続きです。
< 建日別 >
筑紫島は身一つにして、面が四つあり。
その一つが、建日別。
そこは熊襲の国であった。
面が四つある筑紫島は、高良神と神功皇后の時代。
なぜなら、白日神、豊日神は二人を表しているからだ。
*御炊屋姫は宗像神(豊日別の地)。
(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~」)
自分が推測するAD200年頃の筑紫平野の状態)
*海面標高5m付近
彼らは羽白熊鷲と対峙していた。
まさに、古事記に記されていた「熊襲」。
この地域に本拠地があった。
< 熊襲とは >
それは、高良神と神功皇后の伝承の中にある。
神功皇后は、この辺りで度々、神に祈っていた。
高良の神を祀る神社に、それを示す祭りがある。
大善寺玉垂宮では、鬼夜という、日本三大火祭。
(彼らは同一神)
毎年、正月七日に行われる、
「祭神が妖怪退治をした有様を示すもの」
(大善寺玉垂宮HPより)
相手は桃桜沈輪(ゆすらちんりん)。
それも熊襲の一つであり、異類。
*火を使う祭りであるから、人ではないと思っていたが、神社にはそのまま伝わっているよう。
*神社などの伝承ではこの二柱は、必ずどちらかしか描かれていない。
藤大臣は高良神の「神秘書」での表記。
そこには彼女もいたはず。
(ここも後にアップします)
そこには神功皇后の羽白熊鷲退治の伝承が集中的にあった。
(高良神は安曇磯良や、住吉神、武内宿禰、藤大臣などと名前を変え、伝承の中で共に戦っている。)
下の紫の丸で囲った地域。
冷水峠。
神功皇后は、その側の大根地山に天神地神を招き、助力を得たとされる。
羽白熊鷲という熊襲を退治する為だ。
羽白熊鷲。
その本拠地拠が、朝倉の秋月の古処山(下の図の10)にあったとされる。
また、馬見山(下の図の11)の北側にも神功皇后が進軍し、羽白熊鷲を退治したという伝承がある。
図1の古処山を中心に地図に表した。
5が冷水峠。
1 天照神社(饒速日命が天照国照彦天火明櫛玉饒速日の名で祀られる)
2 笠置山(饒速日命が降臨した山)
3 大分(だいぶ)八幡宮(神功皇后が三韓征伐の後、軍を解体し、大分かれをした地)
4 大根地山(神功皇后が山頂で、天神地神を降臨させた)←羽白熊鷲を退治する助けになる。
5 冷水峠(羽白熊襲(命尽くし神)がでたシタクラツクシ坂)
6 砥上岳(三韓征伐の後、ここで剣を砥ぎ、山頂に登り、武御雷神を祀った)
7 松峡八幡宮(羽白熊鷲の征伐の時に立ち寄った)
8 大己貴神社(三韓征伐の時に兵が集まらないので、ここで大己貴神に願った)
9 目配山(神功皇后が山頂に登り、秋月の様子を見た(目を配った))
10 古処山(羽白熊鷲の拠点とされる)
11 馬見山
12 宇麻見神社(物部の神社)
13 射手引神社(秋月に出た物と同じものがここに出て、神功皇后が退治したという。次の回に書きます)
熊襲=羽白熊鷲であり、ここに本拠地があったから、ここが建日別なのだ。
さらに、それを退治したという神功皇后が、「建日別」に関わる証にもなる。
熊襲国が建日別。
古事記の表記は、それだけが後の世に伝わったのか。
尚、記紀による「神功皇后が筑紫にいた一年ほどの期間」では、これらの伝承をすべて成し遂げることはできない。
( つづく )
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*ここでは、余談になるが。
私自身、三韓征伐は、無かったと思ってる。
その伝承は、羽白熊鷲と一緒くたになってると思われる。(三韓征伐は後の創作か)
上の三韓征伐に関わるものも、熊襲の伝承。
8の大己貴命神社では、新羅討伐(三韓征伐)の折に、兵が集まらなかった為、神に祈ったとされている。
しかし目の前に、熊襲の本拠地がある。
それは、三韓征伐の為では無く、熊襲征伐の為であることは明白。
次は、神社へ寄り道。
( つづく )
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