【テーマ・こくご】


子どものころから
文章を書くのが好きでした。

けれども作文は嫌いでした。

先生に読まれるのがいやでした。
発表するとなるとますますいやでした。

自分の書いたことを
他人に知られるのがいやでした。

一方で文章が生み出す超常現象に
否応なく惹かれていきました。

実際にあるのは
いくつかのひらがなと
いくつかの漢字とカタカナと
ほんのわずかな句読点なのに

見えないものが見えたかのような
探し物を見つけたかのような

究極の満足感がそこにはありました。


形になって表れた言葉は
形状だけでは何も伝えません。

なのに言葉は使われるたびに
わたしから誰かへ
誰かから誰かへ
そして誰かからわたしへ
形なきものを伝達していきます。

文字を媒体にしているものの
それはほとんどテレパシーです。

それに気がついたとき
文章を読むのも書くのも
嫌いになりました。

行き場をなくした形なき思いは
あるときは数学の教科書の隅に
あるときはレシートのうら面に
ぽつりぽつりとこぼれました。

どうしても入ってくる文章は
制御できない妄想に化けました。

どちらもわたしの意識をよそに
好きなように暴走しました。

言葉を操るのが人間の特性なら
わたしは人間以下でした。

けれども人間以外の世界では
言葉は必要ありませんでした。

動植物や自然現象は
まるでテレパシーのように
互いの思いを伝えあって
完璧なまでに調和している。

そこに言葉は存在しない。


この世のほとんどが
言葉の要らないものでできています。

言葉の必要なことのほうが
むしろ特殊で奇異でマイノリティです。

わたしはそんな
世の中のごくごくわずかな部分を
まるで世界のすべてのように感じ
意識の及ぶほんのわずかなところで
文字という形に惑わされていたのでした。

本当の悩みや苦しみというものは
言葉の届かないところにあり
本当の癒しや幸せというものも
言葉の届かないところにあります。

言葉だけでは悩みは解決しないのだし
言葉だけでは幸せにはなれません。

この世のほとんどは
言葉の要らないものでできていますが
ひとりの人間もまた
そのほとんどが
言葉の要らないものでできています。

心臓を動かすのにも
腸で消化するのも
神経がはたらくのにも
言葉は必要ありません。

怒りや悲しみ
喜びや幸せというのも
言葉を使うから別々のものなのであって
言葉への執着を離れれば
なんのことはない

あえて言うなら
気持ちです。

わたしたちは
複雑に見える人間関係のなかで日々
思いが伝わらない、言葉が伝わらないと
悩み苦しんで生きています。

言葉や文章にとらわれて
テレパシー能力を眠らせています。

テレパシーは諸刃の剣で
使えばこちらも傷つきますから
それをできるだけ防御するのが
言葉の役割でもあります。

しかしいつのまにか
傷つくことに脆弱になったわたしは
防御ばかりに気をつかい
剣を持っていることさえ忘れたのです。

言葉のもたらす目に見えない力が
世界にとって当たり前のことが
まるで超常現象に思えてしまうほど

わたしは自らをちっぽけにしていた。



わたしのほとんどは
言葉や文章のいらないもので
できています。

それでも

子どものころ
文章を書くのが好きでした。
本を読むのが好きでした。
手紙を送るのが好きでした。

書けば誰かに
なにかが伝わってしまいます。

けれども
もうこわくありません。