続きです。
荷原の美奈宜神社には、神功皇后の伝承があった。
そこから約9キロ。
そこから約9キロ。
林田にも美奈宜神社がある。
林田の美奈宜神社。
扁額ではこのような字。
当たり前ですが、社や、神の名が書かれている。
拝殿。
ご祭神は、大国主神(大国様)
素戔嗚尊(ぎおん様)
事代主神(恵比寿様)
上の縁起と合わせて、神社で頂いたパンフから要約。
1800年前、朝倉の住民は古処山に住む羽白熊鷲(はじろくまわし)という山賊に長い間苦しめられていた。
神功皇后は、安曇磯良神(あづみいそらしん)から賜った潮干珠・潮満珠の霊力により蜷貝の一夜城を作り、羽白熊鷲を征伐した。
神功皇后摂政2年(西暦202年)神功皇后は三韓から帰国後、航海中船中で戦勝を祈願された、素戔嗚命、大己貴命、事代主命の出雲三神をお祀りする場所を決めるため、肥前国高橋の津から一羽の白鷺をお放ちになった。
白鷺が舞い降りた地の近くに出雲三神を祀る社を建てた。
社名は蜷城(になぎ)を美奈宜(みなぎ)あて、美奈宜神社となった。
(延喜式内名神大社 美奈宜神社 パンフより要約)
これより多くの事が分かる。
★1 神功皇后は、安曇磯良神から干珠満珠を授かる。
★3 三韓へ行く船の上で(助力を得た)のは、素戔嗚命(スサノオノミコト)、大己貴神、事代主神の三神。
★4 その三神を祀ったのが、美奈宜神社。
★5 福岡の伝承では、神功皇后は西暦200年前後。
謎解きは次回。
境内の摂社に、「十九神」が祀られている。
延喜式に名がある社を式内社と呼び、筑前国は十一社あり、ここには十社あった。
右から、宗像大社、住吉神社、志賀海神社、竈門神社、筥崎八幡宮、筑紫神社、織幡神社、麻手良布神社、志登神社、大己貴神社
そして、この美奈宜神社で十一。
そして、この美奈宜神社で十一。
この時点で行ってなかったのは、麻手良布神社と志登神社。
そちらは、またの機会に。
そちらは、またの機会に。
十社と別に白峯神社があった。
崇徳天皇が祀られ、悪習、縁切りの御神徳があり、非常に人気だそう。病気との縁切りも含まれる。
もう一つ、摂社の淡島神社。
女神さまで婦人病などに御神徳がある。
ご祭神は、天照大神の六女、淡島様。
住吉神と夫婦となられ、婦人病にかかったことから淡島に流されたとされていた。
この淡島様、神功皇后。
この時は理屈ではなく、お顔を見た時にそう思った。
次回、謎解きへ。
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