去年、高校の担任が亡くなり、疎遠になっていた同級生がSMSで告別式とお通夜を教えてくれた。しかし私はどちらも行かなかった。みんなに会う勇気が無かった。先生にはお世話になったのに…。高校時代に蓋をしていた。
そして1年が経った。この1年の間にこのブログを再開することになり、他の方の記事を見て、「その気持ち分かる!」と共感したり、「そうゆうことがあるんだ!」と新しい世界を知ったり出来た。そしてみんなも色々悩んでるんだな。と思った。
匿名で書くのは気持ちを吐き出しやすいと思う。
私も高校時代を、『ここ』で振り返ろうと思う…。
とカッコよく言ってみたが、恥ずかしいことばかりだった。
まず事の始まりは、中学2年の後半に始まった初潮である。初潮を迎えてから、生理の日関係なく夜眠れず、朝起きられなくなった。中学はかろうじて遅刻ギリギリで登校していたが、成績が下がり第一志望の公立高校に落ち、私立の女子高に通うことになった。
高校生になると、朝家を何とか出るが、とても眠くてたまらなかったので、電車に乗ったら終点まで行ってまた戻って来るというのをやっていた。両親が共働きだったので、日中こっそり家に帰ったりしていた。同級生から電話が掛かってくるが、後ろめたくてとれなかった。母が家にいる日は、渋々午後から高校に行っていた。
私が昼休みに高校にやって来て、教員室に行って担任に、
「遅れてすいませんでした。」
みたいなことを言った時、
「…本末転倒じゃないのか?」
と言われたのを覚えている。
その時私は、
(自分だってこんなことしたくないのに…出来ないんだよー。)
と悔しさみたいな気持ちを抱いた記憶がある。
こんなだから授業についていけず、記憶力も悪くなった。勉強が出来る同級生を見ると、
(ちゃんと睡眠がとれれば、私だってあれぐらい出来る。)
と思っていた。だからそれを示したくて躍起になっていた。
授業に出たら、例えば古典だと、
「先生!これも反語ですか?」
なんて授業の終わり際に質問し、
「うーん😌これもそうねー。」
と言ってもらったが、周りが
「だから何?」
という雰囲気になった。
地理では、脱線した話の中で先生が、
「耳垢が湿っている人と、乾いている人がいますが…」と話始め、話の途中で私は、
「私湿ってるー!」
と大きな声で言った。すると先生が私の方を見て、
「耳垢が湿っている人はワキガです!」
と言った。そんなことを言われると思わなかったので固まってしまい、それでも、
「お風呂出た時は湿ってるよね?」
と隣の子に同意を求めたが、
「う、う〜ん?」
と期待した返事は無かった。
これは本当に恥ずかしかった。
失敗したら黙っていればいいのに、その後も知ったかぶりのしゃしゃり出る性格は変わらなかった。
ある日担任が黒板に絵を描いた。
「これは何でしょう?」
と聞くやいなや、
「血管にこびりついたコレステロール?(笑)」
と調子こいて口走ってしまった。すると先生は、
「…色々な見方があるけど、ある人は、『木につかまったコアラ』と言ったそうです。」
と言った。
それを聞いた途端、私また薄っぺらいことを喋っちゃった、と恥ずかしくなった。
と、高校時代はとにかくもがいては墓穴掘って自滅していた。
悪夢もよく見ていて、ある夢では、象がベルトコンベアに乗って並んでいて、順番にロールカッターで切られてステーキになり、『今度はお前の番だ。』と言われ、当時はかなり心臓がバクバクした。(たぶん太っていた自分を象に見立てたんだと思う。)
ちなみに、高校をサボって家に帰る道すがら、夜勤明けの母にバッタリ遭遇してしまい、いきなりビンタされ、
「こんなことのために働いてるんじゃないんだよ!バカにすんな!」
と、怒られた。
ほとぼりが冷めた頃、母から、
「寝たいときは寝ていいんだよ。」
と言われたのがキッカケで、徐々に、
『この時間はコレをすべき!』
という考えが薄まり、
『とりあえず〇〇へ行ってみるか、』
と気楽に考えられる様になってきた。
この母からの言葉と、介護施設で働いたことで、お年寄りから感謝され、お年寄りに自分は救われたと感じてから、自分が云々より、相手(お年寄り)は大丈夫だろうかと考えるようになった気がする。そしたら身体がだいぶ楽に動くようになった。
担任の先生は、高校時代の私を見ていて、
「社会に出てやっていけるかな?」
と思ったと思う。
でも、「先生、何とかやっていけてますよ。高校時代は沢山ご心配をお掛けしました。そしてとてもお世話になりました。ありがとうございました。」
と、心を通して伝えられたらと思う。
