(この記事は2013年の10月に記載し、2015年の1月に加筆し2018年の12月に加筆し今回加筆します)
なぜ神社様寺社様に税金がかからないか?
神様に国家鎮護や国民の安寧を祈願する大変大事な役割を神社様の宮司様や禰祇様は担っておられます。
その祈願の能力を身に付ける為には、大変な修行と時間を費やすことを強いられます。
また、寺社様におかれましては、死後の人や動物の供養に勤しんでいただいて、真の意味での魂の安らぎ、霊魂を一つでも天界に導くための手助けをしていただく必要があります。
こういった能力を身に付けるために、
プロ中のプロとしての能力を身に付けていただくために、
税金の納付などという雑務に時間を割くよりも修行に集中していただくために、
国家として納税の義務を課さないのです。
(駐車場運営等の収益業務は一部課税対象ではあります)
最近は何かにつけて神社様のご神域内や寺社様のご霊域内で、不必要な『イベント』とやらが行われていますが、酷いところは御神域内で焼いた四つ足を売るという神罰仏罰を恐れぬ所業をされてますが、
『イベント』如きに夢中になってる場合ではなくて、人集めに夢中になっている場合ではなくて、
『修行』に集中しないといけない立場なんです。
イベントは民間に任せておけば良いのです、俗世間に任せておけば良いのです。
神社様や寺社様及び関係者は、
俗世間と接点は持ったとしても
俗世間と関わったとしても
俗世間に染まってはならないのです。
立場が違うのです。
人集め・お金集めに夢中になって、
資本主義の片棒を担いで資本主義の走狗になっている場合ではないのです。
ここ最近(2018年)も京都の有名な寺社様が、インバウンドの富裕層相手に1泊100万円のプランを旅行会社と組んで出してきましたが、お寺の建物の修繕や更新の費用の捻出等の尤もらしい大義名分を打ち出して営利事業に深入りしていますが、
当局は大いに注目しているハズであり、これをきっかけに宗教法人への課税への突破口を開く(そうすれば桁違いに税収は増える)機会を虎視眈々と狙っているハズであり、宗教界が隠然たる力を持っているとはいえ、いらんことをしよったなあと思っている人も多いと思います。
(888年創建、所在地の番地が33、これだけでこのお寺さんの格と位とお力、【それ故の与えられた使命の大きさ】が分かります)
もっと根本的なことを云うと、真言宗御室派の有力寺院(総本山)であるこのお寺さん、この事業を打ち出すにあたり、
【弘法大師様空海様にお伺いを立てられたのでしょうかね】、
【お大師様の許可は得られたのでしょうか】。
お寺さんの管長さんや大僧正といったお寺さんのトップが決めていいことではないんですよ。お寺さんのトップの方より遥かに【上】の御方に【お伺いをたてて】、【その御方から許可をいただく】必要があるということです。
真言宗ならば、大日如来様や弘法大師様や不動明王様と【意思疎通】が出来る【能力】が必要なんです、その為の【日々の修行の積み重ね】なんです。
そこで初めてお伺いをたてて、【許可をいただく】……。この手続きは絶対なんです、力関係からして。
人間同士で【絶対】は存在しませんが、
対神様仏様においては【絶対】が存在するのです。
読者の皆さん、これは【必ず】理解しておいてください。
「クラウドファンディング」などと、どこぞのカタカナ好きの◯◯の首長のようなこといわんと、「協賛のお願い」でいいんです。
なんでカタカナで誤魔化そうとするのか。
お賽銭もPayPayですって?
或いはカード払いって?
あの……飲食店のカード払いもそうなんですが、営利事業者に手数料ピンハネされますからね。
そこの矛盾はどうされるのでしょうか。
お賽銭をお納めした立場からすれば、
神様仏様に対してお納めしたお賽銭の一部を、なんで営利事業者にピンハネされないといけないのか。
資本主義のマーケティング理論でインバウンドの富裕層相手に宿泊事業を始めるのは分かりますが、神社様寺社様の全ての営利事業を否定はしませんが、日々修行に励まれて何十年と積み重ねてこられて、修行の内容にもよりますが、
1泊100万円のプランの中身がどういうものか、そしてそれを打ち出すにあたり、弘法大師様空海様の許可を得られた上でのことか、このプランを打ち出すにあたり、弘法大師様空海様はどのように思われるであろうかと想いを巡らせたのかどうか、このプランを打ち出す前後に台風【21】号が通過したのも私には暗示的に映るのです。
修行を積み重ねて能力を高めれば、口コミで人は集まります。
そしてそれを疎かにして平気な宮司・僧侶………
挙げ句
2011・3・11です。
賑わい、活況は神社様寺社様には必要はありません。
心静かに恭しく頭を垂れて神様仏様にご挨拶にお伺いする………
この本来の姿を示さない限り、天の気・地の気が荒れまくるのは止みません。
信仰の『きっかけ』として『仕掛け』は必要かもしれませんが、『神様のお社』『仏様のお社』に願い事ではなく、日頃の感謝の心を伝えにお伺いする…という気持ちを一人でも多くの方に持っていただきたくて、これからもブログを綴ります。