認知でなくても毒親は | 日日是前進

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今は 本来の自分で自由に生きたい と思っています

はい、久々の毒母ネタ。

 

うちの毒母、MRIだとかを撮影してもらっても、過去お医者さん

からは認知だとは言われてこなかった。

 

認知症という病気だと言われた方がある意味納得がいく。

だって、相手は病気なのだから。

 

だが、認知症でないにもかかわらず、一般的なルールやマナーから

はかなり外れているところが問題だ。もしかしたら家族に対して

だけかもしれないが。

 

例えば、自分が何か家族に迷惑をかけても謝ろうとしない。あたかも

それが当たり前のような態度、悪びれない。家族は他人様に迷惑を

かけないために自分が折れたりする。

 

家族と病院に行かなければならない予定を家族に伝え忘れ、

ギリギリになって言うため、家族が仕方なく自分の予定を

やりくりしてそれに合わせる等。そして本人は素知らぬ顔。

 

家族が自分の思い通りに行動しないとキレる。自分が十分説明

できないくせに、家族が思い通りに行動しないと声を荒らげる。

 

「ソレ取って!」と言うのでそれらしいものを取ってやると「ソレ

じゃなくてソレだよ!」とキレたり。どの「ソレ」か説明をしもしない

のに、自分の意が通らないと怒りだす等。

 

そうそう、「家族なんだからOK」と自分勝手なルールをつくって

いるようにも思う。なんとも勝手で付き合いきれない。

 

同じような年ごろの高齢者になると、だいたいタイプは2通り。

 

年を取るごとに丸くなるタイプ

 

年を取るごとに自己中に、わがままになるタイプ

 

うちの毒母は明らかに後者だ。というか年を取る前から後者

だったのでそれが「先鋭化」したということらしいが。

 

思うに、きっと後者だから毒親になったのだろうけれど。

 

やっかいなのは、自分が毒親だということに気づいてないこと。

というか、「毒親」という言葉さえ知らないし、仮に知ったと

しても自分はまったく該当しないと思っているだろう。

 

そして自分は子どもに○○してやった、という意識が強いと思う。

子どもである私からすれば「それは自分(毒親)の満足のため

でしょ!」となるわけだが。

 

だって、本当に子どものためを1番に思うなら、自分の考えを

押し付けたり、親の老後の面倒を見るべきだ、なんていう発想

にはならないだろうから。

 

本当に子どもの幸せを祈っているなら、子どものお荷物に

ならないように、迷惑をかけないようにと生きようとするだろう。

 

そして直接の知り合いなどには見当たらないが、親が毒親だと

気づいていない子どもの方ももこれまたやっかいだ。

 

だいたい父親より母親の方が毒親多いかな、という印象を受けるが、

「母親と仲良し」と誤解している特に女の子、女性が多いように

思う。

 

心理学的には「共依存」ということになるのだろうが、きっと

本人(たち)は自覚がない。

 

そしてこれまたたぶん、こういう母親は女の子に父親の悪口を

言い聞かせている、自分の味方につけようとして。

 

子どもはそれを洗脳と気づかずに受け入れてしまう。だって

子どもは親が絶対の時期があるのだから。

 

どちらかというと素直ないい子で、親の期待に応えようと思って

いる女の子がこういう毒母に取り込まれてしまうのだろうと、自

分の経験もふまえて感じる。

 

思うに一人っ子の女の子があぶなそうだ。