【テーマ・さんすう】


自然数の足し算引き算や
掛け算の九九なんかは
どうしてそうなるのか
説明するのが難しいです。

指折り数えてみたり
実際におはじきを並べてみたり

買い物とか料理とかの
日常生活のなかの出来事に
なぞらえたり例えたりするのが
比較的簡単ですから

問題と答えの間にある
過程や理論をすっとばしても
違和感はほとんどありません。

1+1=2
3×5=15

加法と乗法はとりわけ美しく
その過程はわたしにとって
非常に哲学的なのですが

俗世間で鍛えられてしまった
筋肉質の脳とその演算能力は
最も美しい計算過程を
いともあっさりと省略してしまうのです。

1+1=2で当たり前。

でも、ときどき
本当にそうなのだろうかと
考えることが必要だと思います。



いま、わたしは普通に
自然数の足し算引き算や
掛け算の九九ができると
思い込んでいますけれども

その答えが正しいと信じられるのは
十進法の世界にいる間だけです。

二進法の世界では
10はこっちで言う2なんですから
話が通じにくくなりそうですよね。

二進法でやるひとに
十進法でやってるわたしが
自分の計算の正しさを
いくら主張したところで

頑張りや努力くらいしか
認めてはもらえないでしょう。

例えば
わたしの持ち物と
そのひとの持ち物を
合わせてどれくらいの量になるのか
それをお互い認識したいだけなのに

十進法のわたしと
二進法のそのひとでは
なかなか通じ合うのは難しいわけです。

しかもどちらが正しいかとか
そんなことはまったくの無意味ときてる。

たとえば
十進法の世界も二進法の世界もない
全世界の滅亡の危機に瀕しているとして

わたしの食べ物とあなたの食べ物を
分かち合って生き延びたいのに

互いがそれぞれ自分の進法を
頑なに誇示し続ける限り
われわれは持ち物を共有することも
分けあって助け合うことも
ままならないということです。

10だとか2だとか
1+1=2だとかなんだとか
表記の上に成り立つ認識を棄てて

問題も答えも
それらを成立させている常識をも棄てて

与えあって分けあい
乗じて等分する
その心意気だけに集中すれば

十進法のわたしも
二進法のあなたも

同じ過程を共有していることに
気づくのではないかと
ひそかに考えています。

過程を共有できれば
どの世界のひとであっても
文字や数字で表す以前のどこかで
計算方法に無関係で繋がり合って

自由自在に与え合い
無制限に掛け合って
分け隔てなく等しく分けられる
そんな気がしてくるのです。

そして世界の境界に関わらず訪れた
未曾有の危機に対しても
希望ある対処と協力が
できるのではないかとか

突飛なことを考えます。


こうなると
こんなのもはや「さんすう」でも
なんでもなくなっちゃうのですが

こんな妄想を掻き立ててくれる
数式の陰の過程こそが
わたしにとってストーリーであり

数の世界の魅力であり
果てぬロマンであったりするのです。










【架空日記】


月曜日は始まりの日。

そんなフレーズをいつか聞いた。

おそらく永遠に流れるであろう時間の流れに
ひとはありのままでは耐えることが出来ないのだと思う。

時間のあちらこちらに始まりがある。

誰がそう決めたのかわからないし
それが本当に始まりなのかどうかも
実はわからないのだとも、思う。

気の遠くなりそうな時間の流れに
寄り添う存在であろうとすることは
私たちから少しずつ正気を奪っていく。

暫定的にここからが始まりだって
他の誰かが決めてくれるから
私は自分の狂気を他人事のように
遠巻きに眺めることができる。

月曜日にはそんなふうに
うっかり狂ってしまいそうな気持ちを
強制的にリセットすることができる。

同時に、私は何時なんどきでも
あっさりと狂ってしまえる生き物だってことを
改めて思い知る曜日でもある。

永遠の時間のなかで
一旦始まってしまったこのいのちが
いつか終わってしまうまでの一区切りが
幾度となく訪れる月曜日で分割されていく。

始まりを繰り返すことで
いのちの終わりを遠ざけようとするかのように。

始まりと同じ数だけの
終わりを迎えていることには
気づかないふりをしながら。



たった一日、日曜日を過ごすだけで
月曜日の朝は迎えるのが辛くなる。

他のどんな曜日にだって朝はあるのに
月曜日の朝は特別に気だるい。

今朝もほとんど仕方なく電車に乗った。

遠巻きに見た星子も眠そうに見えた。

星子、勝手にそう呼んでいる。
本名は知らない。

今日も一日、星子を追いかけて過ごした。

星子は私に気がつく様子もなく
私は今、無事に月曜日が終わったことに
感謝している。

次に星子の姿を見られるのが
いつになるのかわからないけれど
次の月曜日にはきっと
また姿を見ることができると信じている。

永遠に繰り返す月曜日。

誰が決めたか知らないけれど
私はその誰かさんに猛烈に感謝している。









【テーマ・ひるやすみ】


「あくびをすると時間に穴があくんだよ」


同音異義語とは
面白いものです。

息子のその言葉に
わたしは真顔で聞き返しました。

時間に穴が開くの?
あくびをすると?
なんで???


実は聞き返した時にはすでに
ジカンは耳管であることに
わたしはすぐに気づいたのですが

熱のこもった彼の説明に
耳をかっぽじって聞き入りました。

どこで仕入れてくるのか
息子のマメ知識を聞くのは
なかなか心地よいものです。

鼓膜の内側と外側で
気圧が変わると聞こえづらくなりますね。

耳管は体内に生じた
気圧の差を解消してくれる
大切な器官なのだそうです。

あくびをすると
ポンと聞こえがよくなること
ありますね。


息子はもちろん耳管のことを
言っていたわけですが

わたしは
あくびをすると
時間に穴があくという現象も
有りうるような気がしました。

こんな時間まで起きていると
自然にあくびが出てきます。

これから眠りにつくのですが
数時間後に再び覚醒するまで

わたしは確かに

時間にあいた穴の中へ
もぐってゆくのかもしれません。