続きです。
神功皇后行軍路、この回で終わり。
秋月八幡宮の後、愛宕神社へ。
神功皇后が陣をはった「椿の森」と呼ばれていた。
(上の案内板より)
南に広がる平地で大血(決)が行われました。
現在、千原(血原)という地名で残っています。
それ以降も、秋月氏が古処山麓に城をかまえる約一千年の間、賀美の里(神の里)と呼ばれ栄えていました。
彼らはこの地でも羽白熊鷲と戦った。
それは、高良玉垂宮神秘書が告げる「異類」。
多くの血を流し、それでも尚、神の里と呼ばれたのは、彼らの力のおかげだろう。
秋月方面
この風景は、1800年前もきっと変わらない。
この後、彼らは荷原の方へ向かっている。
そこで羽白熊鷲を退治したという。
そちらへ行った時の記事。
「あまぎ水の文化村」に羽白熊鷲の塚があるそうだが・・・。
中に入らないといけないので、未だに機会がない。
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大根地山から、いくつか山を登り、神事。
あまぎで羽白熊鷲を退治。
この距離をわずか3日ほどで行けるはずがない。
まして、林田の美奈宜神社の地でも、羽白熊鷲を退治している。
日本書紀の神功記に書かれた行程は、数日間では到底無理なのだ。
各神社に、名を変えられた神は、彼女と異類を倒した高良神。
彼らは「筑紫神」。
大和に帰らず、この地にずっとおられたのだから。
ここまで来て胸のつかえが取れたので、車を置いた大己貴神社へ6キロの道のりを戻った。
秋月、朝倉に流れる小石原川。
大己貴神社に到着。
(1)大己貴神社(赤丸)~(2)阿弥陀ヶ峰~(3)目配山~(4)老松神社~秋月
~(5)秋月八幡宮~(6)愛宕神社~(1)大己貴神社。
24.7キロ、6時間ちょうどだった。
(2は彼女は行ってない)
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
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