【テーマ・おんがく】



他愛ない会話のなかでのことですが
少し前にある約束をしてもらいました。

ある曲を聴いているときに
そばにいた娘にわたしは何気なく

「これは天上の音楽だと思うんだ。
これを聴いてると天国に行けそうな気がする。」

と話しました。

娘は

「いやいや、今それはヤバいでしょ。」

と苦笑いしながらも
わたしに思いもよらない提案を
してくれました。

それは

わたしの今際の際には
この曲をかけてくれるというもの。


「題名覚えていられるかなあ」と
言っていましたが

わたしはわたしの死に目に立ち会い
わたしが天国に行けることを
願ってくれている娘の姿を想像しながら

ああ、どうか
その通りになりますように

その約束を果たすことができますように

そう願って
あったかい気持ちになりました。













【テーマ・ほけんたいいく】



月並みですが
夢というのは不思議です。


不可思議は思議すべからず
思いはかることも言葉にすることもできない
十の八十乗の世界ですから

今日このように夢について
あれこれ思うことも
それ自体不思議です。


今日ふと思ったのは
現実における夢の扱いについてです。

夢というのは誰しも
日常のなかで当たり前に
みるものでありながら

ときに現実から弾かれるようにして
痛ましい扱いを受けることが
あるように思います。

現実にこぼれ落ちる夢は
まるで水のなかに注がれた油のように
ぷかぷかと玉になって弾かれて
混じり合うことを許されません。

夢はあくまでも夢として扱われ
現実のなかに含まれながらも
他のあらゆる現象とは別の扱いに
なっているように思えてならない。

思議すべからずを都合よく
敢えて推し量らないことで
ぞんざいにしているような気がします。

思議すべからずは
神や仏の領域であり
凡人にはかなわない境地のことですが

それを都合よく逆手にとって
考えずにすむようにしているのなら
たいへん罪深いことだと思います。




「夢オチ」という言葉があります。

ものがたりの幕引きの手法のことですが
この言葉が使われるときは
あまりよい意味では使われていないようです。

それまでのものがたりの展開をすべて
夢で終わらせてしまうのは
聞き手を落胆させ
裏切りさえ感じさせてしまうようです。

夢の世界はなんでもアリで
現実とは相異なる世界だから
夢オチとわかった瞬間に
油の玉は水から弾き出されてしまうのですね。

それが現実の夢に対する扱いです。


けれども
それが夢だと明かされるまでは
不可思議な出来事に胸踊らせたり
こころを痛めて涙したり
していたのではないでしょうか?

それが夢だと明かされて
理解の及ばない世界の出来事だとわかり
いきなりおもちゃを取り上げられた幼児のように
深い悲しみに襲われたのではないでしょうか?

たねあかしに納得できなくて
騙されたような感覚だけが残り
それが神と仏の領域とあっては
語り手を詐欺師に仕立てるくらいしか

腹いせの方法がないのではないでしょうか?


夢が不当に扱われているとは思いませんが
夢オチが禁じ手と言われているように
夢は神聖に扱われるべきものです。

水と油が混じり合わないのは
比重が違うからですが
比重が生まれるのは重力があるからです。

重力が支配するこの地上では
水と油は弾き合うものですが

宇宙では水と油は混じり合うといいます。

夢と現実も常識を手離せば
自然に混じり合うものだと思います。

しかし人間は宇宙では生きられない。

それを知っているから
常識を手離せないでいるだけです。




物質たる水と油を
宇宙に運ぶことは難しくても

目を閉じて不可思議に挑むことは
わたしたちは毎晩行っているではありませんか。

目覚めているとき夢が落ちてくれば
それは確かに驚くべきことだけれども

不可思議を超えてゆけばそこに
無量大数が待っていることを
すでにわたしたちは知っているではありませんか。




物語や小説やお芝居や映画は
目覚めながらみる夢のようなもの。

その展開やオチが夢だとなれば
寝覚めの悪い思いをするのかも
しれませんが

語り手に甘えてはいけないと思います。


神と仏の領域から弾き出されたのは
わたしの方であるのかもしれない。

夢からの現実回帰とは実際は
罪深いことであるのかもしれない。

夢に落胆し理解を拒むことは
現実を回避し絶望することに

等しいのかもしれません。



夢オチを外からみるのではなく
夢におちてゆくことが肝要と思います。

















【テーマ・きゅうしょく】


牛蒡のお茶から香るのは
ほんのり土のにおいです。

こよみの上ではもうすぐ春で
旧暦では一年の終わりも近いのですが
外は一面真っ白な雪に覆われて
まだまだ春は遥か向こうと思われます。

寒い寒いとのたまいながら
油を大量に消費して部屋のなかは
たいそうにあったかいので
これではいけないとも感じます。

からだが季節感を失ってしまうので
季節をアタマで考えねば
ならなくなるのはおかしなことです。

油を切らせば凍えてしまうので
油断できない季節なのですが。





昼間の短い冬の季節は
気もそぞろに萎えがちで
そんなときには
根菜や穀物のお茶が効くそうです。

元気の素に牛蒡のお茶を
風邪の予防に緑のお茶を

近頃はよく飲んでおります。

からだの芯から温まります。
確かに元気になるる気がします。



そういえば
いま気がついたのですが

食を給ると書いてきゅうしょくですね。

ありがたいことです。