2021.2.24リライト。精神薬を辞めた経験と、実感について書いています。冗長なので、興味ある方、暇な方だけ読んでください。

(大事な部分書きかけだったので書き足しました💦)





ずっとずっと自分を責めて生きているとね。

精神科医に診断名を貰うと安心するんですよ。


安心する人の気持ちは私も知ってます。




私、元当事者ってことになってるんで。




この言い方だと、


自分の当事者性を認めたくない、精神疾患上がりだと差別されたくない、という意図が感じられるかも知れませんが、そういう気持ちとはまた少しニュアンスが違うんですよ。


いや、差別されたら確かにイラつきますが、他人が自分をどう思うかなんてこっちがコントロール出来ないのだから、勝手に思って貰うしかないじゃないですか。仕方がない。


心の中で「まあしょうがないよね。世の中大概無自覚な差別主義者、権威主義者だしね。 いいよ、初めからてめえに何も期待してないし」くらいの悪態はつくかもだけど。まあ心の中だし。


そうじゃなくて。
そっちじやなくて。


私が当事者だった頃のことを冷静に思い出すと、今の当事者の人に「仲間」だとはあまり思って貰えなそうだなと、自分の過去を振り返って原稿を書いてたら、思ったんですよ。


だって、そもそも高校の頃不登校になった時に精神科医に「あなたは病気ではない」と言われてたのに、社会人になって自分からもう一度精神科に行ってるし。


行ったら行ったで思い通りの薬を貰えるように振る舞って医者を試すわ、
スパイとして精神科病院に潜入して働くわ、
薬の選択も服薬も減断薬も全て自分主導で主治医の意見聞かないわ、


かなり癖のある患者でしたからね。
ていうか、多分患者としては不良の落ちこぼれだったんでしようね。


ようやく辿り着いた当時の主治医はなんか理解者になってくれたし、気になった薬は漢方でもなんでも処方してくれた。


主治医から、「これ、試しに飲んでみますか?」の提案はありました。それが合わなければ一回の服薬で飲むのを辞めて、飲めませんでしたと次回伝える、というスタイル。


精神薬飲める人ってすごく我慢強いよね。それか鈍感力あるよねって思う。


合わない薬を飲まされることの苦痛は、飲んだことがない人にとっては想像以上ですよ。
それでも、頑張って飲んでる人、飲みながら慣れた人、まじですげえ。
子どもに無理に飲ませてる親も専門家も、イカれてると思ってしまう。
あんな毒薬を…みんな○ねばいいのに。来世コオロギ。


患者としては、素直さの欠片もなく。
医者と喧嘩もしたし、面倒くさくなって通うのを辞めたりもしたし。
精神科に通う、薬を飲み続けるが出来る人は、ある種の才能があると思っている。
さては真面目か?


現役の人に「あなたは本当の精神疾患じゃなかったからお薬を辞められたんだよ。だから私とは違う」とよく言われた。


まあ、そうよね、医師の言うことをキチンと聞く優等生エリート患者さんから見たら、私のような(元)落ちこぼれ患者は、そう見えるよね。


本当の精神疾患と嘘の精神疾患ってあるとしたら、どうやってそれを見分けるの?


薬を辞められた人は全員、偽物の精神疾患だったというよりは…薬を飲み続けたら、誰でも精神疾患になるんですよ。
だから、少なくとも飲んでいた頃は、わたしは精神疾患でしたよ。


本当の精神疾患の方も、そうでない方も、薬を飲んだら精神疾患の身体になる。そうなると区別はつかないと、ある整体の先生は言ってましたし。


言われた時、断薬して6.7年経って働いてましたが、その先生から、「頭蓋骨の硬さがほんの少し…まだ少しだけ残るね、だいぶ良くなってるけど」と言われました。


今は9年経ってるので、その頃よりはもう少し抜けてると思うんですけど。
多少影響残っててもまあ、日常生活が送れて働けるくらいまでにはなるんですよ。
疲れやすいしポンコツなのは昔からだし別に気にしてません。というか、気にしたら負け、気にするから不調は長引く、くらいに思ってます。



今、お薬飲んでる人の中にも、初めはうつだったのに、長く飲み続けたことで統合失調症になった人なんて、山程いるでしょう。


統合失調症、それから双極性障害の患者さんの中で、本当に初めからその病名であった人なんて、患者全体の何割くらいなの?
その事実の方がやばくね?



お薬を飲んでいた頃、mixiとか2ch(当時)とか、
同病の仲間と群れてたんだけど。
それでお薬談義とか、病気のこととか、どこのクリニックが良いとか、時に人生のこととか、色々話して駄弁って、それが癒しだった。



ある時、
オルタナティブ協議会のボスのブログを読んで、精神薬が心の病気を全く治さないことに気がついて、辞めることを決めてから、同病仲間と群れることを辞めた。


いやいや、減薬はともかく、断薬は応援なんて絶対にされないし、理解もされない時代だったよ。
10年くらい前は。


迂闊に、お薬を辞めますなんて言ったら最後。
ちゃんと自分の病気を認めろ、とか、ちゃんと医者のいうことを聞いて服薬を続けるしかないとか、お前躁転してるな、キチガ○乙、辞められてもどうせ2年以内に必ず躁転するよ、大変なことになるよ、後悔する、悪いこと言わないから辞めておけ、とか、そういう感じのこと言われるのを分かっていた。


精神医療を信じて、服薬していることが自分の人生を安定させていると信じて、世の中のお薬への偏見(笑)を払拭するために精神医療、心の病気のことを啓蒙し、精神疾患の自分たちの人権をアピールする側の人々、ちゃんと医師の云うことをキチンと聞きながら真面目に服薬する優等生エリート患者さんたち。


かつての仲間たちの、その生き方に対して、ケチをつけるのも嫌だったから、1人でそっと辞めた。


単に生き方の違い。
信じるものの違い。
宗教の違いだな、と思ったの。


そうやって、かつての仲間と距離を置いて孤独に減断薬の離脱と戦ったんだけど。
思えば、それがよかったんじゃないかなと思う。


傷の舐め合いって、成長出来ないから。
仲間の質って、大切だよ。


わたしが減断薬で、離脱がせいぜい1.2年で済んだのはもしかしたら、離脱、後遺症(薬害)仲間が居なかったからかも知れないとすら思うもん。


精神医療を一緒に憎む仲間が居なかったから、誰も共感してくれなかったからだとすら思う。


同じ視点で理解されることより、理解されることはどうせ無理だと諦めた方が、快復は早いんじゃないかなと思う。
自分に集中する以外のやることが無かったもん。


ただ、夫はひたすらにわたしを支えてくれた。
だから、自分の側の人間に理解を求めることは必要かも知れない。


ただしどんな事柄であれ、当事者の気持ちなんて、分かり得ない部分があって当然なのだから、理解というのは、決して同情ではない。
家族や側にいる人間の必要な理解とは、今のその人の状態、ありのままを受け止めるその人の意志を尊重する、そして快復を願う。
そういったことであると思う。


以前、減断薬をされようとしている、とある方のブログ記事を読んだのね。


とても前向きで、好感の持てるお人柄の文章で、応援したいなと思ったから、コメント欄を開いたのね。


そしたらね。
減断薬仲間?の皆さんのそれぞれのコメントに、気分悪くなって酔いました。
なにこれ、地獄みたいな世界って…
本当に性格悪くてごめんなさい。
でも、多分、かなり必要な事なんで書きますね。



自分の減断薬は、精神科に通わなくなってからは特に、孤独との戦いだったけど。
寂しかったけど。
減断薬の仲間がいるってことは、良いことばかりじゃないねと、しみじみ思った。


これ、居ない方がいいわ。
私、仲間が居なくて良かったんだと。



あのね。
情報が錯綜してて…
頭がグルグルしてきました💦


本人のことを一番分かっている筈なのは、分かって居なきゃならないのは、本人だよ…。


本人のことを直接見ても居ないであろう外野が、しかも、お薬をちゃんと辞めたこともない人たち、が、それぞれご自分の見解を語っていらして。それが見事にバラバラ。
精神医療に対する恨み辛みをチラつかせながら。


うわぁ…これ、やばい。と思いました。


他人の意見を聞けば聞くほどそのブログ主さんにとっては、ただの雑音にしかならないだろうなあと。


み、みんな…他人のことはいいから、自分のことに集中しないとだよ💦
ブログ主さんも、お人好しすぎ。
いちいち一人一人、律儀に答え無い方がいいよ。


悪いんだけどね。
ものすごく、エネルギー状態、悪かったよ。
コメントに一つ一つレスつけるのは、幻聴に振り回されるのと同じくらい、自分のエネルギーを落とす行為だなあと。
これじゃあこの方は辞められないかも…
って、思った。


そこにコメントしに来ている人たちをできるだけ悪く言わずに、そのブログ主さんにかけてあげられる言葉が、全く思いつかなかったので、ちょっと悩んだけど、私はそっと画面を閉じたのであった。



世間で減断薬が上手く行かない人、離脱、後遺症が長引く人の理由をちょっと垣間見たというか、これが現在における減断薬の環境として一般的なのであるならば、


そりゃ、断薬成功者はほとんど居ないと言われるよなと、思った。
仲間たちに囲まれてたらそりゃ離脱期間も後遺症の期間も延びるよね…。
おお、怖い。



みんな課題の分離が出来てないし。
自分と相手の境界線が曖昧で。
これは危ういな…と思いました。



分かるかなあ。
私、営業の仕事をしていたことがあるので、それに例えますね。


営業の仕事してて、なかなか結果が出せない人が、同じように思うような結果が出てない仲間と喫茶店であーだこーだおしゃべりしてる感じです。
会話の質なんてお察しでしょ?


喫茶店でおしゃべりしてて、営業成績が上がるようになると思いますか?
ええ、まあ、絶対に、ならないんです。
その空気感て、孤独では無いんで、人によっては心地いいんですけどね。


ノウハウの共有、励まし合いだけで済めばいいんですけど…そういう話題の好きな向上心のある前向きな人は、そこにいるのがだんだん辛くなることが多いので、やがて抜けていくことが多いです。


何故ならいつも駄弁っているメンバーは、成果に繋がる行動もろくにせず、文句や愚痴ばかり。出来ない、やらない理由ばかり並べるから。
やる気のある人は話を聞いていると気分が滅入ってしまうのです。


もし結果を出したいならとにかく現場に出て行動するとか、結果出してる先輩などに教えを乞いにいくとか。建設的なことをしないといけません。


結果を出したいのに、結果を出せて無い人と一緒につるんで、あーだこーだウダウダ愚痴を言い続けるなんて、人生で一番やっちゃいけない時間の浪費です。。


ちなみに営業の仕事も、仲間と一緒にペアとかで成績を上げることも出来ますが、余程いい相性じゃないと、大概どちらかがどちらかの足を引っ張ります。片方が片方のエネルギーを奪うんです。
マラソン大会の一緒に走ろうね、と同じ。


つるむ仲間って、選んだ方がいいんですよ。
適当な人が居なければ、独りを選ぶべき。
自分で自分の身体と向き合って状況判断出来ないならば、自分の未来は拓けない。


みんな、一人一人は悪人では無いのだと思うけどね。状態の悪い人たち同士でつるむのは、おすすめできません。
つきあうのは余程前向きな者同士だけにした方がいい。
快復途上の人間が、少し先に行ってる人の足を引っ張るから💦


そんな訳で。仲間作りは慎重に。
もし質の良い仲間に会いたければ、サードオピニオンに来て下さい。


オルタナティブ協議会は、反精神医療の団体ではありません。
サードオピニオン会は、減断薬の会ではありません。
お薬の知識や、医療との付き合い方を学ぶ会です。


一人一人事情が違うのですから、必ずしも全ての薬を辞める必要はありません。
しかし多くの当事者が医師による無闇な多剤処方により、心身の健康状態が悪化しているので、せめて厚生労働省の推奨するように、単剤処方には持っていきたいですね。


今まで漫然と主治医に言われるまま無思考に服薬してきた当事者が、主体的に自分の症状や、人生と向き合うようになることで、それぞれが必ず快復していくのです。


実は減断薬そのものよりも、大事なことがあります。
その人の生き様です。
主体的に生きているかどうかです。


もしかしたら主治医の言うことだけでなく、今までの人生で、親や、職場や、学校の言う通りハイハイなんでも話を合わせて受け入れて生きてきて居ませんでしたか?


または、自分の身に降りかかった災難や苦労を、何でも他人のせいにして、他人だけを責めて来ませんでしたか?


もしそうであった人は、「主体性を持つ」「自分自身の中に原因を見つける」ということが、とても勇気のいることのように感じるかも知れませんね。
ですが、そこからまず、始めないといけません。



サードオピニオン会では、あなたにその薬が必要か、必要でないかを、自分で判断できるようになるお手伝いくらいは出来ると思います。
減薬だけでも出来れば、生活の質はグッと上がります。


私たちは、何かを強要したり、禁止したりすることはありません。
あなたに人生の主導権を、取り戻して欲しいのです。
薬の話題以外の、楽しい話を出来るようになって欲しいのです。
夢や、自分のやりたいことを見つけて、語れるようになってなって欲しいのです。



↓次回サードオピニオンは6月。
東京と千葉は5月にもあるよ。




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