三輪の神が、奈良湖の水を引いていた。

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★目次
☆1 八幡神社
☆2 時代
☆3 裂田溝

 

  八幡神社

 

この図を見て、最初に気になったのが「二つの八幡神社」。

 

「亀の瀬」の側に大和川を挟むようにある。

 

現代でも大工事の後、その場所には記念碑が置かれる。

それはその人への労いであり、感謝の表明でもある。

それが大変であった、古代なら尚更。

 

この「二つの八幡神社」も、それを表しているのではと?

つまり、この水利工事をしたのは、「八幡神」とされるもの。
 

「峠八幡神社」と「藤井八幡神社」。

御祭神は八幡神。

周辺には数多くの八幡神社があった。

(藤井八幡は、元はもう少し西にあったそう)

 

 

ここの開削をしたのは、三輪山の神、饒速日命。

本来ならば、彼を祀る神社があるはず。

しかし、彼は後に名を変えられている。

 

それは、かの神が八幡神でもあることを示す。

 

 

彼は住吉神であり、神功皇后と夫婦。

神功皇后の御子は、応神天皇であり、八幡神。

 

しかし、神話伝承の親等は当てにならない。

全ての神が彼らなのだから。

八幡神は、応神天皇であり、饒速日命自身だ。

 

 

亀石は彼に繋がるのである。

そして、八幡神の母とされる神功皇后とも。

 

 

  時代

 

最初に触れた、奈良湖の水が引かれた時代も彼らから繋がる。

 

高良大社の下社は祇園さんと呼ばれていた。

主祭神の高良神が祇園さんなのだ。

 

さらに高良大社の麓にあるのが「祇園山古墳」。

古くから大社の方々に守られて来た。

その造営が3世紀半ば。

 

卑弥呼の時代である。

 

大社の本殿に合祀されているのが豊姫。

后を共に祀るので、彼女が「神秘書」の神功皇后。

 

祇園山古墳と神の名を冠する被葬者は、彼女なのだ。

 

高良神は饒速日命である三輪の神。

 

よって、奈良湖の水は3世紀前後に引かれたことになる。

 

 

  裂田の溝(さくたのうなで)

 

「亀石」からもう一つ繋がることがあった。

 福岡那珂川市の「裂田溝(さくたのうなで)」。

上記に書いた「神功皇后」が指揮して造ったと言われる水利施設がある。
 

ここに「亀島」があった。

 

(裂田溝)

日本書紀にもある、「日本最古」の水路。

古代の水路が今まで残り、活用されてるのはここだけだとか。

 

 
「亀島」はここ、裂田神社の側。
正確には跡。
手前の岩になる。
 
ここは神功皇后が、武内宿禰に祈らせると雷がなり、大岩を砕いたとされる箇所。
彼は雷の神、武御雷神。
(武内宿禰も住吉神、饒速日命)
案内板です。

 
中央辺りに、「現在地」とあるのが亀島の場所。
 

案内板のアップ。
武内宿禰が祈ると雷が岩を砕いたという箇所はこの「亀島」。
 
 
中央の少し盛り上がっている場所全体が亀島。
 
彼らは同神であり、この地でも「亀島」を開削していたのだ。
 
 
案内板にある調査当時のようす。
 

 

亀島のすぐ横に、裂田(さくた)神社がある。 

神功皇后が祀られている。

 

この工事をしたのが彼らだという証になる。

 

那珂川には高良神が若い頃に住んでいたという猫嶺岳もあった。

(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)

 

ここに彼らは存在していたのだ。

 

裂田神社

 

福岡の那珂川には現人神社があり、彼は住吉の神。
神功皇后と夫婦であった者。


住吉神は饒速日命であり、
神功皇后は、彼の后の御炊屋姫。

彼らが、この「裂田溝(さくたのうなで)」を土地の人と造り上げたのだ。

「彼ら」にはその技術があった。
それが「干珠満珠」「十種神宝」の力としても伝わっている。

 

 

また、奈良の「亀の瀬」にあった「亀岩」。
その側の「八幡神社」。

 

それは、「八幡の神とされる者」がその工事を指揮したことを意味する。


裂田溝の先には那珂川があり、その取水口の側に「伏見神社」がある。

 

 

岩戸神楽や磯羅舞が奉舞される社。
御祭神は「淀姫」また、豊姫。
神功皇后の妹ともされるが彼女自身。

ここには白なまずの絵が掲げられている。
なまずが「神功皇后が三韓征伐の折りに、船を先導した」と伝わっているからだ。

磯羅舞の中では、豊姫が「二つの玉」を海神から授かる。

この時、海の底には白なまずに乗っていったという話や、
淀姫が白なまずの姿をしていたとか、白なまずが神の使いとも言われている。


なまずに乗って海の底へ?
良く似た話があった。

 

浦島太郎の話だ。

 

後に八大龍王→志賀海神社の神の綿津見神→高良神→饒速日命

と繋がっている。

 

籠神社の神など酷似の伝承は、同神を意味していた。

 

 

 

籠神社の籠の意味は
「海の底へ行ける水が入らない籠」

「空を飛ぶ光る籠」


それが、ある伝承では「亀」であり、「なまず」。
また、彼が饒速日命であるので、アマノトリフネ。

 

皆、同じものになる。