続き 

 

高良大社の旧豊比咩神社の社地を探索。

周りをぐるっと一周してみる。

 

高良大社の本殿には高良神と共に豊比咩神が合祀される。

元々は高良山の麓にあり、後に合祀されたとのこと。

その場所へ。

 

目的地は下の地図の1になる。
青い線の中は、ほぼ私有地なので入れない。
 

(地図1*1の星印が旧豊比売神社の地
*地図はYAMAP)
2の数字の辺りが下の橋。
 

(写真1*橋)
2の橋に立ち、1を見たところ。
左に見える小山(1の場所)にかつて、豊比咩神社があったのだ。
 

(写真*2 案内板)
案内板。
御手洗橋の名の起こりについて記されてある。
 
池の南東の玉垣は、高良の神がここで御手を洗って山に登られた、といういわれのある井戸の名残り
 
ここにも高良の神が関わっていた。
このような一つ一つのいわれが、 この場所(の神)との「縁」を物語る。
 
この橋の右側の小さな島の上にあるのが、厳島神社。
御祭神は市杵島姫命(弁財天)。
 

(写真*3 厳島神社の島)
厳島神社は、この小さな島の中。
 

(写真*4  厳島神社の祠)
祠が見える。
 
島の上にあるが、写真1の橋は、向こう側(奥)に導いる。
それが写真1の小山。
 橋の奥にある白い車の先がこの場所。
 

 (写真*5  旧  豊比咩神社の参道)
 
フェンスがあり、参道の石段が残されていた。
これがかつての豊比咩神社への道。
(地図1の2の数字の右下辺り)
 
この先は私有地なので、様子を伺い知ることは出来ない。
ぐるっと一周してくる。
 
地図1のS(スタート)位置から上の線を左へ。
4が高良大社の下社。
別名、祇園さん。
 

(写真*6  高良大社の下社・祇園さん)
高良神である饒速日命は、須佐之男命(祇園の神)でもあった。
故に、ここが祇園さん。
 
ここから、高速の高架下を潜り、祇園山古墳へ。
 
 

(写真*7   祇園山古墳の案内板)
 
時代は3世紀頃とされ、殉葬者60人以上。
卑弥呼の墓の比定地とされている。
 
彼女が卑弥呼でもあるので、ここがそうなのだ。
「神功皇后」の眠る地でもある。

(写真*8   祇園山古墳  石棺)
 
祇園山古墳の上。
石棺は草に埋もれていた。
遠く脊振が見える。
長めのいい場所を占地といい、位の高いものが眠るということ。
 
彼女が高良の神の后であるから、かの神の山の麓に眠るのだ。
しかも「祇園山」と言う名。
神功皇后も祇園の神の一柱。
 

 (写真*9   旧豊比咩神社周辺  池)
 
さらにぐるっと回って。
地図1の3から1へ進むと、左手に池が見えた。
地図1の南(下)にある池。
段差があり繋がってはないですが、地図では左右にあるよう。
(左手は私有地で柵がある)
 

(写真*10   旧  豊比咩神社  跡地)
 
1を過ぎ、道路に交差した地点から、1の小山を見上げたところ。
この奥に旧豊比咩神社があった。
 
この旧社地を囲み点在する池と橋。
これらは弁天池。
(奈良の廣瀬大社のようにぐるっと囲ってなくとも意味を成すよう)
 

高良大社に高良神と共に祀られる豊姫は、弁財天であり、市杵島姫命であるということを示す。

 

 

 

( つづく )
 
 
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