フライディ・チャイナタウン 泰葉 | TAKのブログ

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主として60・70年代のサブカルチャー備忘録、いけばななど…

 タイトルにある「フライディ」の歌詞中の英語綴りは "金曜日" の「FRIDAY」ではなく、"飛ぶ" を意味する「FLY-DAY」である。

 泰葉…高校は東京都立芸術高校。音大に落ちて芸能活動をはじめる。松本伊代や少女隊にも曲を提供するなど、シンガーだけでなく、ソングライターの側面もある。

 この曲は、81年9月にリリース。2か月後ファーストアルバム「TRANSIT」にも収録されている。ワタシは当時、ようやく合法化されたレンタルレコード店で借り、SONYカセット90分(グレードは一番上のもの)に入れ、まあまあ聴いた。しかし率直にいえば、この曲以外にはあまりグッとくるような曲がなかった。「アリスのレストラン」に至っては、その意図がわからなかった。

 アレンジャーは、同年寺尾聰氏の名アルバム「Reflections」の編曲を手掛け、一躍時の人となった井上鑑氏その人。このフライディ・チャイナタウンの編曲も冴えている。一回聴いたら忘れられないイントロ・アウトロのエキゾチックなメロディライン。しかも微妙に変調を重ねている。曲も最初からサビが展開され、突き抜ける泰葉の声に、この曲へ聴く者の意識がすっと引き込まれていく。

 井上鑑氏…絶対音感を持つ人ってどういう風に音が聞こえているのか。そしてどのように音をつなげれば、魅惑の曲が出来上がるのだろうか。そんな想像をめぐらせてみていた。オレってまずその絶対音感ってやつ、ないもんな。

泰葉


 泰葉…「爆弾娘」である。2007年、衆人の知ることになった、元夫春風亭小朝師を罵倒した言葉「金髪豚野郎」はあまりにも有名。芸能界復帰にかけて脚本家の田渕久美子と、芸能事務所「アイアン・キャンドル」を共同設立。代表取締役に就任したものの、お金にまつわるトラブルで、田渕夫妻を罵倒。名誉棄損で損害賠償沙汰までなっている。これも離婚と何らかの影響があったのかもしれない。ちょっと、心が不安定な状態だったものと思われる。

 それより20年ほど前のこと。大阪MBSラジオ「ハローナショナルショールーム」で、たかじんと共にパーソナリティを担当していた。ある回に(今世間をにぎわせている?)辻仁成が在籍していたECHOESがプロモーションのためにゲスト出演したことがある。以下その時の顛末。

 辻をはじめグループのメンバーは2人から何を質問されても無視したり、「CDを買ってもらえればわかる」としか答えないなど、横柄な態度をとっていたため、番組自体がスムーズに進行しなくなってしまった。


たかじん泰葉 当初比較的冷静に対応していたたかじん・泰葉もしびれを切らし、ついに泰葉がたかじんに「やっちゃいな!」と言い放ち、それを受けたたかじんが録音ストップを指示、「ほんならわざわざここに来んと、CDだけ売っとったらええやないか!!」と激怒、譜面台を投げつけるなどの暴力行為に発展、一時ショールーム内は騒然となった。たかじんの言としては「しゃべるのが嫌やいうんなら、FMに出ろや!ここはAMや!」。おっしゃるとおり。
 ▲以上ウィキ記事を参照

 この番組で二人が担当していたのは85年4月~87年4月。ワタシは大阪を不在にしていた時。実にその番組を聴きたかったという気持ちがやまないのだが。結局たかじんは辻たちの見下したような振る舞い(とりわけたかじんの目からみると「お前ら、大阪バカにしとんか、おぉ~っ!」ということだろう)に、ガスが充満。我慢の限界まで来ているところに、泰葉がマッチに火をつけ、ぽんと放り込んだようなもの。爆弾娘だ。

 たかじんと泰葉はそれ以前から同局で一緒に番組をしており、たかじんは泰葉のことを結構気に入っていた。「豚野郎」や「名誉棄損」のときも、自身の番組に呼んで、大いに語らせている。

 また今の正蔵がこぶ平だったころ、大阪まで来て、なぜかたかじんのことを「兄さん!」と慕い、押しかけ付き人をやっていた時代もある。これには二人の母、海老名香葉子さんは、たかじんをつれてくることをこぶ平にミッションを与え、家に来させて、泰葉と一緒に寝かせようとしたという話もあるようだ。「たかじんone man」(MBSテレビ)で、たかじんと泰葉がしていた昔話で聞いたことがある。どうやら海老名家はたかじんという男を欲しがっていたようだ。