【速報】工場で火災「建物が燃えている」と通報 およそ1000平方メートルが燃焼 消防車46台が出動し消火活動中 大阪・東淀川区(関西テレビ) https://news.yahoo.co.jp/articles/dc2e4ec287f2c0f2ccddd445169d92c04884e044


夕飯食べながらテレビを見ていると、大阪市内の工場で火事があり、隣のマンションにも延焼中という速報が入ってました。

ヘリで上空から撮影してましたが、燃えている工場の隣にお墓がありました。

「お墓の隣に」工場建てたんですね。

今、「お墓の隣に」という表現をしましたが、今建っている工場も、お墓を整理縮小した元々お墓だったところに建てたかもしれません。

いずれにしても、どんな理由があってもお墓の上、お墓の隣近所に建物を建ててはいけません。

過去ブログに記しましたが、「そこにお墓をもってきた理由がある」からです。

お墓をもってくることで、元々【忌み地】であったところが、更に【忌み地】の度合いが増すのです。


明治維新以降、人口が急増して、大戦を経て一旦若干減少しますが、戦後に増加のスピードが上がり昔の【忌み地】に住居店舗ビルマンションが一杯建ちました。


【鬼門・裏鬼門】を【霊道】といったりしますが、このような【忌み地】には鬼門・裏鬼門も霊道もへったくれもありません。

周囲360°、上も下も全てが【霊道】です。

感じる感じないの話ではないんです。

事故物件どころの話ではないんです。

確実に【いつか】災難が降りかかります。

いつかはわかりません。

1972年に起きた千日デパートビル火災を誰が予見出来ましたか。

「彼処いつか何かあるで」と皆んなヒソヒソ声で話はしてましたが、正確にいついつとは分からないのです。


ここ最近もお墓の上にビルが建ちました。

付近には緑地も広がっており家族連れが遊んだりノンビリしたりする姿が画面に映っていましたが、タブーな場所には近付いてはいけません、誰が何と言おうと。

どんなに外見がキレイであろうと。

夜間は勿論、たとえ日中であろうと。


ここでも【君子危うきに近寄らず】なんです。

(この記事は2013年の10月に記載し、2015年の1月に加筆し2018年の12月に加筆し今回加筆します)





なぜ神社様寺社様に税金がかからないか?


神様に国家鎮護や国民の安寧を祈願する大変大事な役割を神社様の宮司様や禰祇様は担っておられます。



その祈願の能力を身に付ける為には、大変な修行と時間を費やすことを強いられます。


また、寺社様におかれましては、死後の人や動物の供養に勤しんでいただいて、真の意味での魂の安らぎ、霊魂を一つでも天界に導くための手助けをしていただく必要があります。



こういった能力を身に付けるために、
プロ中のプロとしての能力を身に付けていただくために、
税金の納付などという雑務に時間を割くよりも修行に集中していただくために、


国家として納税の義務を課さないのです。
(駐車場運営等の収益業務は一部課税対象ではあります)



最近は何かにつけて神社様のご神域内や寺社様のご霊域内で、不必要な『イベント』とやらが行われていますが、酷いところは御神域内で焼いた四つ足を売るという神罰仏罰を恐れぬ所業をされてますが、



『イベント』如きに夢中になってる場合ではなくて、人集めに夢中になっている場合ではなくて、
『修行』に集中しないといけない立場なんです。


イベントは民間に任せておけば良いのです、俗世間に任せておけば良いのです。
神社様や寺社様及び関係者は、


俗世間と接点は持ったとしても
俗世間と関わったとしても


俗世間に染まってはならないのです。
立場が違うのです。


人集め・お金集めに夢中になって、
資本主義の片棒を担いで資本主義の走狗になっている場合ではないのです。

ここ最近(2018年)も京都の有名な寺社様が、インバウンドの富裕層相手に1泊100万円のプランを旅行会社と組んで出してきましたが、お寺の建物の修繕や更新の費用の捻出等の尤もらしい大義名分を打ち出して営利事業に深入りしていますが、
当局は大いに注目しているハズであり、これをきっかけに宗教法人への課税への突破口を開く(そうすれば桁違いに税収は増える)機会を虎視眈々と狙っているハズであり、宗教界が隠然たる力を持っているとはいえ、いらんことをしよったなあと思っている人も多いと思います。
(888年創建、所在地の番地が33、これだけでこのお寺さんの格と位とお力、【それ故の与えられた使命の大きさ】が分かります)


もっと根本的なことを云うと、真言宗御室派の有力寺院(総本山)であるこのお寺さん、この事業を打ち出すにあたり、

【弘法大師様空海様にお伺いを立てられたのでしょうかね】、
【お大師様の許可は得られたのでしょうか】。

お寺さんの管長さんや大僧正といったお寺さんのトップが決めていいことではないんですよ。お寺さんのトップの方より遥かに【上】の御方に【お伺いをたてて】、【その御方から許可をいただく】必要があるということです。
真言宗ならば、大日如来様や弘法大師様や不動明王様と【意思疎通】が出来る【能力】が必要なんです、その為の【日々の修行の積み重ね】なんです。
そこで初めてお伺いをたてて、【許可をいただく】……。この手続きは絶対なんです、力関係からして。
人間同士で【絶対】は存在しませんが、
対神様仏様においては【絶対】が存在するのです。

読者の皆さん、これは【必ず】理解しておいてください。

「クラウドファンディング」などと、どこぞのカタカナ好きの◯◯の首長のようなこといわんと、「協賛のお願い」でいいんです。
なんでカタカナで誤魔化そうとするのか。
お賽銭もPayPayですって?
或いはカード払いって?
あの……飲食店のカード払いもそうなんですが、営利事業者に手数料ピンハネされますからね。
そこの矛盾はどうされるのでしょうか。
お賽銭をお納めした立場からすれば、

神様仏様に対してお納めしたお賽銭の一部を、なんで営利事業者にピンハネされないといけないのか。


資本主義のマーケティング理論でインバウンドの富裕層相手に宿泊事業を始めるのは分かりますが、神社様寺社様の全ての営利事業を否定はしませんが、日々修行に励まれて何十年と積み重ねてこられて、修行の内容にもよりますが、
1泊100万円のプランの中身がどういうものか、そしてそれを打ち出すにあたり、弘法大師様空海様の許可を得られた上でのことか、このプランを打ち出すにあたり、弘法大師様空海様はどのように思われるであろうかと想いを巡らせたのかどうか、このプランを打ち出す前後に台風【21】号が通過したのも私には暗示的に映るのです。



修行を積み重ねて能力を高めれば、口コミで人は集まります。



そしてそれを疎かにして平気な宮司・僧侶………


挙げ句
2011・3・11です。


賑わい、活況は神社様寺社様には必要はありません。


心静かに恭しく頭を垂れて神様仏様にご挨拶にお伺いする………

この本来の姿を示さない限り、天の気・地の気が荒れまくるのは止みません。



信仰の『きっかけ』として『仕掛け』は必要かもしれませんが、『神様のお社』『仏様のお社』に願い事ではなく、日頃の感謝の心を伝えにお伺いする…という気持ちを一人でも多くの方に持っていただきたくて、これからもブログを綴ります。


 真言宗の寺院で、ご本尊を挟むように左右に並んでお祀りされている曼荼羅をご覧になったことがあるでしょう。真言密教で最も大切にされている曼荼羅で、向かって右側を「胎蔵界曼荼羅」、向かって左側を「金剛界曼荼羅」、この二つを一対にしたものを「両界曼荼羅」と呼びます。その昔、弘法大師さまが唐へ渡られ、長安青龍寺において恵果和尚から密教の教えを余すところなく受け継がれました。そして、多くの経典や法具とともにこの二つの曼荼羅も日本に持ち帰られたのです。

 この両界曼荼羅は、いずれも【真言密教の根本の仏さまである大日如来が中心となり】、【諸尊が一定の秩序にしたがって配されています】。【胎蔵界曼荼羅】は、仏さまの大きな【慈悲】の世界をあらわします。【全ての命が仏さまに包まれ、育まれ、正に私たちが仏の慈しみの中に生かされていることを教えてくださいます】。一方、【金剛界曼荼羅】は、仏さまの堅固な【智慧】の世界をあらわします。迷いを破り、【真実を見抜く力、揺らぐことのないさとりの働き】をあらわします。同じ仏さまの真理の世界を、今度は智慧の面からあらわしているのです。

 【つまり、仏さまの真理の世界は一つですが、それを一方から拝すると限りない慈悲の世界として現れ、もう一方から拝すると揺るぎない智慧の世界として現れるーそれを伝えているのが両界曼荼羅です】。

 この両界曼荼羅は、灌頂という密教の最高儀式に用いられます。灌頂は、仏さまとのご縁を結び、仏の心をいただく大切な儀式です。曼荼羅の前で花を投じ、ご縁ある仏さまと結ばれる作法が行われます。これは、仏の世界が遠くにあるのではなく、私たちがその真理の中に迎え入れられることを意味します。

 彩色豊かで、幾何学的な要素を持つ曼荼羅ですが、単なる宗教美術ではございません。【宇宙の真理をあらわした仏さまそのものです。曼荼羅に向かって手を合わすとき、その大いなる仏さまの慈悲と智慧に心を向け、自らもこの仏の世界に居ることを感じでみましょう】。高野山の霊宝館には、現存する現図形彩色本として最古の両界曼荼羅図が収蔵されています。高野山参拝の折には、是非、お立ち寄りください。


高野山真言宗準別格本山 太融寺発行

ぼだい 2026 春季特集 両界曼荼羅より

全文掲載 【】は筆者追加

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お寺さんへお伺いして、両界曼荼羅図見かけたら、必ず胸の前で手を合わされて般若心経を奇数回唱えてください。

【諸尊が一定の秩序にしたがって配されています】、上手いこといいますね、【一定の秩序ね】………その一定の秩序の中の一つが【数霊】であり【方位】です。特に金剛界曼荼羅は【九の会(え)】でできています。この【一定の秩序】と一言でいってますが、膨大な知識が必要です。数霊と方位はその膨大な知識の中の一部分です。

1461尊の仏様の全てに数霊と方位と九会の中のどの部分のどの方位にあるか………

もうこれだけでも大変な時間が掛かります。

私は途中で諦めました。


【】はしてませんが、灌頂という密教の最高の儀式、については後日記事にアップします。

【智慧】と「知恵」の違いはなんなのか…

さあ、勉強しましょうね。


今日はお大師様の御縁日、【21】日

東寺様の講堂の仏様はなぜ【21】尊なのか


密教の根本の仏様は大日如来様

【真言八祖】の最初は【龍猛(りゅうみょう)】様ですが、

正味の根本、始まり【一】は大日如来様であり正味の根本、中心【五】は大日如来様であり、真言密教を極める、極めるは【九】、それは即ち大日如来様と一体になる、ことであり、大日如来様は根本の始まりであり、根本の中心であり、根本を究める極めるご存在であるということです。

龍猛様は八祖の始めではありますが、大日如来様を【一】とするならば、龍猛様は【二】であり、弘法大師様空海様、お大師様は

真言八祖の【八】番目ではありますが、大日如来様を【一】とするならば、お大師様は

【九】であるということです。

即ち弘法大師様空海様は、この真言密教において【八】と【九】の意味を兼ねる、ということです。【八】は末広がり、末弘がり…

【九】は究める極める……


「5600」の切り番でも良いのですが、

【5599】の方が強い。


今日は厄除けのお寺さんと、来月学生時代のサークル仲間とお初天神通りの焼き鳥屋さんで集まるので下見を兼ねて太融寺様へ、

真言宗✕2でお伺いしました。