テレビのスイッチを入れると、どんな馬鹿でも、自尊心を満たすことが出来るようになっている。

全ての娯楽は、一番頭の悪い層でも楽しめるようになっているから。つまり、そこには一定の演出(やらせ)が存在するというわけだ。
そして、頭が悪い層というのは、以下のような存在である(短文すら正確に読めない存在・・・)。

彼らは、通常の競争では負けるので、誰かを攻撃することでしか自尊心を満たすことなど出来なかった。だから、以下のような存在になるのは、必然だったのだろう。

国民のレベルがこの程度でしかない社会においては。
報道というものすら、この程度のものでしかない。

これは、「エリートが、特権を守るため、自分以外の存在を常に攻撃させておき支配しているのが社会(富裕層vs貧困層の構造になるのを避けるため)なんですよ」と、マサチューセッツ工科大学教授が指摘しているものである。


富裕層が、富裕層として富を保有し続けるためには、国民の同意が必要である。そのためには、矛先を変える存在を大々的に宣伝し、洗脳する存在(テレビなど)が必要というわけだ。
これが、現代社会の裏側である。
テレビの画面をつけるだけで、努力もなしに、自分は尊敬される存在だ。自分は特別な存在だと思えて、何かを攻撃できるのは罠なのだ。
多くの人が、テレビをつけて眺めているのは、馬鹿に出来る存在ではない。自分は他人を馬鹿にしていると視聴者が信じているとき、番組制作者から本当に馬鹿にされているの存在は視聴者なのだ。
ところで、多くのシステムは、愚かな大衆を支配するために構築されたものである。
例えば、前回の投稿で、精神科医という金持ちに、貧乏人が相談するという構造を批判した。
金持ちが、貧乏人の相談に乗るというのは、以下の本音がある以上、根本的な解決にはならない。その一方で、この構造は、エリートには有用である。社会制度に矛先を向けないよう、悩みを持った人々に甘い言葉をかけながら、医者が違うものに矛先を変えておいてくれるからだ。それが、患者自身に矛先を向けるものであっても。

彼らが、優しいという印象を持たせるブームを引き起こしたのは、抗うつ剤などで金儲けをしたかった製薬会社などだが・・・。
彼らの本当の姿はどうなのだろう。
それはさておき。
彼ら精神科医は、彼ら自身が自認する自我がどうであれ、少し残念な能力があるだろう。
精神科医というのは、分析というステージで残念なものがあるのだ。
大半の悩みが貧困から生じる社会で他人の悩みなどを、彼らは一体どういうつもりで聞いているのだろうか?自分自身の特権を譲るつもりなどない富裕層なのに。
そんな状況で、どうして優しいと自認していたのだろうか?
彼らは分析力に、難がありそうだ。
そんな残念な彼らが、やはり・・・。予想通り!
やらかしていた事実の告発があるので、今日はその紹介である。
なお、この投稿などの画像やネタは、ほとんど、そちらから拝借したものだ。
興味があればどうぞ。 この投稿のタイトルの意味は、この伏線です。

