧くんです。


親がしてきたことは、子どもを育てると云うことは、なかなか大変だったんだなと、実感出来るようになるからです。


親も迷いながら子育てをしたんだろうなと悟るからです。
親は生まれつき大人であった訳でも、親であった訳でも無かった、元子どもだったんだなと。心で分かるようになるんです。


実際そうなった時は、「親に感謝してる」って言葉の軽々しさ、上っ面加減に気がついて、…返って無闇に、感謝なんて口にしたくなくなりますよ。


そうなれば、たとえ自分の親が毒親と呼ばれる人間であったとしても。


子ども時代、親もきっと悲しい思いを沢山したんだろうね、だから、育て方がちょっと下手だったんだね。下手なりに頑張ってたんだね…よしよし
( *´д)/(´д`、)


と相手を慮る気持ちが湧くようになり、毒親毒親と喚きたい時期はほぼ卒業します。
親と同じ視点になったことがない人間が、親のこと正当に評価するなんて無理ですからね。


だってさ、まさか一生、やって貰うばっかり、受け身ばっかりの癖に、文句しか言わないの子ども…のままでいる訳じゃあるめーよ?



あー、でも精神医療や福祉のシステム中にいる人々には、そういう人(一生子どものまま)、かなり多そうだなあ。


少なくともそれらのシステムの中で生きてる人々は、素直な子、従順な子の部分がないと医療、福祉の支援者との関係性が長続きしないし、居場所が無くなるから。


みんな、素直だよね。
素直すぎる。
国や精神医療を盲信している。



そうでない、反抗的な人もいるにはいるんだけど…処世術としてある程度「いい子」を演じるスキルを持ちあわせない人間は、精神医療や福祉界隈で支援者に嫌われます…まあ、顔には出さないでしょうけど。


素直さや謙虚さ、寄り添ってくれる相手への想像力、思いやりに欠ければ、我慢の限界を越えた担当支援者に匙を投げられてしまうこともあると思います。


素直さ、従順さは、国の福祉のシステムで、飢えずに無難に、生きて行く為の処世術です。


しかし、医療、福祉の人間や国のシステムには限界がありますし、性善説を求めるべきではないんです。


現実、職員も色んな人がいるし、年金も生活保護も、いつまでも今の額貰えるとは限りません。


消えた年金のお陰で財源は先細り。
施設での虐待死。
精神科病院入院中に、原因不明の死亡が多数起きている事実。
昨今の民間企業の福祉参入では、福祉のシステムを悪用して、自分たちの私腹を肥やし利用者を逆に利用する法人も沢山あります。


本当に国や福祉は100%信用に値するのですか?



そもそも、支援者のやり甲斐を搾取した福祉システムには歪みがあります。


支援者にも色んな人間が居ます。
仕事の責任、内容に対して安すぎる給料。
体力気力の限界を超えた支援者が、無責任な仕事をすることだって、あり得る訳です。


システムの中にいるスタッフも「人間である」ということを忘れてはいけません。
人間なのですから、利用者と同様に、嫌なことがあれば落ち込みます。喜怒哀楽があります。
支援者の感情労働が限界を越えれば、その現場から離れる方法を必死に考えるでしょう。


いつでも当たり前に助けて貰って当然、と思わない方が自分の為なのです。
現場の限界を超えたら、梯子を外されるなんてこと、日常茶飯事ですよ。
目をそらしても幸せにはなりません。


福祉のシステムの中にいる人こそ、他者と協調しながら、同時に出来る限り、精神的に自立していくことが必要でしょうね。