この記事を書いた後

私は何もかも出てくる感情を抑圧していることに気づいた。




イヤなことにイヤだと思うどころか

とっさにそれを抑圧していたのだ。



おじさん1号の付き纏いが終わったのは

私が本気でイヤだと行動に移したからではないかと思ったんだ。



曖昧にしていたとき

「イヤだゲロー」と思いながら

逃げてただけだし。

逃げないときもあった。

内側を変えればいいんだとか思い込んで。



だけどずっと気分悪すぎ吐き気だった。。




キモすぎてキモすぎて

私が本気で逃げるようになったんだ。



それは曖昧にしていたものを

明確に「イヤだ!!」と認めることができたからだ。




その曖昧な私の行動は

言い換えると私の気持ちに対する

抑圧だということに気づいたのだ。




イヤなことをイヤだと思っているけど

なぜか中途半端。

それはイヤをちゃんと認めてあげれてないからだ。




ザワザワするのは

抑圧していることにも気づかず

抑圧から逃げ、

本音を見ることに抵抗しているからだ。




で、絶対無理だと表現したら

それは1mmたりとて私に近づかせないように

私がおじさんから逃げることだった。



それってちゃんとイヤだという気持ちを

認めてあげることができていたんだ。



だから現実が変わったし

ザワザワした感情にイヤだと思うのではなくて

「無理、近づかない」とストレートに

私の本音と繋がれた感じだった。




おじさん2号は付き纏いが始まったばかりだ。

その前の嫌がらせをされてたとき

「イヤだ、無理」を表現できなかったのは

負けたくなかったからだ。




その“負けたくない“でさえ

私のイヤだという感情(本音)

への抑圧だったことに気づいた。




嫌がらせはイヤだったけど

どこかぼやけた感じ。




イヤだという気持ちに本気で向き合えない感じだったんだ。

それが抑圧。




私は抑圧が強いから

「イヤだ」という感情より

それに蓋する抑圧のエネルギーで

身体中支配される。




これが今までは抑圧なんて思ってなかったけど

「イヤなこと」をちゃんと「イヤだ」と

ストレートに言えないし思えなかったのはこれだと思ったのだ。




おばさんのちの窓から

監視しているようなことをされるのが

いまだにイヤだと思うけど

それはなぜかというと

おばさんの目が気になるからだ。





気にしてないつもりだけど

本当は気になってるからいつもザワザワする。




だけどこれって何かと思ったら

人の目を気にしてはダメだ(抑圧)

とどこか思ってるからだ。





そのとき昔から人の目を気にして

喋れなかった私を思い出した。

今は克服したけど

30代前半ぐらいまでは

そうだったのだ。




学校の先生や大人に対してはそうだったし

就職すれば上司にはそうだったし

それはなぜだったか考えると

監視をされてるような

そんな感覚がめちゃくちゃ強かった。




で、そのとき私はその監視の目

に対する怖さみたいなものを無視して

自分のその気持ちを抑圧してたんだ。




ビビってはいけないって。

内心バクバクしてた滝汗




その抑圧の感情を

おばさんちの窓から感じてたんだ。




で、それが抑圧の感情だと気づいたら

それえを認めればいいんだと

「人の目を気にしていい」に変えたら

スッと楽になった。




そうしたら

「監視されるのイヤだ」とすんなり

本音の部分を認めることができた。




私は抑圧が強すぎて

なかなか本音の感情を見つけるのも

手放しをするのも

難しかったけど今回、

毎回抑圧していることに気づいたら


抑圧をすぐにしてしまうのではなくて

「イヤだ」がすぐにわかるようになってきた。



抑圧を挟まずに「イヤだ」と

思えるようになったから

何だかスムーズだ。




これが「今の自分に許可をおろす」

ということだ!!!びっくり



このYouTubeのおかげだニヤニヤ