儺国、那珂川。
この地には実在する神がおられた。
神話はこの地の彼らの伝承と、星の名から作られたのではないか。

 

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★目次

☆1 三つの海峡

☆2 須佐の星

☆3 坂本峠と神功皇后

 

  三つの海峡

(「儺の國の星」16、諏訪星(すわのほし)より引用)

当時はまさに有明海が脊振と耳納四王寺を三つの海峡で仕切っていた時代でもあった。南の烈風は激しく潮波をたてていたのであるが、有明海なる名の由来が遠くギリシャ古語の xiak(カイヤック)にあったことも知らなければならぬ。

 

 

有明海が、脊振と耳納四王寺を三つの海峡で仕切っていた。

神話の「筑紫島の四つの面」は、これを意味する。

 

図1 地図はGoogle map

 

脊振が西

耳納山地が右下、高良大社のある所

四王寺山は、上の真ん中にある。

 

 

図2 左 海面上昇シュミレーションシステム

右 Google map

 

西の天原。

高天原の地が、建日向豊久士泥別だった。

 

この四つの面のそれぞれに関わるのが、高良神と神功皇后。

神話の初めの神であり、彼らが二柱の天照、饒速日命と御炊屋姫。

(直近で何度もあるので省略)

 

 

  須佐の星

(「儺の國の星」16、諏訪星より 引用)

 

須佐之男命はまさにスハヒル即ち諏訪星を神格化した存在であったかもしれない。天照大神は日神であり、月讀命は月神であり、そして須佐之男命は星神であった。遠い祖先が人間の生活に時間の区切りを教へる空間的存在の一つであった。

 

...”すさ”は方位の古語で東南、即ち辰巳(巽・たつみ)を言う。漢人の率土(そつと)の倭訓である。

 

(以下、要約)

大陸の者にとって、東南に展開する太平洋は、無限の空間は地獄であった。

 

 
すさとは率土であり、無限の空間の地獄。
すさは須佐星であり、そのイメージは須佐之男命を表している。
 
前回も書いたが、神話は古代の生活に密接であった自然現象(そのイメージなど)を神格化したものだと思われる。
 
その神々の名は、「儺の國の星」に書かれた星などに繋がる。
それは、那珂川に伝わるものであった。
 

裂田溝(さくたのうなで)

 

神話の神はこの地の「二柱の天照」。

男神天照は高良神であり、饒速日命だ。
日月星、海、蹈鞴、雷とすべての神は、彼ら二柱に集約される。
 
彼は大和を後にして、筑紫に移っていた。
 
では、後の為政者は、神がいない地で政を行っていることになる。
それが神話で「(神武天皇に)大和を譲った」ことにされた理由の一つでは無いか。
 
この地には、最初に記紀を作られた天武天皇がおられたのだ。

葵祭りを京都に移した天武帝(とその周り)が、この地の彼らの伝承、星の名を元に「神を創り上げた」のかもしれない。

 

 

  坂本峠と神功皇后

(「儺の國の星」16、諏訪星より 引用)

肥後境の坂本峠(五三六米)や綾部峠(四九七米)を越す旅人は...
 
綾部峠は、今の七曲峠。
両峠は脊振山と九千部山の鞍部にあり、肥前筑前街道の暗部になる。
このルートは佐賀へ抜けるルート。
 
肥前筑前街道*亀の尾峠
 
神功皇后は土地の山に登り神事をしている。
山には神がおられる。
ゆえにそれは、実際にしていたことだろう。
ならば、ここを通ったはずだ。
 

地図はGoogle map

 

このルートは、麓の岩戸からならば往復48km、13時間、総標高2100m超え。

 

彼女は、臨月で若杉山に登った伝承もある。

到底、身重では行くことは出来ない。

 

妊娠期間は今の日付にすると451日。

通常よりも半年も長い。

 

「石で遅らせた」とのおとぎ話が許容できる期間ではない。

では、何かが虚偽なのだ。

(以下、詳細)

 

 

 

(つづく  )

 

 

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