昨日、とてつもなく圧のかかる

私の感情を見つけた。



以前から気づいてたけど

なかなか手放せないみたいで

ある出来事に対してザワザワモヤモヤと

いまだに反応していた。




昨日の記事↓





私を抑えつける感情。

この先に別の感情があるのかな?と思ってたけど

どうやらそうでもないみたいだ。




ただただ抑圧される

感じれば感じるほど

お腹の上のあたりを

グッと抑えつけられるような

重たい体感を感じる。




感じるたびに体が宙に浮くほどだ。




外れない。

感じれば感じるほど罠にハマって行く感じ。。




感じればいいんよね?

自分のものじゃないと気づけばいいんよね?

俯瞰できればできればいいんよね?




そうやってやってるつもりが

外したいという思いが強くなっていた。




一旦もういいやって諦めたら

なんか軽い考えが浮かんできた。




“私のものだ“



外そうとすることを諦めたし、

私の肉体に刻まれたものだからしょうがない

と思った途端「まーええわ」とその感情を諦めれたのだ。




なんと表現したらいいのか。。




嫌だ嫌だと思ってたそれを、

もうしょうがないよねと諦めたということだニヤニヤ

無意識ではあるけど受け入れることができたようだ。




外れないならしょうがない。

その感情が出てくるたび

それが何か分かっているのだから

恐れる事もないという感じかな。





出てくることさえしょうがない。





だからそれを投影した現実の

イヤだと思う人や出来事だって

しょうがないよねという感じ。




その対象の人や出来事に思うというより

私の出てくる感情にだ。





まーいいや。みたいな。

イヤだから逃げる自分がいてもいいや。みたいな。




イヤだと思うことすらそれでいいし

その対象物から逃げることだって仕方ないし

ザワザワすることだって

キモい、ウザいと思うことだって別にいい。





手放すことに執着してたけど

その反対はとっても簡単だった。





手放そう、受け入れよう、感じようと

必死にならなくたって


ただそうなんよ。って思うだけ。




思い込むでもなくて

ただそうなだけ。




猫が昼間にずーっと寝てるのを

ただそのままを眺めるように

ただそうなだけ。




猫=ずっと寝てる(イメージ)


これを知ってるしそれに対して何も思わない。

ただそうなだけっていう、ただそれだけのこと。



例えば自分に子供がいたとして

その子が“怖がり“な子だとして、

ただそうなだけと理解している感じだ。





なくそうとするのではなくて

その性質を理解してあげるだけだったのだ。




だからまたそんな感情が出てきたら

仕方ないよねっていい意味で放置してあげようと思う。





そうしたら

だってそれが私だからしょうがなくね?って

私という人間の観察者の立場の私で

私を生きられるようになる。