TAKのブログ

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主として60・70年代のサブカルチャー備忘録、いけばななど…

 ついに明日(12月9日午後8時)  「The W」の決勝。9月17日に一回戦でのにぼしいわしさんのステージングに隠された可能性について、ブログに書いたところ、スススッと決勝戦までのぼりつめた。2人はテレビ映りは地味になるかもしれないが、実力は申し分ない。やり切って欲しい。

 

▽以下過去ログを再掲出しておきます▽

 

 今回ご紹介するのは「にぼしいわしさん」。大阪を拠点とするスパンキープロダクション(*1)所属の芸歴7年目(所属事務所歴は3年目)の女性コンビです。

 

 とかく女性漫才師、特に若手と呼ばれるうちは、とびぬけて目立たないと印象に残らない。というのは若手芸人を応援する層は若い女性が中心となっているのがご時世だから。その中で同性のハートをつかめる女性芸人は、「女性あるある」をネタにはじけるキャラとそれをおさえる、あるいは同調するというコンビネーションを成立させているコンビ、または身近に起こった出来事を力技(ちからわざ)でつなげていくコンビ、あるいはちょっと年上の「姉御風」でカッコいい芸人さんとその相方のコンビといったところになるだろう。 

 

 これをベースにちょっとプロトタイプを崩した方法論があるとすれば、「女性性」を捨て下品なキャラをみせる方法、勘違い(イタい)女を演じる方法、インキャを前面に出す方法などがあるか。

 ここであえて「芸がうまい女性コンビ」というバリエーションを外したのは、お笑い好きな若い女性層には、芸歴が中堅以上でないと「認めない」という空気が、ア・プリオリに(当所から組み込まれているかのように)存在しているのではないかと思われるからだ。

    

    △向かって左:にぼし(ボケ担当)・右:いわし(ツッコミ担当)

    ※スパンキープロダクション宣材写真より

 

 なんだか固い文章を書いている。しかもコンビの例を挙げないで文章を進めているとは思う。というのは、この二人はちょっと色合いが違うコンビであり、ぜひ面白さを知ってほしいと思いが「分析風になってしまう」ことを承知の上で書いている。ネタバレにならないように気をつけながら引き続き筆を進めよう。

 

 にぼしいわしさんたちをインディーズライブで初めてネタを観たときに、先日突然解散したミーハーパイソンズさんとは違った衝撃が走った(*2)。「なんだ?この味わいのあるボケ。それに対して正面(90°)からではなく、それこそ60~80°くらいの斜めからの角度で、1.5秒くらいの間をおいて入ってくる突っ込みは!」吉本の漫才劇場入りを競う若手芸人のバトルの場「Up To You」ではお目にかかれない芸風。この二人にものすごく興味がわいた。それから生の舞台を6回観た。3回目観た後で彼女たちのことを書こうと思ったけど、もう少し観ていくと、まだ新たな発見があるんではないかと思い、今日に至った。

 

 所属事務所のスパンキーは彼女たちの漫才動画をあげてくれている。時間軸をさかのぼって動画を観ていくと、この1年半くらいで格段に舞台運びがうまくなっていることと、顔つきに自信がついてきたのがわかる。それは単に舞台数を思いっきり踏んできたことだけではない(*3)。芸に真摯に向き合ってきたという軌跡が伺える。

 かつては漫才の定番とでも言うか、ボケのにぼしの「見た目のヘンさ」をいわしが突っ込むというスタイルも垣間見えていたが、ここのところのネタ運びは、思わずうなってしまうようなしかけを組みこませている。それがもっとも発揮されたのが「The W」予選1回戦でかけた「トイレ掃除おばさん」のネタだった。

 ありきたりなTPOを設定し、そこに「不条理なストーリー」の体現者としてにぼしを解き放つ。おそらくお客には「自在に動いているよう」に見えているにぼしが、TPOにからめとられそこから脱出できないというシチュエーションを、俯瞰者としていわしが「注釈」のようにそのアクションを、1.5秒遅れくらいで解釈し、3~5の解釈のうち1・2くらいの割合で、ある種「哲学じみた」突っ込みを入れていく。

 本人たちが意識しているかどうかはさておき、「ドラマトゥルギー的手法」をもって漫才を展開しているのだ。

 

金の斧・銀の斧ネタ ⇒「イソップの規制緩和」というツッコミがツボです

 

 この論理と非論理の境(はざかい)に自分たちを落とし込む舞台運びに、もうひとつ重要な要素を構成しているのが、二人の「動線」である。多くの漫才コンビが立ち位置から動かない、あるいは動いても半径60㎝ほど(この距離は大阪人の個人テリトリー、つまりこれ以上近づくと不快に感じる距離)、そうでなければ話芸ではなく、動きで見せるネタとして舞台空間を大きく使うのだが、このケースだとストーリー展開で笑わせるという大味な漫才になり、それこそ「話芸」からは「距離を置いて」しまうことになりかねない。

 

 二人の漫才の味となるベースとして、「ザ・話芸」というか、コンビ間の微妙なズレの面白さにあるのだが、試みとしていくつか動きの入るネタも披露している。半年ほど前にはあるネタでいわしが立ち位置の上手に消えるというのがあったが、これは高度成長時代からよく採られたた手法で、「技―わざ」というほどのことではない。

 しかしトイレ掃除おばさんのネタでは、二人の動線が図のように展開され、小劇場のステージ空間を効果的に使って物語を演出している。奥行と横幅を使いながらおばさん(にぼし)の仕事空間を確保し、それを俯瞰しながら語りかけるように、独白調でチャチャ入れ風の「注釈」をいれる(いわし)。つまり物語における実質上の登場人物はにぼし一人で、いわしはナレーション的な注釈を入れる役割である。それぞれの空間を創り出して役割を遂行していく。

 

 つまり「二人が居る空間」が異なるという暗黙の了解を、舞台の空間をうまく使って展開しているということ。こういった仕掛けを(おそらく「直勘」で構成しているのだろうが)用いながらネタを進めている。何気にステージをみていると気づかないだろうが、ここにきて二人は、それこそ「ステージ」が一気に上がったと、少なくともワタシにはそう感じられる。

 

 この空間の使い方を「時間軸」として用いはじめると、まさしく「オンリー・ワン」のコンビとしてゆるぎない領域を作っていける可能性があると、勝手にだが思うのだ。

 この二人は若手とくくられるけど、実に「玄人受けする」コンビと言えよう。そしてこれを期ににぼしのルックスいじりは封印となるのではないか。自らの芸風が確立されると、普通の芸人が手軽にやってしまう、ルックスをいじる必要がなくなるからだ。

    
 まあ、それ以上に二人が少しずつ自信が出てきて、「いい顔」になってきたこともあるけど(^_-)-☆

 

△女子大生の素人漫才のような風情の頃

 

*1:スパンキーさんは東京へも進出を果たしている

*2:ミーハーパイソンズさんは書く前に「かけなく」なってしまった。

*3:松竹芸能をはじめスパンキーやUMEDA芸能所属の「やる気あふれる芸人さん」は、インディーズライブなどで場数を踏んで(お客がひとケタのライブで悔しい思いなども飲み込みながら)成長していってる。