古代日本の物語りを
覚えている者は幸せである❗️
 心豊かであろうから・・・
 私達はその記憶を印されて
この日本に
生まれてきたにもかかわらず
思い出す事の出来ない性を
持たされたから・・・
 それゆえに稗田阿礼の語る
古事記の物語りを伝えよう・・・


こんばんは😁

Hickey超訳・古事記シリーズ

超訳者のHickeyです😁

Hickey超訳・古事記シリーズ

イマイチわかりにくかった部分を補完するのが

Hickey超訳・古事記:解説版となります☝️😁

このシリーズも回を重ね今日でナント11回目‼️

今回のHickey超訳•古事記:解説版11

Hickey超訳・古事記《中つ巻》の

【Hickey超訳•古事記 20】

【Hickey超訳•古事記   21】

【Hickey超訳•古事記   22】


これの簡単な解説(補足)です☝️😁


その前に【Hickey超訳・古事記 20】

こちらを御覧になっていない方は

下をクリックして御覧ください⬇️



その前に【Hickey超訳・古事記 21】

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その前に【Hickey超訳・古事記 22】

こちらを御覧になっていない方は

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さて…

今回の【Hickeyの超訳・古事記:解説版11】

崇神天皇が崩御した後の話で垂仁天皇の話だがね‼️

崇神天皇の時代になり大和から地方へと軍勢を

派遣したり徴税を行ったりしてだった國が

しだいに大和(日本)になっていく様子が

古事記にも書いてあったがね☝️😊

【Hickey超訳・古事記 20】では

崇神天皇の時代に入りまず読者の皆さんが苦手な

系譜が出てくる😨💦

その後は沙本毘売命(サホビメノミコト)との

少し切ない悲しい愛の物語が…

ここでは悲恋の行方も気になるんだけど

この時代の風習が伺いしれるんだわ☝️😒

この時代には母親の家の力というのは強く

生まれてくる子供の名前育て方について

母親(母方)に決める権利があった事が

沙本毘売命(サホビメノミコト)の段からわかる‼️

この段のあと実際に垂仁天皇は遺言を守り

御子を育てていっとるしな⁉️☝️😊

沙本毘売命(サホビメノミコト)の自死は

けじめというかだったんだろな🙏

沙本毘売命(サホビメノミコト)の御子の

本牟田智和気王ホムチワケノミコだが

出雲大神の祟りで本牟田智和気王

話せなくなったと夢のお告げ…

古事記に関する書物やブログは数多くあるが

志村けんが出てくるのは多分…

俺のブログだけなんじゃないかな🤣



先ほども言ったように崇神天皇の御代に

大和地方から全国へと勢力が広がったため

地方の祭祀権の委譲があったんじゃにゃあきゃ❓🤔

おそらく国譲りの時代に建てられた出雲大社の社が

傷んできてまって出雲勢力が朝廷に対し

『約束なんだで修繕してちょ!』

そう言ってきたんだろうな😅

それに重なるように同時期に何だかの理由で

本牟田智和気王が話せなくなり

それが祟りという話になったんだと思う🤔

重なり祟りの話になったんやろな[e

ちなみにこの話に菟上王が出てくるんだが

俺の住んどる三河に地元にゆかりの神社が…😳

その名も菟足神社(うたりじんじゃ☝️😊




菟足神社は俺の自宅から自転車で

約10分くらいの所に鎮座してんだわ☝️😊




ちなみに菟足で【うたり】って読めた人おる❓🤔




菟足神社

この神社は7世紀後半頃に創建⛩️

菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)が御祭神🙏

Hickey超訳・古事記 ・21に出てきた

菟上王の末裔と言われとるんだわ☝️😊

稲の豊作を願った「田まつり」

風に対する信仰を寄せた「風まつり」

祭祀としておこなわれるのが有名なんだわ🙏

菟足神社にゃ弁慶の書と伝えられとり、

「大般若経」585巻があり

国の重要文化財になっとんだと⁉️😳

他にも徐福伝説もあるんだわ⁉️😳




さて…拝殿へ…




何かがこっち見とるがや😨💦




答えは…どらデカいウサギ🐰




デカっ🤣




賽銭箱にもウサギ🐰




皆さんも東三河に来たら菟足神社

立ち寄って参拝してみてちょ🙏


古事記って遠い昔の話のようで
こうして現代にも我々の身近な所で彼方此方と
色々と繋がっとるで楽しいわな☝️😊



【Hickey超訳・古事記 20〜22】

垂仁天皇の章☝️😊

さっきも言ったけど

沙本毘売命円野比売命の話をみると

古代の結婚についての様子がわかる☝️😊

日本では平安時代くらいまでは

夫は妻の家には通うだけの通い婚😅💦

ほらっ‼️

源氏物語光源氏も通い婚だろ☝️😅💦

ほんだもんだで生まれた子に対しても責任は

母親にあっんだがね😳

垂仁天皇の章・沙本毘売命の段でも

垂仁天皇

『名前はどうすりゃええんだ❓』

『どう育てたらええんだ❓』

そう一生懸命に聞いとるわな😅💦

古代では皇后が何だかの理由で地位を退く際にゃ

後妻を推薦する権利があったんだわ😳

ほんだもんだで沙本毘売命が自害する前に

垂仁天皇

『後妻はどうしたらええんだて❓』

そう聞いとるだろ〜❓😅💦

古代は夫より実家とのつながりが深い時代だで

沙本毘売命最後に兄貴に従い自害するのも

当時の風習がわかると完全じゃにゃあけど

なんとなく理解できる話になってくるんだわ😅💦

円野比売命の話からわかるのは

姉妹婚の制度だがね☝️😊

古代では姉妹で一人の男性に嫁ぐってのが普通😊

円野比売命も他の姉妹と共に

垂仁天皇の元を訪れとるがね‼️

古事記は古代の話だで姉妹婚の制度

全く普通の話☝️😊

ただ垂仁天皇の辺りから姉妹婚は段々と

減っていって皇后は一人で他は妃…

つまり正妻は一人で後は妾…

そんな感じになっていくんだわ☝️😊

ちょうどそんな時代だで垂仁天皇の章には

沙本毘売命円野比売命といった

女性の話が大半をしめるんだと思うんだわ☝️😅

あと最後に多遅摩毛理の話が出てくるわな

その多遅摩毛理

今も垂仁天皇の近くに仕えてるんだぞ😳

垂仁天皇陵を見ると

堀の中に小島があるのが見えるわな

写真でいうと右下辺りだがね☝️😊




この小島に多遅摩毛理が葬られてるんだわ🙏

死してなお側に仕えてるんだわ🙏



さて今宵はココまで😊

次からは景行天皇の章だで☝️😊

古代史最大のヒーローである

あの人がいよいよ登場するぞ‼️

楽しみにして待っときゃあ☝️😊



古事記

みんなで楽しもう✊😊