続き。

 

< 時代 >

 

饒速日命と神功皇后。

二人の時代はどう重なるのか。

                      

☆「高良大社」や「香椎宮」、筑紫にある多くの社の伝承では、神功皇后を「卑弥呼」の時代に比定している。

200年頃、神功皇后が筑紫に来たと。

☆魏志倭人伝では、230年に卑弥呼に親魏倭王の印を送ったとある。
卑弥呼の宗女とされているのは「イヨ、またはトヨ」。

 

神功皇后は豊姫でもある。
*神秘書では神功皇后の妹が「豊姫」とされている。

 しかし、高良大社の本殿には豊姫が合祀=神功皇后。
(后以外は一緒に祀らない)
*神話の山幸彦海幸彦、豊玉姫は彼らの伝承を元にしている。


卑弥呼の時代。

この国の初めの時。

では、饒速日命の「時代」もその時ではないのか?

 

そうすると、

卑弥呼、神功皇后、饒速日命の時代が重なる。


 

 

< 古代奈良の湖 >

以前、饒速日命の時代について、考察した。
「古代奈良」には、奈良盆地には巨大な湖があった。

 

その水を引いたのは大物主である彼。

明日香の亀石はそれを伝えていた。

 

 

 

 

 

それが、上記地図の左側の真ん中にある「大和川河床開削」。
 

上記サイトにこうある。

*********
ここを開削すれば、水が大阪側へ流れる。
弥生時代に九州から奈良に到達した農耕民である弥生人がこれに気づかぬはずがない。
(中略)

(今から2000年前頃にはあったという)唐古遺跡。
唐古・鍵遺跡の環濠は弥生中期後半に洪水で埋まり、その後復旧した様子がある。
全国規模の異常気象であれば、各地で農耕不振となって倭国争乱のきっかけとなった可能性もある。

「古代で遊ぼ」より要約

 

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以下、「饒速日命を求めて  ⑨」より

 

「倭国争乱」は邪馬台国の卑弥呼擁立の少し前の話。
この倭国争乱を鎮めたのが、九州から来た農耕民である彼らの「大和川開削」に当たるのだ。

ならば、私が見た「巨大な奈良湖」は饒速日が来る前の状態。

巨大な古代奈良湖
   ↓

饒速日たちが九州から移動して、「大和川開削」。
奈良湖の水を引かせる。
   ↓
*1の状態になった。(濃い青の範囲)
(  湖の周辺は湿地帯になっており、稲を育てていた)

 

  というのが時系列なのかもしれない。

 

 ******

 

福岡の那珂川には古代出雲族が携わった形跡がある「一の堰」がある。
裂田溝(日本最古の水路)も水利施設。

伝承では、神功皇后と武内宿禰(住吉神か)が土地の人が造ったとされている。
 

(裂田溝・さくたのうなで)
 
彼らにはその技術があったのだ。
「彼ら」が饒速日命だからこそ、那珂川と大和にその形跡があるのだと思われる。

 

 

「倭国争乱の後」、卑弥呼は擁立される。

水かさが増した湖は倭国騒乱の原因に大いになりえる。

 

大物主がその原因を取り除いたのなら、同神の彼は、西暦200年前後の者ということになる。

 

 

*倭国騒乱

          ↓

*大和川の開削(饒速日命たち)

          ↓

*倭国騒乱を鎮めたきっかけになった。

          ↓

*邪馬台国、卑弥呼擁立

 

であるなら、


*「倭国騒乱を鎮めた」のが饒速日命→後の天照大神
その后が御炊屋姫→後の豊受大神(女神の天照)

 

卑弥呼は、御炊屋姫ということにならないか?
時代が重なり、場所も同じ。
夫、饒速日命が倭国の騒乱を鎮めた。
ならば、彼女が「卑弥呼」で間違いないのでは?
 

「卑弥呼」が天照大神の夫婦神、豊受大神。

市杵島姫命であり、瀬織津姫。

女神、天照。

「豊姫」も彼女のことだ。

 

 

 < 二つの玉の力  >

 

大和盆地にあった巨大な湖(奈良湖)。
大和川の「蓋が開き」、水がざあーっと一気に引いていく。

陸地が現れる。
 

その映像と共に浮かんだのは、これだった。


出雲大社にある「大国主神」の像。

 

同神であるので、「干珠満珠」「潮満玉 潮干玉」の”玉の力”、そのもの。
二つの玉は、彼の偉業を象徴したものであったのだ。


水の満ち引きを操るという月神。

高良神であり、住吉神。

住吉の神は、海神。
そして、饒速日命。
 

彼らはみな、水を操る「二つの玉」を持つという伝承がある。

同神であるが故だ。
 

 

巨大湖の水を引くという大事業。
大地を広げ、争いの種を消した。
 

本当にあったとしたら、伝承にのこるはず。
人々が、後世に伝えていく。

水を操った人たちがいた、と。
 

ならば、神として祀られるのでは?
大和の大いなる三輪山の神として。
 

大和を開拓したからこそ、三輪山に祀られたのだ。
 

饒速日命は、十種神宝を所有している。
住吉神、高良神、月神。
みな「干珠、満珠」という水を操る玉を持つ者。

彼らは同じ者であり、三輪山の神、大物主神。
 

三輪山の神が彼であるからこそ、奈良湖の水を引いたのは彼であるのだ。

 

 

また、饒速日命は三輪山の大物主神であり、その荒魂は大国主神。
その大国主神にも「幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)」の珠がある。
海から現れたというその珠は、彼を導く。

大和の巨大湖の水が引く映像と共に浮かんだ、出雲大社の多大国主神の像。
それは、二つの事柄の神が、同じであることを示していた。

 
「彼ら」が同じ神だからこそ、「伝承の元」は同じなのだ。
 

 

大国主神の名は、「大いなる国を造った」ことを示す。

国土を開拓し、国を平かにした。


神の鉾   1」にありる、大国主神は国平神ともされている。
 

            *

 

応神天皇が言った
「国平(大国主)の鉾は倭に遷す」


国平(大国主)神、高良玉垂の神は、饒速日命。

彼が鉾を遷す「倭」とは、筑紫のことかもしれない。

彼、饒速日命は、大和の後に、再び筑紫に戻った。
御炊屋姫と共に。

その先の神話が、神功皇后と住吉神。
その後、那珂川の一の堰、裂田溝を共に造ったのだ。

 

なぜ、大和の後に再び筑紫に行ったのか。

それはまた別のお話で。


        *

「二つの珠」

もう一柱の神が所有していた。

( つづく )