こんにちはにっこり 

小児がんサバイバー

吉野やよいですピンク薔薇


    

小児がんの一種

ユーイング肉腫ステージ4
などの余命宣告を経て完治

これからお話しする内容は
私が10歳で余命宣告を受ける前から
遡って書かせていただいていますピンク薔薇




沖縄を離れるか『決断の時』#1


ユーイング肉腫という

検査結果を受けた私




今後どうするべきか

両親は悩んでいました

 



迫られる『選択』


"沖縄で治療をするべきか"

"他の選択肢を探すべきか"





どちらの【選択】

『命』がかかったもの





当時、父は東京で単身赴任していて

母は父と電話で

やり取りをしていました




迫られた状況の中で

母は何を選択したら最善なのか

知り合いを通じて医師を見つけては

現状を相談して他の選択肢

模索していたそうです





同時に病気に関連する本や

日本の名医が載る雑誌などを

沢山読んだそうです





《娘が、家族が、

幸せに向かって生きるために》





少し前に母が

『当時は藁にもすがる気持ちで

勝手に体が動いていたけど

今は、もう無理だわ…笑』

以前を振り返り

そう話していました





東京へ


悩んだ末に

"両親揃って近くで見守りたい"

"最善の治療を受けさせたい"


そんな想いから

父が単身赴任で暮らす先東京へ

行くことを決めます





ただそのためには

大きな課題がありました






ぼくのわたしのアルバム

 ーわたしがうまれてからー

闘病前 2年生の時のアルバム
中には家族との沢山の時間が
写真や文で綴られています

数少ない
学校の思い出のひとつですピンク薔薇





大きな課題とは??

#2 続きますにっこりにっこり




闘病記録の最初はこちらからピンク薔薇


 

明日も病気と闘う子どもたちが

笑顔で過ごせますようにピンク薔薇