【テーマ・架空日記】


あれから3日。

夢見るように過ぎていく真夏の日々。
夏休みという名の悪夢。

星子の身に起こったことを書いたら
あとあと後悔することになると
わかっているのだけれど
書き留めずにいられない私がいる。

星子が何処で誰に会おうと
私には関係のないことなのだけれど
何処かで星子が誰かに
傷つけられたとしたらそれは
私にも深く関係のあることに変わる。

星子の受ける傷は
私の傷でもあるからだ。

深く傷ついた星子は
誰にもわからないように悲しむものだから
せめて私くらいはその悲しみを
星子にわからないように気づいていたい。

それができるのは
たぶんこの世で私だけだ。


星子は今日ムラサキに会った。

私はムラサキが嫌いだけれど
星子はムラサキが好きなんだ。

私がムラサキを嫌いなわけは
ムラサキが星子を好きだからだ。

星子とムラサキは
お互いがお互いを好きなのに
どうしてか傷つけ合うばっかりで

星子はいつも
こっそり泣いている。

ムラサキは星子を好きだと言わないし
星子もムラサキを好きだとは言わない。

言ったら星子でもムラサキでもない
他の誰かが深く傷つくことを
ふたりとも知っているからだ。

けれど、他の誰かを傷つけないために
星子もムラサキも傷だらけになっていく。

私はそれを夢見るように黙って見ている。

星子、そんなに辛いなら
いつでも私があなたになってあげるのに。

ムラサキなんか忘れて
もっと幸せな毎日を送ってあげるのに。



そんなことはできないって
わかっているのだけれど

星子、あなたが泣いているのを
せめてムラサキに伝えてやりたい。

そうしたらムラサキの傷も
少しは癒えるような気がするのに。


夏休みという名の悪夢。
私は明日もきっと夢のなかだ。




【テーマ・架空日記】


日記とは
毎日書くものをそう呼ぶのであって
思いつきで時々書くようなものを
日記と呼んだらいけない気もする。

「これは日記なのである」と
決めてかかって書いた初めての「日記」は
3日と続かずお蔵入りした。

中学生のころだった。

その後どんなに
毎日書こうと決心して再挑戦してみても
どうしても続けることができなかった。

心掛けを習慣化できないことに
怠惰や無能さを安易に結びつけて
自分を責めてみたりもした。

だけどできないものはできない。

日記のために用意した
ありふれた大学ノートの
最後に書いたページから

気がついたらいつの間にか
何日も経っているんだから!

驚いて思い出そうとする、
昨日は何をしていたか
一昨日は何を思っていたか

だけどなんにも思い出せない。

それで自分は日記向きの人間ではないんだと
思うことにして日記なんかやめようと
していたんだけれど

なんとそれもできなかった。

途切れ途切れ
息も絶え絶えに

私は書き続けてきた。

だから
毎日起こったことだとか
毎日思ったことだとか
そういうのを綴った類いのものを
日記と呼ぶことの方をやめた。

私が仮に存在しなくても
万事順当に巡り巡る時の世界の中で

ふと私が確実に現れたと信じられる時だけに
現れてそこで確かに生きていたということを
半ば必死に半ば適当に大方ムリヤリにでも

どこかに刻み込んでおきたい
その醜い痕跡のことを

私は日記と呼ぶことにした。

そんなのは日記じゃないと
怒るひとがどこかにあっても

神様は絶対に怒らない。







【テーマ・ほけんたいいく】



「ひとはいつか
みな死にゆくものである」

このことが当たり前のこととして
知識に成り下がったのはいつだろうか。

幼いころ
生きているものしか知らなかった
自分が初めて死の現象を知ったとき

親も親戚も友達も
そして自分もいつか
死ぬのだと悟り

どれほど激しい衝撃を受けたことか

それをひとはどうして忘れるのだろう。

ひとはいつか死ぬと
誰もが知っていると言うけれど
生きているひとの誰ひとり
死んだことのあるものはいない。

この矛盾を易々と乗り越える
知識という名の催眠術ほど
罪深いものはこの世にない。

こころの根底にまで轟く
死の恐怖をねじ伏せる
その知識の正体はしかして

知り得ないことを知ったかぶり
知らないでいることを恥じる
究極のおごりたかぶり以外の
なにものでもない。

知っていることを忘れている
その状態を容認して
知らねばならないことを知ろうとしない
その罪を看過することが

こころの根底を揺るがす恐怖を
唯一緩和してくれる催眠術なのだ。



また、

肉体の滅びに匹敵する
精神の傷つきに恐怖するあまり
ひとは簡単に狂いゆくことを
誰もが等しく知っている。

それは人類共通の記憶である。

しかしながら
その神聖な記憶を
知識に格下げして

個人一世代の処世術の道具にしたとき

ひとはその記憶のすべてを
こころの根底で忘却する。

その記憶を失うと

「こころが傷つけば
ひとの気は狂う」

そんな当たり前のことが
わからなくなる。

「ひとはいつか
みな死にゆくものである」

そんなこの上ない苦しみさえ
素直に苦しむことも
できなくなる。

生きているひとの誰ひとり
死を知るものはいないという
厳然たる事実すら
認めることができなくなる。

死を知っている…
そんな催眠術にかかり

知らないことの恐怖から
目を背けるのがフツーになる。




幼いころのあの衝撃を
なぜ記憶のままで保てないのだろう。

消化しきれないその感情を
なぜ知識に変換してしまうのだろう。

余計なプロセスを踏むことで
わたしたちは肝心なことを
忘れ去ってしまうのだ。




「ひとはいつか
みな死にゆくものである」

それは決して
当たり前のことなどではない。