神功皇后が土地の人と造ったという裂田溝 。
総距離5.4キロ。滞在期間5か月?
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★目次
☆1 神がおられる地
☆2 裂田溝とは
☆3 「日本書紀」での工事期間
神がおられる地
ここに神田を定めて作る。
時に儺の河(那珂川)の水を引いて、神田に引こうと溝を作る。
(岩波文庫「日本書紀」参考)
神功皇后は、神田に水を引く為に裂田溝(さくたのうなで)を造った。
今その地には、現人神社がある。
神がかりで現れた、住吉神の元宮だ。
福岡県那珂川市*現人神社
他でもない、「神話の彼女」はこの地の住吉神の為に、神田を造ったのだ。
ここには筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原、その地名、地形、全てがあった。
住吉神は、全ての神。
ゆえに、神話のイザナギ神はこの地で神々を生み出した。
それは、この地を舞台にした物語になる。
この地に「神」がおられたから、神話が作られたことになる。
他の地名は、彼が「祀られて」いる場所に過ぎない。
裂田溝とは
彼等の時代から、使われ続けている日本最古の水路。
これは以前の記事。
裂田溝の語源は、「日本書紀」の記述にある。
迹驚岡(とどろきのおか)にいたるに、大磐塞がりて、溝が作れなくなった。
皇后、竹内宿禰を召して、剣鏡を捧げて神祇を祈りて、溝をと通すことを求めた。
その時、雷が激しくなりその岩を砕いて水が通った。
この溝を裂田溝と名付けた。
(岩波文庫「日本書紀」 参考)
武内宿禰が神に祈ると、雷が岩を裂いた。
それが写真左の岩盤。
では紀によると、少なくともここまでは掘り進でいたことになる。
川の那珂川から1.4キロ。
しかし当然だが、川から引き込んだ水は、川に繋げなければ流れない。
また、水を引き込むには、川の水かさを上げる為に堰を作らなければ流れてこない。
そこまでが「水利工事」になる。
(図1 地図はYAMAP)
「日本書紀」での工事期間
「日本書紀」では、裂田溝はどれほどの期間で造られたとあるのか。
はっきりした日付は無いが前後にある。
(図3 地図はGoogle map)
その前の日付が
夏4月3日。
肥前国松浦郡の玉嶋里の小川のほとりで鮎を釣る。
(玉島神社*★12)
皇后、橿日浦に戻って、髪を解いて海にすすぐ(★4)
裂田溝の記述(★13)
秋9月10日*大己貴神社の地(★14)
船を集めて兵を集う。
★考察
★12の玉島神社から★4の香椎宮まで54キロ。
一日20キロだとして、余裕もって3日。
4月6日には香椎宮と仮定。
香椎宮から那珂川まで17キロ、一日。
香椎から次の日に出発したとして、4月7日に那珂川。
(普通は何泊か休むはず)
↓
那珂川で裂田溝を造る。
↓
那珂川から朝倉の大己貴神社まで22キロ、約1日。
9月9日には、出発しなければならない。
では、那珂川滞在は、約5か月。
太陽暦でもおおよそ同じ。
その5か月で、裂田溝と一の堰が造れるだろうか?
今の重機をもってしても無理だろう。
ゆえに、地元の歴史研究会などは、彼女らが造ったことに否定的なのだ。
しかも、うなでを造る前に、身重で脊振に登って神事をしている。
到底、無理な話だ。
彼女の妊娠期間自体、絵空事であった。
山に登っていたが、身重ではなかったのだ。
451日もの妊娠期間は、そうではなかったことを告げるものであった。
では、彼女は裂田溝を造ったのか。
( つづく )
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小分けなので分かりやすいかもです
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