【テーマ・どうとく】
なぜ石に蹴躓いて転んだかといえば
そこに石があったからだと言う。
そしてそれから
なぜそんなところに石があったのか
という話になる。
さらにそれから
だれがこんなところに石を置いたのか
とかいう話にもなる。
なぜその石を避けられなかったのか
という話にはなぜかならない。
なぜそのひとが彼を嫌うのかといえば
彼が嫌われる人物だからだと言う。
そしてそれから
なぜ彼は嫌われるのか
という話になる。
さらにそれから
彼を嫌わないためにはどうしたらよいか
みたいな話にもなる。
なぜそのひとが
彼を嫌わねばならないのか
という話にはなぜかならない。
なぜこんなに心が痛むのかと言えば
悲しみと苦しみに襲われたからだと言う。
そしてそれから
悲しみと苦しみがなぜ訪れたのか
という話になる。
さらにそれから
悲しみと苦しみに打ち克つためには
どうしたらよいかとかいう話にもなる。
心など勝手に痛ませておけ
という話にはなぜかならない。
そこに石があれば躓くのである。
なぜそこに石があり
誰がそこに置いたのかを知ったところで
次の石にはまた躓くのである。
ならば躓いた石のことなどもう構わず
次の石に躓かぬことを思えばよい。
誰にでも嫌いな人物はいるのである。
なぜ彼が嫌われるのか
嫌わずにおける方法を知ったところで
別の人間をまた嫌うのである。
ならば彼のことなどもう構わず
他人を嫌わぬことを身に付ければよい。
どんな心も傷つけば痛むのである。
悲しみと苦しみの理由を知り
どうすれば克服できるか考えたところで
人生はそう甘くはないのである。
ならば苦しめばよい。
ならば悲しめばよい。
こころの痛みを感じる限り
豊かな生き方を約束しているのである。
どんなにこころが痛もうともう構わず
わたしはわたしの約束を
守り通してゆけばよい。
なぜ石に蹴躓いて転んだかといえば
そこに石があったからだと言う。
そしてそれから
なぜそんなところに石があったのか
という話になる。
さらにそれから
だれがこんなところに石を置いたのか
とかいう話にもなる。
なぜその石を避けられなかったのか
という話にはなぜかならない。
なぜそのひとが彼を嫌うのかといえば
彼が嫌われる人物だからだと言う。
そしてそれから
なぜ彼は嫌われるのか
という話になる。
さらにそれから
彼を嫌わないためにはどうしたらよいか
みたいな話にもなる。
なぜそのひとが
彼を嫌わねばならないのか
という話にはなぜかならない。
なぜこんなに心が痛むのかと言えば
悲しみと苦しみに襲われたからだと言う。
そしてそれから
悲しみと苦しみがなぜ訪れたのか
という話になる。
さらにそれから
悲しみと苦しみに打ち克つためには
どうしたらよいかとかいう話にもなる。
心など勝手に痛ませておけ
という話にはなぜかならない。
そこに石があれば躓くのである。
なぜそこに石があり
誰がそこに置いたのかを知ったところで
次の石にはまた躓くのである。
ならば躓いた石のことなどもう構わず
次の石に躓かぬことを思えばよい。
誰にでも嫌いな人物はいるのである。
なぜ彼が嫌われるのか
嫌わずにおける方法を知ったところで
別の人間をまた嫌うのである。
ならば彼のことなどもう構わず
他人を嫌わぬことを身に付ければよい。
どんな心も傷つけば痛むのである。
悲しみと苦しみの理由を知り
どうすれば克服できるか考えたところで
人生はそう甘くはないのである。
ならば苦しめばよい。
ならば悲しめばよい。
こころの痛みを感じる限り
豊かな生き方を約束しているのである。
どんなにこころが痛もうともう構わず
わたしはわたしの約束を
守り通してゆけばよい。
【テーマ・さんすう】
なんとも言えないような
モヤモヤとした悩みごとに見舞われると
いつのまにか数学っぽいことを
考えるくせがあります。
中学校三年までのレベルですし
あくまで「数学っぽい」ことであって
厳密には数学とは言えないかも知れませんが
人間関係に悩んだときも
仕事のことで悩んだときも
いのちについての悩みのように
人生最大のピンチと思えるようなときも
気かつけばモヤモヤと
数式を思い浮かべたり
三角形や多面体などの幾何学模様を
描いてみたり面積や体積を考えたり
それがなんとも言えずピタリときて
わたしにとって自然な悩みかたでした。
圧倒的なエネルギーの悩みごとを前に
解決不能な自分を予感して
あえて解決可能な別の問題に
すり替えようとしていたのでしょうか。
それもあると思いますが(笑)
数学とくに幾何学というのは
一種の精神安定剤のような
役割を果たすように思うのです。
逆を言えば
人間の精神性は
幾何の醸す精神性に
よく似ている気がするのです。
幾何の精神性という言い方が
ちょっとおかしいというのであれば
数や図形の世界の
ロマンといったところでしょうか。
数や図形の不思議な力に
身を委ねていると
ある時点で唐突に
別世界へ突き抜けるような
ほかに例のない快感を得ることがあります。
その通過点を通りすぎると
それまで悩んでいた
人間関係や仕事の悩みは
これという解決などまったく
見出だしていないにも関わらず
悩んでいたことも忘れるほど
自分にとって何でもないことに
変わっていたりするのです。
たとえば
自分という存在の不思議に耐えかねて
こんなちっぽけな自分など
消えてなくなればいいとかいう
超ネガティブな悩みに
うちひしがれていたとき
わたしを救ってくれたのは
ひとつの立方体でした。
さいころです。
6枚の平面に囲まれた
コロコロ転がる一つのさいころ。
ありふれて見飽きた
縦×横×高さの産物。
しかしこれは
四次元立方体の
展開図のほんの一部なのです。
わたしが平面の世界を内包しているように
未知の高次元世界がわたしを内包している
ひとつの証明でありうるわけです。
平面世界に広げた
立方体の展開図から
わたしがそれを一面ずつ
組み立てる度に
平面世界からは
正方形がひとつずつ消えてゆく。
平面世界に残された
ただひとつの正方形が
そこには見えない立方体の
一部(底面)であるならば
この目の前のさいころもまた
見えない四次元立方体の
一部であることを
わたしは絶対に否定できない。
そう思ったとき
わたしのわたしに対する
存在の不思議が
ふわりと宙に浮かんで
次の瞬間にはもう
消えてしまいたいなどという思いは
少なくとも三次元空間のこのわたしには
ありませんでした。
風変わりな悩み解決法だと
我ながら思いますが
自然の風景に癒されたりすることも
原理は同じような気がしますので
モヤモヤとしてしまったときには
子どもたちと一緒に
算数の問題に取り組んだりしています。
おすすめです。
なんとも言えないような
モヤモヤとした悩みごとに見舞われると
いつのまにか数学っぽいことを
考えるくせがあります。
中学校三年までのレベルですし
あくまで「数学っぽい」ことであって
厳密には数学とは言えないかも知れませんが
人間関係に悩んだときも
仕事のことで悩んだときも
いのちについての悩みのように
人生最大のピンチと思えるようなときも
気かつけばモヤモヤと
数式を思い浮かべたり
三角形や多面体などの幾何学模様を
描いてみたり面積や体積を考えたり
それがなんとも言えずピタリときて
わたしにとって自然な悩みかたでした。
圧倒的なエネルギーの悩みごとを前に
解決不能な自分を予感して
あえて解決可能な別の問題に
すり替えようとしていたのでしょうか。
それもあると思いますが(笑)
数学とくに幾何学というのは
一種の精神安定剤のような
役割を果たすように思うのです。
逆を言えば
人間の精神性は
幾何の醸す精神性に
よく似ている気がするのです。
幾何の精神性という言い方が
ちょっとおかしいというのであれば
数や図形の世界の
ロマンといったところでしょうか。
数や図形の不思議な力に
身を委ねていると
ある時点で唐突に
別世界へ突き抜けるような
ほかに例のない快感を得ることがあります。
その通過点を通りすぎると
それまで悩んでいた
人間関係や仕事の悩みは
これという解決などまったく
見出だしていないにも関わらず
悩んでいたことも忘れるほど
自分にとって何でもないことに
変わっていたりするのです。
たとえば
自分という存在の不思議に耐えかねて
こんなちっぽけな自分など
消えてなくなればいいとかいう
超ネガティブな悩みに
うちひしがれていたとき
わたしを救ってくれたのは
ひとつの立方体でした。
さいころです。
6枚の平面に囲まれた
コロコロ転がる一つのさいころ。
ありふれて見飽きた
縦×横×高さの産物。
しかしこれは
四次元立方体の
展開図のほんの一部なのです。
わたしが平面の世界を内包しているように
未知の高次元世界がわたしを内包している
ひとつの証明でありうるわけです。
平面世界に広げた
立方体の展開図から
わたしがそれを一面ずつ
組み立てる度に
平面世界からは
正方形がひとつずつ消えてゆく。
平面世界に残された
ただひとつの正方形が
そこには見えない立方体の
一部(底面)であるならば
この目の前のさいころもまた
見えない四次元立方体の
一部であることを
わたしは絶対に否定できない。
そう思ったとき
わたしのわたしに対する
存在の不思議が
ふわりと宙に浮かんで
次の瞬間にはもう
消えてしまいたいなどという思いは
少なくとも三次元空間のこのわたしには
ありませんでした。
風変わりな悩み解決法だと
我ながら思いますが
自然の風景に癒されたりすることも
原理は同じような気がしますので
モヤモヤとしてしまったときには
子どもたちと一緒に
算数の問題に取り組んだりしています。
おすすめです。