前回の続き。

 

*高良大社の高良神は、住吉神であり、饒速日命(天照)。

*住吉神は神功皇后と夫婦であり、共にイルヰ(羽白熊鷲・熊襲)退治。

*饒速日命と御炊屋姫は夫婦=

  神功皇后、甕依姫(卑弥呼・ひみか)は、彼の后の御炊屋姫。

 

 

☆ 高良神・饒速日命の后 

 

ホツマツタエでは、天照(饒速日命)には12人の后がいるとされるが、すべて同神。

すべて名を変えた彼女。

 

彼、饒速日命を祀る高良大社の伝承、高良玉垂宮神秘書には、三柱の住吉神の名がある。

その内、末の底筒男神の后が神功皇后。

長男の上筒男神の后が豊姫であり、これが神功皇后の妹。

次男の中筒男神は(なんと)神武天皇。

 

 


しかし、住吉神は一柱。

では、神功皇后と豊姫は同神ということになる。

 

実際、高良大社の本殿には高良神と共に豊比咩(とよひめ)が祀られていた。

夫婦でないものを一緒には祀らない。

彼女が神秘書の神功皇后なのだ。

 

この豊比咩(以下、豊姫)、もともとは高良山の麓に神社があった。

別荘地にするというので、手放したのだそう。

(下の地図の1の場所)

 

(旧 豊比賣神社*地図はYAMAP)
 
この地図を見て気づいた。
この旧社地の周りは弁天池の形をなしているように見える。
実際に行ってみた。
(それは次回)
 

 
1を2の場所から見た所。
1は、左のお山の上。
今はこの橋の右手前に厳島神社の小さい祠がある。
 
しかし、厳島神社の神は市杵島姫命であり弁財天。
かの神を祀ることを示す弁天池の形であるなら、橋を渡る向こう側(1)の場所にあるはず。
 
しかもこの橋の大きさからすると、相当大きな社(あの小山ごと)になりそうだ。
そう思っていたが、ここが豊姫の旧社地とは。

これは高良大社に高良神と共に祀られる豊姫は、弁財天であり、市杵島姫命であるということを示す。
 

市杵島姫命(弁財天)から繋がる豊受大神は御炊屋姫。

 

 

つまり、

豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=神功皇后=豊受大神=御炊屋姫

 

ここでも饒速日命と御炊屋姫は繋がる。

高良神は間違いなく饒速日命。

 

 

 

豊姫は、豊前豊後の神。

その一之宮に祀られるのが、神功皇后と宗像三神と言われる姫大神。*1

彼女らは同神であることが分かる。

また、彼女が御炊屋姫であるからこそ、豊姫は豊受大神でもある。

 

 

 

次回、番外編で旧豊比咩神社の探索へ。

 


( つづく )

 

*1 豊前豊後の一之宮
豊前の一之宮は宇佐神宮。

豊後には全国で唯一の二つの一之宮があるが、その二つの社の神は同神。

「天照」を祀る宮を格下にするわけにはいかなかったのだ。

*西寒八幡宮*仲哀天皇、応神天皇、神功皇后

*柞原神社*天照大神、月読尊、天忍穂耳命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、イザナギ神、イザナミ神、天児屋根命、経津主神など
すべて彼らと同神。

特に経津主神の名が見える。

石上神宮の神であり、饒速日命。

 

 

 

 

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