【テーマ・りか】


今宵の月は
大きく明るく

いつもより少しだけ
わたしたちのそばで
耀いているそうです


雨上がりの夜空に
明るく輝く月が浮かんでいて

そんなわけはないと
わかっているのに

まるで月はわたしだけを
照らしているような
恥ずかしいくらい大胆な
錯覚をしてしまいます

その錯覚は
わたしのなかに
ここではないどこかへ
行きたがっているわたしが
存在していることを

やんわりと教えながら
ふんわりと誘って来るのです

いつもより少しだけ
力強い引力で

いつもより少しだけ
明るいひかりで

てをさしのべて来るのです

いつもわたしのなかに
すっかり収まっている
別のわたしを

今夜限りは少しだけ
そこではないどこかへ
行ってもいいのだと
誘って来るのです


ふと錯覚から
気を取り戻したとき

わたしは思います

月とわたし
どちらが錯覚なのだろう

夢と現実
どちらが錯覚なのだろう

わたしたちは
無防備に未知にさらされたとき
それを錯覚と呼ぶけれど

錯覚なくて本当の感覚に
気づく術があるだろうか

非日常なくて日常に
夢なくして現実に
月なくして夜に
ここではないどこかなくてここに

気づく術があるだろうか

わたしでない誰かなくて
わたしに気づく術が
あるだろうか




あの月は本当は
うんと遠くにあると知っているのに

ほら
手が届きそうです









【テーマ・こくご】


せっかく桜に出会ったのに
通りすがりのぼくは
先を急ぐバスに運ばれて
きみには一瞬しか会えなかった

あれから雨ばかりが
降りしきりぼくは
少しもおもてへ行かないまま
きみの散るさまを思い描く

きみの運んだ便りに
ぼくが返事をする前に
きみの最期のひとひらが
雨に打たれて散ってしまう

ぼくはいつだって
誰にもなにも伝えられない

なのにきみはいつだって
誰かにたくさんのしあわせを運ぶ


みんなが笑って
しあわせな毎日を
送ることが出来るなら
どんなにいいだろう

ぼくらはみんな
本当にそう思っているのに

みんなが笑って
しあわせな毎日を
送るのは本当に
難しいことなんだ

誰もそんなことを
願いもしない世の中は
きっと誰もがしあわせか
きっと誰もがふしあわせ

誰もしあわせを知らないから
誰もしあわせを願わない

たとえぼくらの誰ひとり
きみに返事を書かなくても
きみは毎年春ごとに
かならず便りをくれるんだ

だからぼくらは
いつだって

みんなが笑って
しあわせな毎日を
送ることが出来るなら
どんなにいいだろうって

思い続けることが
できるんだ

きみのいない世の中に
きみのくれる便りがあるから
ぼくらはきみを
きみのしあわせを

祈り続けることが
できるんだ


たとえきみに
通りすがりに出会うだけでも

たとえきみが
ぼくのなかで散るとしても

ぼくはいつだって
いつかきみに届くよう
手紙を書いていようと思う

きみにせめて届くよう
手紙を書いていようと思う

ぼくらが笑って
しあわせを願えるよう
手紙を書いていようと思う






【テーマ・おんがく】


わたしが
アコースティックピアノに
触れることができるのは
月に三回くらい
ピアノの先生のお宅に
レッスンに伺うときだけです

子どものころ
両親に買ってもらった
アップライトは

わたしが音楽から
逃げるように遠ざかっていた間に
弾き手を失い人手に渡りました

現在の住環境では
自宅での練習には
電子ピアノを使うより
他に選択肢はありません

わたしにはそれで充分で
電子ピアノに不満を持つのは
分不相応な贅沢な悩みだと
思っていました

うまく言えませんが
自分を卑下することで
電子ピアノとアコースティックピアノの
音の違いに耳を塞いでいたのです

ひとは
手の届かない希望や期待を
あきらめようとするとき

あのブドウは
すっぱいに違いないと

努力をやめる原因を
自分以外のものに
押し付けようとします

たわわに実るブドウの房を
手に入れられない悔しさを
認めたくないばっかりに
罪のないブドウたちを
悪者扱いするのです

そして自分は
希望に手が届かないことの
悔しさも悲しみも
すべて力ずくで捩じ伏せて
涼しい顔で過ごすのです

風にのってブドウの甘い
甘い香りが届くたびに
力ずくで捩じ伏せるのです


わたしが先生のお宅で
グランドピアノに触れるとき
わたしはいつも
ブドウの香りにむせていました

鍵盤のあたたかさ
ハンマーの重み
弦の震わせる空気の動き
部屋中に広がる音の響き

どれも電子ピアノには
ないものばかり

微細なタッチで変化する音
針のようなスタッカート
重厚なフォルテシモなど
萎えたわたしのからだからは
生まれるはずもないこと

楽しいはずの
ピアノの時間が
苦しいものになってしまい

わたしは知らず知らず
耳を塞いでいたのです

甘い甘いブドウの実を
すっぱいものに変えていた…



いままでなんて
もったいないことを
してきたのだろう

わたしには
月に三回も
グランドピアノを弾く機会が
与えられている

その限られた時間のなかで
わたしがどれだけ
たくさんのことに気づけるか
いままできちんと
考えていなかったのです

自分の下手さ加減を感じるにつけ
手放したアップライトを思い出すにつけ
音楽から遠ざかったことを後悔するにつけ

わたしはいまだからこそ
感じられる喜びから
目を背けてきた


アコースティックの感覚を
しっかり記憶することで
電子ピアノでの練習を
工夫することは可能です

電子ピアノさえ弾けないときも
楽譜を読むことで
イメージトレーニングは可能です

電子ピアノでつい付けてしまった悪癖は
意識して修正が可能です

甘いブドウを
すっぱいと思うことと
同じ理屈で

わたしたちには
想像力が備わっている

甘くもすっぱくもないものを
甘いと思うか
すっぱいと思うか
それは自分次第だと
改めて思っています


本来人間は
有機物でありナマモノであり
アナログな生き物です

読み物や書き物を
パソコンの活字を利用していても
風景や絵画を
デジタルリマスターしていても
音楽を
デジタル音源で聴いていても

それらを受け取り
膨らませて感動する
わたしたちのこころは

生きたナマモノです


そう思うと
ピアノの練習も
いままでとは
まったく変わります

いまのわたしには
いまのわたしにしか
できない練習が
あったのでした


誰もがみんな
必ず備えている想像力

しあわせを感じるのに
新しいものなど
なにも要らなかったのです