祖母、南タカ子<下杉正子 

祖母、南タカ子<下杉正子 

思い出と、今と、これからと。主に家族のこと

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「初めてお会いした時、正子さんの絵と、正子さんの姿の雰囲気が完全に同じ!!」

そんな事を伝えてくれた。

私は見た目にコンプレックスを持っていて、整形を夢見ていた。

なにもしていない正子さんと出会えてうれしいとまで言ってくれた。

なかにはそういう方もいるのだなぁと思った。

まだ若い30代の女の子
私なんかよりとてもしっかりしている。
お店に入って注文するのもその子で、私はついつい妹感でいっぱいになった。

「まさこさん、どこにだしたりとかしないので、写真撮ってもいいですか?」と言われて…悩んだけれど一緒に写真を撮った。

私、まさこさんの見た目も好きですよ!と、さらりと言った。

お仕事を通して、出会った子
ありがとう。



ずいぶん若い頃だけれど、売れる前のゆずが好きだった。


素朴に歌う2人が作る音楽が好きだった。


もう聞かなくなった音楽が急に懐かしくなりユーチューブで聞いた。


私はいろいろなことがありすぎて、おかしくなった。

友達は私の行動にきっと不安になっただろう。


ずっと申し訳なく思っていた。


連絡もとれなくなったけれど、今のSNSの時代に不思議なことに友達になった人の友達の名前のところにでていた。


友達から連絡が来た。


謝ってもあやまりきれないくらい迷惑をかけた事を謝ることができた。


「まさこさんは、なんにも悪くないよ」と返ってくるばかりだった。


あの時は本当にありがとう。




今日は、精一杯頑張ったけれど作品は一つしかできなかった。

いつの間にか眠ってしまった。

ある夏の日、ビーチサンダルで姉と散歩をしていた。
もう姉は結婚し散歩になんて行かなくなったけれど、家にまだいた時は散歩に出かけたり、買い物に行った。

私は友達が多くはなくて、姉のようになりたいと思っていた。

姉はどこか男前でがんがんおごってくれるし、誕生日にはしわしわのお金があって「お誕生日おめでとう!好きなもの買って!」と、書いてあった。

私は必ず出世払いをすると約束をした。

甥っ子にもう買わないで!と言われるくらい欲しいものを買った。

サンダルで歩いていたら、痛くなってきて…

「なんか痛い」と、言ったらすぐにちょっとこのサンダル痛くないから交換と言い出し、交換した。

これは痛いよ!近くのコンビニまでならいいけどやめたほうがいい!と言って、自宅までサンダルは交換したままだった。


ある日
帰れなくなった友達を泊めてあげていた。

私はねてしまっていたけれど、話が聞こえてきた。

「もぅさぁ、、、〇〇ちゃんが男だったらいいのになあ」と言われていて

「なにいってんの!!早くねて!」

「歯磨き粉ない?」と、ずうずうしい友達に男前に「ない!」と言っていた。

思わず笑いそうになった。



兄の呼ぶ声で目がさめた。

左手が車椅子に挟まっていた。

いろんなことを考えると不安になる。

そういうことを先輩に相談したことがある。

先輩は、「まぁちゃん、たいていのことはその時に考えても遅くないかもよ。今こんな事がおこったらと考えて疲れてしまうよ」と。

たしかにそうだなぁとおもった。

ときどき私はトンネルにはいる。

そこは暗くて狭くて辛い。

わからない人には説明をしなくなった。
年齢のせいかな。

ただ、だらけているように見えるのだろう。

辛い時に辛いといえたらいいな。

私が住んでいる街でお買物券がたいていのお店で使えることになった。

地元でしか使えない。

何に使おうかと考えた。
そのままを母に返すと、、あんたが好きなものを買いなさい!と、なんだか日々の疲れからか少し大きめの声でそう言った。

私は2人に少しばかりの甘い物を買いに行き届けようと思った。

私はデブっているのでいい散歩に出かけるこうじつができた。

安いシュークリームの日でも、少し高いお弁当の日でも、両親の喜ぶ顔は同じだった。

その値段やおいしさではなかったように感じた。

少し2人で食べて美味しいねと和やかに話をしている事が私はとても嬉しかった。



感情のすべてを制作の糧に変え、新しい作品を生み出していけたらなにも怖くない。

きっとその途中は苦しいのかなと思う。

毎日いろいろなことがある。

その全ての感情をプラスに変えてポジティブに進んでいけたらいいなあと思う。

昨日は寝ている父のカテーテルの取替日だった。

違和感を訴えてくるのは、毎回のことで私たちはなんとかしてあげたいと苦労するのだが、失神しそうに震えている。

看護師に電話をすると……失神寸前の震えは止まり眠りそうになり目を閉じている。

あーこれは、精神的なものがかなり大きいのだなと思った。

私はいなくてもいいのかな。
私はなんだろうなどと考え込んでしまった。

カテーテルの取替日に震えだしたら、次回から迷わず看護師を呼んだらどうかと私は提案した。

家で面倒をみることは、父の協力も必要になることを、父も理解してほしい。
父は何も言わないし、とことん我慢する。
私の部屋に鳴るベルを鳴らしてくれない。
私は父のそばでつきっきりにはなれないことも伝えても、鳴らさない。

困ったものだ。


今日は午後から近くの眼鏡屋へ。
今までとは違う見え方で、小さい字を見る時に目を見開いて見ても見えない!

スクショをして拡大してから見る!

なんということでしょう。

ほんとうなら、ちょっといいメガネでもしたかったけれど、そんな場合ではないのでチェーン店に行ってなんとなく手にとったメガネにした。

おねえさんは、フィリピンポイ感じの方だった。

お姉さんの小さな文字と、私の小さな文字の感覚が違いすぎて、ケラケラと笑っていた。

そして人が測ってくれたシステムもなくなっており、自分で操縦するタイプになっていた。

海外の方はいい意味でテキトーで笑ってしまった。

ここにね、アゴ乗せてね

全然聞いていなくて私は、ひたいをあてがっていた。

最後までそのままだった。

誰か見て……

違うって気づいても…まっいっか!

その心意気少しでももらいたい。。。

はかれているのか…はかれていないのか…とても不安だったがお金を払った。

お客さま!これねセールになるよ!よかった!

と言って笑っていた。

「お姉さん、私このくらいの文字を見たいのと、字を指さすと、、、それね私も見えないからね大丈夫!」

え!!!!

そういうことじゃないよね…

がはっはっはと笑っていた。

なんでも深刻に考えなくてもいっか。

なんだかこのお姉さんに上司になってほしいと思った。

最初からタメ口だったので、なんだか親近感。

まっいっか!


この猫を描いたのは、ずいぶん昔。

とても昔。

自分が年齢をこんなスピードで駆け抜けていくとは、思いもしていなかった。

とても若い時代に描いた絵だった。
18もしくは19くらいだったことはなんとなく覚えている。

20歳を超えた頃からはそんなに急がなくても……と思うくらいに早かったようにかんじる。

私の絵を描くスタイルもとても早かった。
この絵はほんとに早く描いて早く仕上げていた。

塗り込むのが嫌いな時代だった。

でも、書く前にソートーいろいろなことを考えたり本をよんだりした。

今日も父のバルーン騒ぎで目が覚めた。
父は尿道に器具を入れ排出している。
そのバルーンとやらが悪さをし父は失神しそうに震え始めた。

私は、サリーちゃんのパパみたいな髪型のまま父のベットのところへ行き、母がキレていたので、散歩に行くように促した。

医者からも歩くようにと母も言われている。

私も歩かないととは思いつつ、母が外から帰ってくるととてもニコニコと機嫌が良くなって帰ってくるので、自分のことは後回しになっている。

とにかくわらえれば。
それでいい。
今はそうしている。

父と母にたこ焼き食べる?冷凍だけど、というと2人そろって食べまーす!と。

震えていた父が不思議とたこ焼きによって収まった!
すごいなぁたこ焼きって!
3人でお皿を囲んで、食べたたこ焼きは心にしみる味がした。

これから、また失神しそうなときは、たこ焼きを出してみようと思う。

たこ焼きを奪い合う。
そんななんてことないことがうれしい。



ドンブラコドンブラコと、流れてくる桃もあれば、時々ひっかかる桃も本当だったらあるだろう。

今日のお昼は兄の言う通りした。
私が今日のお昼、そろそろ時間だね。
といいながら机を広げた。

兄からあリがとうという言葉が帰ってきたので、内心私は驚いた。
でも、きっとそれがいわゆる挨拶というものだから、驚かないふりをした。

先日父が9℃を超える熱を出した。

訪問医がたまたま近くにいたり、看護師が来てくれたり、本当に父は運を使い果たすのではないか!と思うくらいに守られた。

数日後友達と食事に行くと…なんだか体調が思わしくなく、友達にもバレて早く帰ることに。

家に帰り熱を測ると、熱があったので、しばらくして氷枕をしてねてしまった。

なんだか起き上がられず、過ごし、父のすべてを母だけにさせてしまった。

わかっているけれど、体が動かなかった。
体温計で熱を測らなくなった。
様子がおかしいときはわかる。

ただ休むことしかできなかった。

母は、何回も呼ばれたり何回ものことで、ついに泣き出した!

このごろは、私が親で母が子どもになったような感覚になる。

「お母さんごめんね!私が必ず手伝う!」

急いで姉にラインした。
「明日の昼空いてる?母とご飯食べてきて!」
と。
余計なことは、詮索しない男前の姉は
「いいよ!お昼前には行くから。」と。

とても話が早いのだった。

母は、めいいっぱい姉と話をしてきて楽しそうに帰ってきた!
子どもになったような無邪気さをあらわにし喜んでいた。

同じところに立つと、母はどんどん小さくなる。
「あれ?お母さん!私背のびた?」と聞くと
……「違うのよ!私が縮んでるのよ!」やーねーと言う。

おかあさん、そのままでいいから、元気で長生きしてね。



私が左手の平をザックリと切ってしまって、意識を失い救急車で運ばれ10針ぬったことを知った知人が、落ち込まなくていいよ!下杉さんは右利きだからと。

その言葉とその裏側にある優しい励ましにホッとした記憶がある。

あれから何年もたった。

左手はリハビリをし痛いけれど頑張ったと自分でも思う。
リハビリは、まだ続くのか…と何となく嫌気がさすくらい同じことの繰り返しだった。

家でやってほしいことは、手のひらを痛いけれどもんであげてと言われた。
お風呂であたためてそうしようとしてやってみるけれど、今でもそれは痛い。

私にとって手を怪我することはとても辛いこと。
誰でもそうかも知れない。
どこも怪我したくないし、病気にもなりたくないと思うだろう。

私は木彫りをすることは無理かと最初から諦めた。

でも知人の優しい励ましやリハビリの先生の粘り強さに私は救われた。

次の展示でも木彫りを展示させていただいた。

誰にでも人生の中で失敗もあるし怪我もある。

なにがあっても負けないでいたい。
落ち込んでも、落ち込んでも何度でもはい上がるゾンビのように。

リハビリ最終日、握力をはかると…成人男性超えてます!っと。