虎退治 | 中川清秀公・本陣

中川清秀公・本陣

 郷土豊中の歴史を調べていくうちに出会った戦国武将・中川清秀。知名度は低いけど、実は男気あふれる魅力的な人物。此度タイトルを「中川清秀公・本陣」と改め、清秀公の魅力について皆様と語り合いたいと思います。ご意見、ご感想、情報など宜しくお願いします。

皆様お元気でお過ごしでしょうか。えー突然ですが今回は『虎退治』のお話です。虎退治といえば清正公(せいしょうこう)こと加藤清正の虎退治が有名ですが、なんと中川家にも虎退治にまつわる話がありました。


時は天正二十年、太閤秀吉の命を受けた中川秀政公(清秀公嫡男)は意気揚々と海を渡ります。その時のお話・・・


諸陣騒動す、敵出るかと見るに、其郷に隠れなき大虎陣々にて人を喰ひ、此方の陣に飛来る。渋谷弥右衛門二十間計りにて見掛け、薙刀を取直す処、弥右衛門に飛掛り、冑(かぶと)の鉢に喰付き喰伏る時に、弥右衛門兼て虎ハ猛獣二て、死たるものハ喰ハずと聞し故、空死して居けバ、虎冑を放し一、二間飛しさり(去り)うなり(唸り)居る・・・・

                               中川氏御年譜 秀政公(原文はカタカナまじり)


えっ諸陣を驚かせていた「人食い虎」が中川藩の陣所に出没!渋谷弥右衛門に飛び掛かった!兜の上から頭をガブリ!とっさの事にも弥右衛門さん、少しも動ぜず『虎は死んだ者は食べへんって聞いたことがある!よっしゃここは死んだふ(空死)りや!』←おそらく関西出身。大阪府池田市の渋谷か?

虎は飛びのきましたがまだ警戒して唸り声をあげています。弥右衛門さんの運命やいかに!


下村太郎太夫中次、御本陣より鉄砲を掲げ馳付け、間合三十間計りにて撃んとす、虎真一文字に飛来る居り敷き、十匁筒二ツ玉十間計りにて放つ、過たず中(あた)りて虎二、三度飛上り小谷に落ちて死す。

                               中川氏御年譜 秀政公(原文はカタカナまじり)

得意げ助かった!下村太郎太夫さんなかなかの銃の名手です。もちろん中川公よりご褒美を賜ります。


人をも数多喰ひたる虎を撃止る事、(秀政公の)御感(関心)浅からず、当時の御褒美として、茶緞子の御陣羽織に穀餅紋(中川家の替え紋)付きたるを、御手自ら下し置かる・・・・

                               中川氏御年譜 秀政公(原文はカタカナまじり)

さて、弥右衛門さんもお褒めのお言葉をいただきました。


・・・弥右衛門空死の事、落付きたる仕形なりと感ぜらる。

                               中川氏御年譜 秀政公(原文はカタカナまじり)


ところで朝鮮での虎退治の話って有名ですが、なんと虎は朝鮮軍の戦術だったことが中川史料からわかりました。


朝鮮人味方の陣頭に虎を放ち掛けれバ、櫻井五兵衛利之剛弓の精兵たるに付、御下知(命令)あって虎を射る、二匹共にこれを射留む、御感浅からず、即座に御賞誉あり。

                               中川氏御年譜 秀政公(原文はカタカナまじり)


朝鮮軍には「猛獣使い」がいたのか・・・でも中川家には鉄砲の名手や弓の名手がいて頼もしいです。余談ですがこのあいだテレビで「クマと出会ったら死んだふりをしたらいいというのは迷信です」って言っていましたが、虎と出会ったら死んだふりするのもありかも・・・(あっ兜被ってなきゃダメか・・・)ちなみに清秀公の幼名も加藤清正公と同じ「虎之助」。もしこの時までご存命であったら虎との一騎打ち!?があったのかも。。。

ところで『二ツ玉』ってなんでしょう。連発銃?中川藩には最新式の火縄銃が?ご存知の方教えてください。