【テーマ・さんすう】
△ABCと△DEFが
合同であることを証明せよ。
そんな感じだったでしょうか。
多感だった中学生のころ
この問題はわたしにとって
多いにモンダイある問題でした。
そんなの
見たらわかるじゃねーか。
切り取って重ねりゃ
いーんじゃねーの。
教科書を眺めながら
板書を写しながら
こころのなかで
ひっきりなしに
悪態をついていました。
なんとなくわかっていることや
一見当たり前に見えることを
わざわざ説明しなければ
ならないことに苛立っていました。
三角形の合同証明は
大人の入り口に立たされたわたしのなかに
むくむくと頭をもたげる疑問や不安に対し
世の中そーゆーもんだから、と
よく知りもしないのに
すべてを不問にしようとしていた
わたしのあるまじき態度に
喝を入れて来たのです。
だって見たらわかることなのに
なぜわざわざ知らなかった定理を
新たに覚えてまで
回りくどい説明をしなきゃならないの?
はじめからわかっていたことを
時間と手間をかけて証明して
どんな満足があるというの?
ばかみたい。
数学なんてキライ。
中学生のわたしは
そう思ってました。
けれども
いまになってわたしは
三角形の合同証明と同じことを
これまでの人生のなかで
ずっと繰り返していたことに
気がついたような気がしています。
説明なんかしなくても
当たり前のようにわかっているはずのことを
納得のいく説明をもとめて
わたしたちは、とりわけわたしは
いつだって試行錯誤しています。
父母とわたしが
親子であることを証明せよ。
わたしがいま
生きていることを証明せよ。
ひとはいつか
死ぬものであることを証明せよ。
当たり前だと思っていても
こころのどこかで不問にできず
納得のいく説明を
常に求めてさまよってきました。
△ABCと△DEFが合同であると
どういう過程を経てその結論に達するか
なんとなくわかっていることを
どうやって確信に近づけるか
自分の頭で考え
叩き出した方法が
当たり前の結論に辿り着き
その過程が正しかったことを
知ったときの安心感は
見たらわかるじゃん、で片付けたときとは
くらべものになりません。
三角形の合同証明ならば
ノートに一ページですむのでしょうけど
自分の存在証明ならば
生涯をかけて取り組まなければ
ならないかもしれませんね。
ばかみたい、とか
人生なんてキライ、とか
逃げるわけには
いかないですね。
△ABCと△DEFが
合同であることを証明せよ。
そんな感じだったでしょうか。
多感だった中学生のころ
この問題はわたしにとって
多いにモンダイある問題でした。
そんなの
見たらわかるじゃねーか。
切り取って重ねりゃ
いーんじゃねーの。
教科書を眺めながら
板書を写しながら
こころのなかで
ひっきりなしに
悪態をついていました。
なんとなくわかっていることや
一見当たり前に見えることを
わざわざ説明しなければ
ならないことに苛立っていました。
三角形の合同証明は
大人の入り口に立たされたわたしのなかに
むくむくと頭をもたげる疑問や不安に対し
世の中そーゆーもんだから、と
よく知りもしないのに
すべてを不問にしようとしていた
わたしのあるまじき態度に
喝を入れて来たのです。
だって見たらわかることなのに
なぜわざわざ知らなかった定理を
新たに覚えてまで
回りくどい説明をしなきゃならないの?
はじめからわかっていたことを
時間と手間をかけて証明して
どんな満足があるというの?
ばかみたい。
数学なんてキライ。
中学生のわたしは
そう思ってました。
けれども
いまになってわたしは
三角形の合同証明と同じことを
これまでの人生のなかで
ずっと繰り返していたことに
気がついたような気がしています。
説明なんかしなくても
当たり前のようにわかっているはずのことを
納得のいく説明をもとめて
わたしたちは、とりわけわたしは
いつだって試行錯誤しています。
父母とわたしが
親子であることを証明せよ。
わたしがいま
生きていることを証明せよ。
ひとはいつか
死ぬものであることを証明せよ。
当たり前だと思っていても
こころのどこかで不問にできず
納得のいく説明を
常に求めてさまよってきました。
△ABCと△DEFが合同であると
どういう過程を経てその結論に達するか
なんとなくわかっていることを
どうやって確信に近づけるか
自分の頭で考え
叩き出した方法が
当たり前の結論に辿り着き
その過程が正しかったことを
知ったときの安心感は
見たらわかるじゃん、で片付けたときとは
くらべものになりません。
三角形の合同証明ならば
ノートに一ページですむのでしょうけど
自分の存在証明ならば
生涯をかけて取り組まなければ
ならないかもしれませんね。
ばかみたい、とか
人生なんてキライ、とか
逃げるわけには
いかないですね。