小林まりこ つボイノリオに捧げる歌からばつぐんジョッキーへ(訂正) | TAKのブログ

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主として60・70年代のサブカルチャー備忘録、いけばななど…

はじめに
 お詫びと訂正:記憶違いが一点ありました。欲求不満バンドの記事は昨年の記事でした。謹んでお詫び申し上げ、訂正させていただきます。
 

 以前こういうふたつの記事を書いた。

▼2014年1月22日 「朝起きたら まりこ 33年後のブルース」(テーマ:フォークソング)
▼2013年2月26日 「欲求不満バンド 女の娘が欲しい」(テーマ:名古屋だてぇ)

 上は小林まりこ女史、下はつボイノリオ師の歌をそれぞれ取り上げた。


 で、こんなもの発見!!

♪名古屋のつボイノリオには、足を向けて寝られない♪ とまりこ女史が切々と歌う。
 な~~んでかっ?それは…
 今回は歌詞の解釈はしません。ただただ聴いてちょ。

 まりこ女史がつボイ師に対して感謝の念を、ジョークかましながら真剣に、かつ求愛的にメッセージを歌いあげている。最後は、お下劣に走ってしまってるので、お嫌いな方は、スル―してください。でも、キワキワすり抜けているという感じがしております。

 名古屋にシンパシーを持ってる人、必見!、ナンセンス・ソングフリークな人必見!(おなじみ出っ歯のつボイ師のイラストがそこにおるでよ~)、名古屋が嫌いな人も必見!(考え方変わるかも?ンな訳ないだろ)、嘉門達夫が嫌いな人は…必見だで!





 以下まりこ女史とつボイ師と直截には関係のない話ですが、PVに出てきた「多田しげお」という方に関した名古屋ネタです。だからテーマが「名古屋だでぇ」を選択しております。

多田しげお 途中CBCアナウンサーの「多田しげお」という人の名とイラストが出てきます。彼にもまりこ女史は感謝の念を歌っい込んでます(途中で前髪がペロンとはがれてしまう、長嶋茂雄みたいなひげ剃り跡をしたイラストの人)。彼は現在つボイノリオ師の前の時間帯を担当している方。
 1972年、ワタシが小6の時、関西学院大学新卒でCBCに入社したアナウンサー。午後の中京地区の高聴取率番組「ばつぐんジョッキー」の金曜日パーソナリティ、高橋基子さんの「アシスタント」に、新卒ながら抜擢され、その声の良さとうぶさ加減が、中京地区の奥様方の心をとらえた。(当時は本名の「多田茂男」で出演をしていた)。後に深夜放送に移った時は「ミッドナイトDJたぁくん」と名乗っていた時期もあった(いつまでだったかは、知らんけど…)。
 ウブだったしげおチャンももう65歳。定年を迎え、特別職として今もつボイ師の前、朝の中京圏に爽やかさを届けている。 

高橋基子 一方メインパーソナリティ高橋基子さんの芸能界デビューのきっかけは、ニッポン放送のラジオ番組『ザ・パンチパンチパンチ』(平凡パンチ提供)のパーソナリティ「パンチガール」のオーディションに合格したところから始まる(1968年6月スタート)。初代パンチガールは、高橋基子(モコ)、川口まさみ(ビーバー)、シリア・ポール(オリーブ)の3人。かの「夢で逢えたら」のシリア・ポールさんとご一緒だったんですよ。

 この番組は提供が『平凡パンチ』なので、言うまでもなくパンチガールはお色気路線を走っていった。また「モコ・ビーバー・オリーブ」として、レコードも数曲リリースしている。初代パンチガールは1971年6月で番組を「2代目パンチガール」に譲る(2代目には海老名みどりがメンバーにいた)。ただしこの番組はワタシが聴きとれる近畿・東海へはネットされていなかったし、受信できたとしても、さすがに子供すぎて聴くはずもなかった。そして翌年、ばつぐんジョッキーで高橋基子さんを知ることになる。

 そう、ばつぐんジョッキー金曜日は、お色気からきたモコさんと、大学新卒の多田くんのからみが、番組として面白かったということですね。ちなみに他の曜日では坂東英二氏と上岡龍太郎が曜日をまたいで「ドラゴンズ」と「タイガース」の話題で丁々発止していたことも、中京圏での話題を振りまいた。余談だが、野球を引退し、牛乳販売など事業もうまくいかない坂東氏を芸能界に誘い入れたのは、上岡氏だった。今でも坂東氏は上岡氏を芸能界の師匠だと思っているようだ。

 ところで、高橋基子さんのお茶の間での認知度は、フジテレビ系列で放送されていた『スターマル秘ドッキリ報告』で、寝起きを襲うお姉さんとしてお馴染みだったのではないか。でもそのときは、お色気の微塵もなく、人懐っこいオバチャンというイメージへと変身していた。お色気は完全に封印していたようだが…
 高橋基子さんはテレビからすっかり姿を消して四半世紀を過ぎようとしている。今どうされているのかなあ。

パンチガール


 ちなみに…向って右側が「モコ」こと高橋基子さん。1960年代終盤の撮影のはず。お綺麗でした。