ピート・コージーが亡くなったそうですクローバー



ピート・コージーが参加したマディ・ウォーターズのアルバム「エレクトリック・マディ」も大好きなアルバムですが、僕の中ではやはりマイルス・デイビスの「アガルタ」での演奏が最も印象に残っていますニコニコ



特に何百回聴いたか分からないほど大好きな「アガルタへのプレリュード」ですが、また再生して彼のギターの音を浴びるように聴きました音符



悲壮、絶望、快楽、歓喜、驚愕、畏怖、とあらゆる感情が放り込まれたあような混沌とした壮大な音のパノラマですショック!



マイルスはエレクトリック・トランペットで強烈で強靭なアドリブを奏で、エレクトリック・オルガンをクラスターで鳴らして緊張した世界を作り出し、同時にバンドをコンダクトしながら、世界を一手に背負って、凝縮してみせようとするような強い意志を感じますパンチ!



生半可な気持ちで触れることなど出来ないような恐ろしく緊張感を強いられる音ですが、その音が耳に響いたとき、マイルスの強い意志の凛々しさと優しさに触れるとともに、聴いてる人にも力強い喜びが溢れて来るのですニコニコ



中学生の頃、年上のいとこが初めて聴かせてくれましたが、そのときはさっぱり分かりませんでしたガーン



しかし、今ではこの音の宇宙に魅了されっ放しですニコニコ



そのいとこには感謝してもしたりませんが、フジロックを第1回目のときからずうっと皆勤賞であるという意味でも尊敬していますひらめき電球



このアルバムは、世界観を提示しているような音絵巻、横尾忠則さんの宗教画のようなジャケット・デザイン、マイルスの屹立したカリスマ性と、宗教のような相貌もありますクローバー



そういう意味では、真言密教の曼荼羅や、ピカソの「ゲルニカ」、村上隆さんの「五百羅漢」などと同じような感動があるのですニコニコ



ですので、ピート・コージーはこの音世界の構築に参加していたというだけでも、僕にとっては偉大な存在なのですキラキラ



合掌。



そして、このニュースを知ったソースは、リヴィング・カラーのヴァーノン・リードのツイートだというのも、何か繋がりを感じますひらめき電球



僕の中でリヴィング・カラーのライブ・アルバム「Dread」は、マイルス・デイビスの「アガルタ」と同じような位置付けにあります音符



Twitterをフォローしていても、リヴィング・カラーは海外ではわりと活発に活動しているみたいですし、何度も言っていますが、ぜひ見たいのですニコニコ



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最近はスタックスのライブ、大林宣彦監督の「この空の花」、ヘンリー・ダーガーの画集、立川談志家元の本、芸術新潮の村上隆さん、ブルータスの岡本太郎さんとアートどっぷりの日々を過ごしていましたキラキラ



しかし、僕のような一般的な仕事をしている人間にとってはアート漬けになるのは、ある意味では自分自身を脅かしかねませんガーン



日々の仕事で結果を出してるつもりでも、芸人の友人がいたりすることもあって、創造的に何かを産み出しているわけではない自分を虚しく思ったりしてしまうことがありますあせる



貪欲に感動をもらうだけもらって、自分は誰かに何かを与えることが出来ているんだろうかなんてことも考えてしまいますガーン



ルーチンに陥りやすいところをどうやってモチベーションを高めるかというのは、どんな仕事であっても創造性の関わる部分であり、一緒なのかも知れませんが…ガーン



僕は何かに邁進するよりも、いろいろとバランスを取ろうとしてしまう性分ですが、僕が生来の臆病者だということを表しているのかも知れませんガーン



父親が暴君のような存在だったことが、バランスを取ろうとする人格を形成するのに繋がっているのだと思いますあせる



前の彼女は、ソルフェージュは完璧だし、オペラもピアノも惚れ惚れする腕前の天才タイプでしたが、性格は突っ走るところがプシコのように破綻していたのが堪らなく魅力的でしたニコニコ



彼女には自分には欠けている部分があったということなのでしょうガーン



芸術家になり切れない僕としては、その揺り戻しというわけではないのですが、自転車を買ったり、サーフボードを買ったりとスポーティーにシフト中です走る人



とりあえず下手でもなんでも楽しんでみるぐらいしか能がないのが悲しいところですガーン



こういうときは、聴く音楽もコテコテのフリー・ジャズや抽象的な音像のもの、濃厚なソウル・ミュージックは敬遠して、コンテンポラリーなものの方が心地良く感じるので、ニーヨの「Libra Scale」を聴いていますニコニコ



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少し前のニュースですが、渋谷駅での通り魔事件の犯人が捕まったそうですねひらめき電球



あの時間近辺は僕も渋谷駅にいました電車



被害者は気の毒としか言いようがありませんが、あれだけ人がいるのだから、変なやつの1人や2人いてもおかしくないよなというのも、素直に思えてしまうところですあせる



テレビのコメンテーターは現代のストレス社会を反映しているなんて言ってましたが、統計的には昔からそうたいして増えている訳ではないという見解もあるそうです。



犯人はもともと精神的な疾患を抱えた方なのかも知れません。



あるいは、混雑した駅というストレスの中で人がぶつかったことが、潜在的な殺意を顕在化させたのかも知れません。



混雑した駅という状況だけで、殺意が引き出されてしまうとすれば、理性が決壊してしまう水位は低いと言わざるを得ません。



しかし、理性なんて元々ふとしたはずみで壊れてしまうものなのかも知れません



鬱病の軽症化と同時に、広範化が進行しているというのは、誰もが自分の周りを見渡せば、日常的に実感できるところだと思います。



なんとなく黒沢清監督の名作「CURE」を見返しました映画



ネタバレですが、ストーリーはシンプルで、催眠術の天才的な男が、出逢った人々に催眠術をかけて、殺人を犯させるというものです。



日常の風景にありがちな炎の揺らめきや水の滴りが、潜在的な不安を一気に殺意へと駆り立てるサインになっているのは恐ろしいことですあせる



ですので、催眠術をかけられた人々は、ストレスなど掛かりようがないような穏やかな昼の日差しの中でも、殺意のスイッチが入ってしまいますショック!



そして、この映画のもっとも不気味なところはやっぱり登場人物の不安の有りようが、リアルであることに尽きるのではないでしょうか?



どんな人々も殺意を感じないでいることは出来ても、どんな小さな不安も感じないで生きることは不可能なはずです。



ですので、その不安を表出させることがCURE(癒し)として殺意へと短絡的に結び付けられてしまうことは、本当に恐ろしいことですガーン



そもそも、人々が不安を表出させることが日常茶飯事になっているネットの世界の2ch、ブログ、Twitter、FacebookなどのSNSに夢中になっているなんてこと自体が、実存的な不安に対する処方箋として、何かを求めているのかも知れませんねガーン



今日の午前中の晴れ空が、真っ暗な雲に覆われて竜巻でも吹き荒れようかなんて天気の代わり様は不気味ですあせる




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