インパール空港には、Airport Taxiなるものが存在しなかった。
JICAが養蚕支援して、マニプール州=最貧県の支援をしているそうな。
農業以外の大きな産業がなく、経済も発展していないから、Taxiも不要なのだろう。ATMも街中であまり見かけなかった。
人は色々だ。いわゆる普通の”インド”と違う。
正直、日本人と似た顔に出会うと親しみが湧く。
14:30、空港を出てまっすぐ歩いて行くと、オート(リキシャ)の運転手が話しかけてくる。
いつもは無視するが、吾輩には選択肢がない。
前の前の会社の群馬の技術の方で、性格の良い日本人と顔が似ている。
一本道を南下してINA Museumまで40Km-50分、それから27Km-35分戻って
Japanese War Memorial、20Km-30分北上してClassicホテル。合計90Kmがこれからの計画。
Google Mapでみると、INAは定休日の月曜でないのに休みで、通常でも16時まで。
「1,700ルピー」
吾輩の基準は、今の住まいからチェンナイ空港まで、普通の車で80Km 2時間3,000ルピー。
高い・安いを考えても楽しくなくなるので、ぼられてなさそうなら、頼む事にしている。
イチかバチか!
風を感じながら、昔の兵隊さんの道を進む事を決意。
運転手が友達に「Japanese」と言いながら、空港を後にする。
”いい商売だ、羨ましいだろう”という感じ。純真無垢?
これがι(´Д`υ)アツィー夏なら、”兵隊さん、たいへんだっただろうな”となるのだろうが、
冬で季節柄なのか、正直、郷愁を強く覚える。
遠くに山が見える景色は、つくばに似ている。
コロナで約1年間日本に帰っていない吾輩には、何とも表現できない感情が広がる。
冬の田んぼで遊ぶ子供たちがいる。
小学生の頃、大子町で吾輩も遊んだ。
顔かたちも似てて、服装も垢抜けない感じで、タイムマシンで昔の日本に戻ったみたいだ。
もしくは、パラレルワールドに来た様な感じだ。
平地で風が吹きっさらしの中、道沿いに見覚えのある木が植えられてる。
これも日本のどこかで、似た街道を通った気がする。
スミマセン。途中で携帯電話のバッテリーがなくなり、持ってきたPCにつないで充電
しつつ、時々取って写真を撮影しました。行き帰り・左右逆の写真が混在しています。
途中、二つの集落を通りすぎる。
Trip Advisorに、街中のIma Keithel Marketという、女性ばかりの市場が書かれていた。
そこだけでなく、インパールの市場はどこもそうなんだろう。
東南アジアと同じで、働き者の女性が多そうだ。
15:40、インド独立の闘志達を称えるINA博物館に着く。Google Mapの情報通り休み。
残念だが、失敗も悔いなし。中には入れた。
INA=Indian National Army。歴史に埋もれた存在。
ガンジー氏が日本でもてはやされ、実績以上に評価されているが、
彼らなくしてインドの独立はなかった。複雑な想いに駆られる。
コルカタなど東部では今も英雄視される、インド独立の真の立役者、チャンドラ・ボース。
またの名はネタージ―。彼の銅像の写真は撮れた。
道を戻る。
補給を無視して戦線が伸びきって、無謀な戦略、白骨街道云々は、他の人に任せる。
インド国民軍は、独立の高貴な意識を持ち、インド民衆の蜂起を願って歩いた。
日本の兵隊さんは、大東亜戦争の理想うんぬんまで考えていたのかは、分からない。
吾輩の様に、郷土に似た地で、郷土に想いを寄せて、息絶えた人は多かった事と思う。
その結果として、アジア・アフリカでの独立が起き、今があるのは確かだ。
オートの運転手が早く帰りたいからか、遅い普通車をビュンビュン追い抜いていく。
🥶🥶🥶
遠くに煙突。人家や商店以外の建物を初めて見つける。
右手に、ポツンと小高い山が見える。行きも何となく気づいていた。
英国軍と日本軍の激戦の地。
Red Hill
16:30、突く。開いていない。虻蜂取らず。
オートを待たせて、Google Mapで調べていた、少し先の、2019年に日本財団によって
建てられた平和資料館へ歩く。
こっちも16時までの所、他のお客がいて、まだ開いていて、奇跡的には入れた!
兵隊さん達が助けてくれたのかも。
中は写真撮影不可も、ここだけOKとの事。安倍さんの”平和”の筆がある。
「若い日本兵がやってきて、困っているので、食べ物をあげて、一晩寝せてあげた。
次の日の朝、布団?が綺麗に畳まれて、出て行っていた。」という実話が書かれていた。
特筆すべきは戦争関係にこだわっていない事。
古代の歴史から戦後の出来事まで、インパールの人も興味を持つ様に、
展示に工夫されていた。たいへん素晴らしいと思いました。
お礼にポロシャツを買わせてもらう。瘦せねば入らないが。値段忘れた、高くないです。
チケットは外国人でなく、インド在住で30ルピー。
(上は前日のチェンナイ博物館のチケット。これもインド人料金の15ルピー。)
戻ると、運転手があたってくれていて、インド人👴で足を引きずる管理人さんが
カギをあけてくれて、平和記念碑の中へ入る。
これは1994年に当時の厚生省が作った。
碑の両側に日印両国の友好を象徴するコンクリートの壁を屏風状に斜めに配置とネットに
あったが、吾輩には場違いな単なるコンクリートにしか見えない。
この砂岩の真ん中が日本、左右がインドとイギリスを意味し、岩の先に日本があるそうだ。
さらに少し歩くと、戦没勇士之碑。ここは外からのみ。
ここのロトパチン地区の村長さんが自分で慰霊碑を作っていて、
1977年以降に日本人がそれを聞いて、慰霊塔を立てたそうだ。
チナミに、英語で説明してくれるインド人が、ずっとついてきてた。
17時。運転手がそのまま早く帰ろうとするので、管理人さんにお礼で200ルピーをと言うと、
それはいい事ですねと言ってきて、彼だけに渡して出る。
説明してくれた人は何も言ってこなかった。
こういう所ではかねかねとなるのが嫌なのだが、吾輩の心が濁っているのかもしれない。
土の色が赤でRed Hill。合掌
17:40、ホテル着。真っ暗。
🥶🥶🥶
チェックイン時、ビールはなく、自分で買いに行くしかないと聞く。
ネットで見つけていたFOREGEというレストランで豚肉料理を食べたかった。
暗い中で一人の外出は断念。
ルームサービス。メニューは前回お見せしましたが、一部抜粋。
これは、MANIPURI SELECTIONの地元料理を行くしかない!
一つは食べられそうなFish Curry。
もう一つは訳わからない下の三つの中で、Hなちょい悪親父としてはエロのつく
Erombaのnon-vegをチョイス。
ただし両方とも辛そうなので、リスク対策に、炭水化物系でスパゲッティにAglio Olio。
さてFish Curry。
吾輩がインドに来て、カレー・マサラ系料理で、一番😋と思った。
ロクタク湖が観光で載っていたが、淡水魚が取れるらしい。
魚の味は鯉っぽい。ゆえに泥臭いのだが、カレーの香辛料がそれを打ち消している。
そして、(シンガポールのFish Head Curryの様に)魚の出汁がカレーに出ている。
いつものどろどろしていない、さらっとした”つゆ”。
お互い、欠点を補い、長所を伸ばした料理だ。
(バンガロールに行った帰り、まるごと小さな川魚を焼いてマサラで味付けしたのを
食べたのも😋かった。辛いのだが、癖になる味だった。それと双璧だ。)
次に、Eromba。
発酵した魚とジャガイモなどの野菜と唐辛子の煮込みとネットに書いてあった。冷たい。
チャツネの一種だそうで、隠し味なら分かるが、箸休めにはならないと思っている。
不思議な味である。いい経験をした。
(あくまで個人的に例えで言うと、栃木のしもつかれや塩麹、奈良漬け、そんな感じ。
吾輩は好きでないが、嫌いでもない。体と心が、食べ物と受け付けない感じ。
パイナップルの入った酢豚やタラの芽は、大人になって食べ慣れてくると違和感が
なくなった。これは食べ慣れる事はない様に思う。
塩辛や日本の漬物も、インド人には逆にそう思うのだろうが。)
最後にAglio Olio。オリーブや唐辛子の味があまりしない。しゃれたFried Noodleでまあまあ。
さて端折りましたが、ホテルついて。
地区で最初の三つ星ホテルと書かれており、他みてもどこも同じだろうと思って決めました。
直前になったので、3,400ルピー。
前日の五つ星は3,100ルピーでした。
中はというと、、、そして、、、
ここまでお読みくださり、有難う御座いました。ご笑覧いただければ幸いです。
キリがよいので、アパートに戻る迄の話は、次回に分けて書きます。
分けて書いて、一日ごとにブログに載せる様な、器用な・野暮な真似は致しません。
スミマセン、標題の二分の一二を、三分の一二三に変更しました。
なぜか、本日一日のアクセス数が今までで最高になっております。
(人''▽`)ありがとう☆ございます。
インド時間の1/17(日)中に書きあげて、アップする予定です。