彼ら「祇園の神」は祓いの神でもあった。
神のペアは幾通りもあり、重ねられる。
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< 筑紫の鬼退治 >
世が未開で混沌として草木が話していた時代のこと。
北海の浜に「夷の類」という狂暴な鬼が攻めてきて、人民を殺略した。
その時、大己貴神と宗像神は稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には退治した。
これは福岡県福津の渡半島にある楯崎神社の伝承。
大己貴神と宗像姫が「夷の類」と戦い、その後の時代に神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈っている。
すぐ側の波折神社では、神功皇后が凱旋した時、住吉神と志賀神と瀬織津姫が鼓島で邂逅していた。
*住吉神と志賀神と神功皇后は祇園祭の神。
*住吉神と志賀神は同神。
*住吉神は高良神であり、饒速日命、天照大神。
*大己貴神は大物主神(大国主)であり饒速日命。
*宗像神は市杵島姫命、弁財天、御炊屋姫、豊受大神、瀬織津姫。
*住吉神と瀬織津姫は祓いの神。
*住吉神(高良神)と神功皇后は夫婦であり、イルヰ(異類)退治をしていた。
条件を全部合わせると、同神であることが分かる。
祇園祭の神である住吉神と神功皇后が、大己貴神と宗像神、饒速日命と御炊屋姫。
筑紫にはこのような彼らの「鬼退治」の伝承が数多ある。
鬼、イルヰ、異類、羽白熊鷲。
様々な呼ばれ方をしているが、それは人ではない。
火で防ぐ、神が助力するなど祭りが物語る。
苛烈を極める戦いの状況が今でも語り継がれていた。
それを忘れないように。
祭りや伝承が継がれていくのはそのような想いがあるのだ。
彼らが「祓いの神」とされるのは、そんな異類を退治をひたすらしていた故。
祇園さんは須佐之男命でもあった。
< 神話の須佐之男命 >
神話では、祇園の神である須佐之男命は八岐大蛇を退治している。
出雲神話と言われるが、出雲大社の大国主神も饒速日命。
大国主神=大物主神=大神神社の神=大己貴神=饒速日命
では、須佐之男命が退治したという「八岐大蛇」は何?
「出雲国風土記」にはこの伝承は存在しない。
彼が饒速日命ならば、後の時代に出雲に勧請された時に、移されたと思われる。
出雲には、筑紫にあるような苛烈な闘いの記録はない。
祇園の神が住吉神と神功皇后(饒速日命と御炊屋姫)であるから、須佐之男命の八岐大蛇退治は彼らの異類退治を示唆している。
そのほとんどが筑紫に於いて。
筑紫は異類との攻防戦の地であった。
各地の伝承は、神の勧請と共に移され、その土地にあったものとして語られたのだ。
神話の神は全て彼らであり、その物語も彼らがおられた筑紫での出来事になる。
また、神話は幾重にも意味を持つ。
★たたら製鉄にまつわる話。
八岐大蛇の話には、斐伊川が登場する。
福岡にも樋井川(ひいがわ)がある。
(その名の由来は後のもの)
樋井川が流れる脊振山系は花崗岩の地質であり、磁鉄鉱は花崗岩から採取される。
博多湾にはこの磁鉄鉱が海辺にあり、手軽に採取されるという。
ゆえに製鉄が盛んだったらしい。
八岐大蛇の話は、そうしたたたら製鉄にまつわる物ではないだろうか。
★水利工事。
氾濫した川の工事をしたというのも、八岐大蛇退治の神話の元になったのかもしれない。
彼らは、奈良の亀の瀬の大和川開削をしていると推測される。
八大龍王は彼自身であり、「春日龍神」や「平家物語の剣の巻」の龍神も彼なのだ。
八岐大蛇は、彼の息子だと平家物語にはある。
それは彼自身だと示唆したものになるだろう。
日本の神は、ほとんどが彼ら二柱に集約される。
では、神話の神も(最初の方の)ほとんどは彼らであった。
彼らの「異類退治」も、神話の中で様々な形で繰り返し語られていた。
それが祓いの神、住吉、瀬織津姫。
高良神と神功皇后。
饒速日と御炊屋姫である。
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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