ヴァン・ダイク・パークスのプロデュースするエッソ・トリニダード・スティール・バンドのアルバムがDVD付きで再発されていますが、素晴らしいですねニコニコ



名盤扱いされてるように音の素晴らしさは言うまでもないことですが、映像もトリニダードのカーニバルの高揚感を切り取ったような素晴らしい映像で、アナログの粗い画質と人々の70'sな雰囲気が堪らなくハッピーで懐かしい感じがします。



スティール・パンのようにゴミであるはずの石油のドラム缶から楽器が産まれるということ自体が美しいファンタジーの様な気がします。



海外旅行が夢としか思えなかった時代、馬鹿でかい石油コンビナートがピカピカしていた時代、ケネディが生きていた時代、敵と味方がはっきりしていた時代、コカ・コーラの瓶がセクシーだった時代など、自分が体験していないはずの過去の出来事までが懐かしく感じられます。



足りないものが目に見えて、それに渇望できるなんて素敵なことです。



倒すべき相手が分かっていて、それに殴りかかっていけるなんて素敵なことです。




かつては未来が輝かしいものとして映っていたなんて記憶自体もやがて薄れていくんだと思います。



何かを失っていくことだけが人を人たらしめているなんて考えるのは感傷的に過ぎるのでしょうか?


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昨日は新宿のピットインにブランドン・ロスのライブを見に行って来ました。



歌の入った曲は共演もあるカサンドラ・ウィルソンの様な雰囲気で、透明感のある歌声も素晴らしかったですねニコニコ



静謐な緊張感の中で音が揺らいでいるようなサウンドスケープも嫌いではありませんが、根が単純な僕はブラックロック的な展開を見せるときの方が興奮してしまいますガーン



ブランドン・ロスで言えば昨夜ステージで一緒だった武石務さんもベーシストとして参加しているヘンリー・スレッギルのバンドでの音などが好きです。



セットリストの中にオーネット・コールマンの曲がありましたが、ヘンリー・スレッギルのふにゃふにゃしたアルトサックスの音にしても、ジェームス・ブラッド・ウルマーにしても、ヴァーノン・リードにしてもオーネットの影響の大きさを感じます。



僕の音楽体験の中でも、オーネットのアルバム「Dancing In Your Head」とマイルスのアルバム「Agharta」を聴いたときの衝撃は未だにVIVID(!)に思い出されます。



ソリッドになるかアブストラクトになるかどちらにせよ、僕の好きなブラック・ロック的な響きはこの2枚が出発点だと思っています。



ニューヨークではニューイヤーになってからリヴィング・カラーと24-7スパイズの対バンというブラック・ロック好きであれば堪らないライブがあるのですが、ライブ自体のチケットは取れたとしても、飛行機のチケットやホテルは取れるんだろうかとか考えると躊躇してしまいます。


我ながら行動力がないと恥じてしまいます。


まあそんなことをしてると、相手がいるわけではないのにまた結婚が遠ざかるんじゃないかなんて要らぬ心配をしてるだけなのかも知れませんが…ガーン



今までスティーブ・サラスもフィッシュボーンもバッド・ブレインズも出てることだし、リヴィング・カラーも来年のフジロック辺りで見れないかななんて淡い期待を抱いてしまいます。



ピットインでのライブの帰りは近くの大阪王将で夕食をとってほろ酔いで歩いて帰るという流れがパターン化していますが、悲しくもささやかな幸せを感じてしまいますガーン



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僕の中では漫画太郎先生はドストエフスキーは同列の天才とカテゴライズされているのですが、世間ではどうなのでしょう?



画太郎先生がそのドストエフスキーの「罪と罰」を漫画化すると聞いて胸のざわつきを抑えられるはずがありません。



でも結局読んだところ、ドストエフスキーなんてどうでもよくて軟膏を塗られるババアを「罪と罰」の金貸しのババアにしてみたらどうだろうなんてことを酔っ払いながら思い付いたというだけなんだと思います。



ババアに軟膏を塗る件など、画太郎先生の作品で何度見たモチーフか分からないぐらい既視感があります。



確かにババアの乳首に軟膏を塗ってババアがよがるというのは面白過ぎる絵だと思いますが、ここまでしゃぶり尽くすかというほど繰り返す画太郎先生の執念に感服してしまいます。



ラスコーリニコフの選民思想なんかよりも、ババアが軟膏を塗られる姿が描きたいという思いの方が余程恐ろしいように思います。



巻末にある原作と照らし合わせての解説も面白いのですが、詭弁を弄するとはこのことだとでもいう様な潔さです。



画太郎先生の「これしか出来ない」というか「これしかやらない」という究極的にシンプルな姿勢は、器用貧乏になりがちな現代人に対して自分の限界を受け入れる諦念を示唆しているかのようです。



と言いながら僕自身が詭弁を弄して、言葉を、社会を、そして人間を冒涜しているであろうことは重々承知ですショック!



画太郎先生はババアがおならをする絵が書けなくなったとき、先代の桂文楽師匠ばりに筆を置いて「勉強し直して参ります」とか言って引退してしまいそうです。



ピエール瀧さんとの共著の「虐殺ハートフルカンパニー」なんてタイトルを思い付いただけで勝ちという感じですが、内容は世の中の一体誰が望んでいるのだろうという「樹海少年ZOO1」の焼き直しというとんでもない代物です。



社長がいちいち言う「はえーな」はイラっと来ます爆弾




「罪と罰」の装丁に騙されることなんて世の中にある数々の醜悪な出来事に比べたら、本当に可愛いものです。



とにかく人はフィクションの中でなら、いくらでも自由になれるということを画太郎先生は僕たちに見せつけているのだと思います。



そんなの見せつけるんじゃねーよと言うのが世間のほとんどの人の感想だとは思いますが…ガーン



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