神話の神が実在した者ならば、「この国の初め」であるはずだ。
それゆえに神として据え、未だに崇めているのである。
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★目次
☆1 国の初め
☆2 神話の時代
☆3 卑弥呼
☆4 紀元前660年
国の初め
神話の神はこの二柱に集約される。
高良神が饒速日命。
彼は住吉神であり、天照大神。
大己貴神、大国主神であり、三輪の大物主神。
鹿島神、春日神、志賀神(綿津見神)ほか。
その后の神功皇后が、饒速日命の后の御炊屋姫。
彼女は市杵島姫命、宗像神、豊受大神、女神の天照ほか。
では、神話は時系列では書かれていない。
すべて同じ神なのだから。
そこにある親等も創作なのだ。
高良神は筑紫の国魂。
宗像神も筑紫の神。
高良大社
大和から筑紫へ。
それが彼らの軌跡。
神功皇后の伝承に、住吉神が現れ、社に共に祀られるのは、彼らが共に生きた夫婦ゆえであった。
饒速日命と神功皇后。
「国の初め」である神武天皇と絡む饒速日命と、15代応神天皇の母の神功皇后。
その二人が夫婦ならば。
神話の時代
彼らの伝承が神話の元とは、彼らが国の初めの者ということになる。
彼らは未だにこの国の最高神。
その血を受け継ぐことが尊ばれるほどに。
では、国の初めに、彼ら以上の者はいなかったことになる。
彼らはいつの時代か。
☆神話の神(国の初め)
☆彼らは2世紀半ば~3世紀半ば人物。
☆大和と筑紫の両方に存在した。
(大和から筑紫へ移った)
*****
彼らの時代は3世紀前後と推測される。
☆高良大社の麓にある祇園山古墳の造営が3世紀半ば頃。
☆彼は祇園神(下社が祇園さん)。
☆后は神功皇后。(「高良玉垂宮神秘書」)
☆大社合祀の豊姫が、彼女である。
祇園山古墳は、古来から大社の関係者により、大切な聖地と守られて来た墓。
祭神の后であればこそだ。
これは、魏志倭人伝の卑弥呼の時代だ。
卑弥呼
「日本書紀」は、他の書の説を記載している。
神等違えど「そのどの説も正しい」ゆえの記載であった。
神功皇后の項にそれはあった。
魏志倭人伝を引用している。
「三十九年。是年(ことし)、太歳己未、魏志に云はく、明帝の景初の三年の六月、倭の女王、大夫難斗米等を遣して、
郡に詣りて、天子に詣らむことを求めて朝献す」
(岩波文庫「日本書紀(二)」より引用)
少なくとも日本書記は、彼女が卑弥呼だと想定しているのだ。
神功皇后は高良神の后であり、3世紀半ばの北部九州(及び大和)に存在した。
その頃の最大の勢力、また、後世に神話になる程の影響力を持つ者である。
魏志倭人伝の「卑弥呼」だと、ほぼ確信している。
彼女には甕依姫(みかよりひめ)の名もあった。
筑紫の伝承「命尽くし神」と「高良玉垂宮神秘書」の高良峰の伝承から繋がるその名。
☆神功皇后、豊姫、織女神(市杵島姫命)=御炊屋姫=甕依姫。
☆高良神、白日別、ツヌガアラシト、忍骨命(忍穂耳命)、饒速日命。
(以下の記事、二つは概要)
神は漢字一つで意味を成す。
大陸に伝わった「ひみか」が彼女の当時の名と推測している。
漢字で当てるならば、日甕。
日の神の甕。
甕は、神に供える器の意であり、転じて仕える者、巫女。
彼女は撞賢木厳御霊天疎向津姫の名を持つ、女神天照。
賢木は榊であり、神の依り代を意味していた。
「ひみか」とその名は同じであったのだ。
紀元前660年
神武天皇でさえ、彼らの伝承を元にした者であった。
紀元前660年に彼が即位したことは創作になる。
では、神話の「神功皇后」登場するまでの間の人物は、三つの可能性がある。
☆1 全て彼らの伝承を元にした創作。
ヤマトタケル命は、これに当たる。
天照の社を決める旅に出る倭姫命も、その可能性が大いにある。
彼が祀られる神社を巡っているのだから。
☆2 後の者や、地方の人物などの伝承が混じっている。
☆3 彼らの後に存在した者。
彼らの時代(3世紀前後)に合わせて、「神功皇后」として当てはめた。
この全てかもしれない。
尚、応神天皇について、以下の記事で触れている。
祖父にあたる(父の仲哀天皇の父)は、ヤマトタケル命。
推定西暦110年前後。
応神天皇は4世紀後半からと推定されている。
実在の「応神天皇」が最初の天皇であり、皇祖である二柱の天照=神功皇后と仲哀天皇(高良神(住吉神)の代わり)の御子とされたと推測される。
( つづく )
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