カタツムリ
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ありがとう


いつも、沢山の暖かさをありがとうラブラブ

アンジェは暫くお休みさせて頂きますが、こちらで近況報告はさせて頂きますね

数日前から始まっていた、ザワザワ感が、今日 また父の言葉によって爆発してしまいました。

今は、馬鹿をしないようにと自分と闘っている状態です。

今朝、いい加減この家から出ていけ!と言い渡されました。

借家でもアパートにでも借りれば良いと

頭の中はもうパニック

暫く考えていましたが、これは良い機会だと思う事にしました。

今まで、やりたい放題して来た父に、娘と言うだけで、振り回されてきた人生に終止符を打つ事が出来るんだと

私達が出て行った後に
父が住むと言っているけど、仕事も順調とは言えない状態の今、人様の手に渡る可能性は大きいと思います。

家族よりも自分が大事な父
病気になったらどうするんだと怒鳴っています。
病人に向かってです

多分、飛行機が落ちても死なない位丈夫な父ですから、ひょっとしたら、私の方が早く逝くかもと思う程に健康です。

2年程前、主人と大喧嘩した時も、主人の方がやられっぱなしでした。
健康だけでなくて、身体も丈夫で元気な父。
遊ぶお金に困ってきたのでしょうか?

娘家族を追い出したお金で、まだ遊ぶ気でいるのでしょうか?

今、住んでいる家が有るのに、何故戻る理由があるのか
理解出来ません。

過去の父の行動、今だ父から虐待を受けるとは思っていませんでした。

そんな理由から、うつ病が急速に顔を出しはじめています。

身体が悲鳴を上げているのでお休みを頂きます。

特別、お伝えしたい事や体調の良い時等には、下書きの記事を更新出来ればと思っています

馬鹿はやらないと思いますので、心配しないでね

カタツムリ-ファイル1468.gif


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過去から抜け出せない


何時までも、このままで良いのだろうか
何時も、過去がついてまわる
忘れたくても忘れられない過去
先日の法要でお坊さんが話された言葉に涙が溢れて止まらなかった
辛い過去はなかなか消えないものです。
もう4半世紀たつのだから、忘れるのでは無くて、供に歩いて行きましょうと
忘れようとするから忘れられないし、何時までも縛られるのです。
供に歩いていれば、楽しかった思い出がついてきますよ と
未だ、供に歩いて行く自信は無いが、何時かそうなればと思います
哀しみを乗り越えて供に、歩ける日まで
過去に押し潰され、死さえ考えていた。そんな私には、この言葉は痛かった。
そして、暖かかった
何を話した訳では無いのに、心を診られた様で お坊さんに感謝です。

一人ぼっちひとり
いつまでも、ひとりだと
思っていたわたし
気がつけば、廻りには
沢山のひとがいた
ひとりぼっち ひとり今は、笑顔に出逢う
ひとりでは無かった

供に歩ける様になれる
そんな日がきっと来る。だって、ひとりじゃ無いんだから

kawasakiの鷹のブログ



弟と母を亡くし(;_;)

私は、この時総ての希望を失いました。

父は、総て自分の思い通りに成らないと気が済まない性格の上、家族にお金を使うより、自分が使う方を優先する性格です。
弟の保険金も母の保険金も私名義の保険金さえ解約し総てを自分の娯楽に使い切りました。
父と二人の生活は地獄そのものでした。
一言でも反発しようものなら、身体への暴力はありませんが、言葉の暴力は凄まじいものがあります
身体を小さく丸め、大声で怒鳴り散らし机を叩き、威嚇する父、また異常なまでに家系にこだわる父は、養子をと考えており、家から離れる夢も立たれました。

毎日、傷が増える身体、心は疲れ毎日がただ、怯える生活、唯一父が夜飲みに行くと(殆ど毎日)そっと家を抜け出し数時間、私も出かけては遊んでいましたが、時間を気にしながら一人で飲むお酒が楽しい筈が無い。

ただ、寂しさを埋めるかの様に今の主人の優しさに縋り付き一緒に暮らす事を決意(今、冷静に考えた時、無理があるのは明らかだったのに)逃げ出したい、優しさが欲しいとだけ望んだだけだった
父と同居、養子になると言う条件を主人は飲みました。
この時、父と主人の板挟みに苦しむ事は解っていたので、別居を強く主張したのですが、どちらも聞いてくれず、結婚後は父との同居生活に

このころも、本当ならば楽しい筈の新婚生活なのに、自分を傷つける事は辞められなかった。

主人も父も気づいていない。

どうする事も出来ず本気で自殺さえ考え出した時期、初めての子どもが出来ましたが、即緊急入院、絶対安静の上24時間の点滴生活を2ヶ月過ごしましたが、その子は育ちませんでした。

人としてさえ育たなかった。

形の無い子ども、緊急手術

泣くことすら忘れてしまっていました。

家へ戻ってからも同じ事の繰り返し、ストレスで育たなかった赤ちゃんに申し訳なく、暫くは何も手に付きませんでした

多分、この頃はもう、うつ病になっていたのだと思いますが、この当時はまだまだうつ病など知られておらず、一部で知られ始めた頃、わかる筈も無く、ただただ、日が過ぎる事だけを祈りながら暮らしていました。

どうしようもな無い愚痴を最後まで読んで下さりありがとうございました。
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