(2010年9月18日 読売新聞)
押尾被告に実刑判決
懲役2年6カ月 致死は認めず
山口裕之裁判長は保護責任者遺棄致死罪の成立は認めず、保護責任者遺棄罪の適用にとどめた。保護責任者遺棄致死罪については、「救命が確実だったと言える程度までの立証が必要」と指摘。
田中さんの救命の可能性については、証人の専門医らの見解が分かれたことから、「確実に救命できたとまでは言えない」とした。
<考察>
この裁判では、「被告が田中さんを助けるつもりがあったのか」、「救命の可能性はあったのか」というあいまいな事象に対し、弁護、検察が真っ向から対立した。
自分の考えは以下の通り。
芸能人としての地位、家庭を失うのを恐れたというのは被告自身も証言した。結局は、救命措置はしていても、途中であきらめ、自己保身のため事件の発覚をうやむやにしようと救急車を呼ばなかったのだ。本当に助けよう
とするなら、たとえそのとき救命の可能性がゼロであろうと救急車を呼ぶ。もし、自分の親が、大切な人が突然倒れ、昏睡状態になり、救命措置を行っても蘇生しないとき、どうするだろうか?誰もが最終的には救急車を呼ぶ。被告の行動は最終的に自己保身に貫かれていて、あまりに身勝手というほかない。
「救命の可能性」は専門医の間でも意見が分かれることであり、明確に判断できない。致死罪が適用されなかったのは合理的だ。
ただ、やはりたとえ救命の可能性がゼロであったとしても、事件の発端から、結末まで原因となっているのは、被告本人の欲望と、身勝手な自己保身であって、この点においてのみ命を落とした被害者、ならびに遺族の心痛は計りえないものがある。
被告は遺棄罪内での最高刑を受けるべきであると考える。
控訴する被告が信じられない。この期に及んでなお何か主張することがあるのか?
すぐにでもしかるべき刑罰をうけ、償っていこうと思わないのか?
どこまでいっても自己保身なのか?
この人にはさらなる懲役が必要まで考えてしまう。