(この記事は2023年の8月に記載し今回加筆します)


朝日に焼かれた霊峰富士の威容を、武蔵は初めて目の当たりにした。流れるままの涙に頬をぬらし、自己の存在が宇宙の中の小さな一粒に過ぎないことを悟る。剣の腕に芽生えた自負もどこへ、われ知らずひざまずくのだった

▼吉川英治『宮本武蔵』の一節である。

富士の神威に打たれ諦観にも似たつぶやきを武蔵は漏らす。「自然の悠久は真似ようとて真似られない。自己より偉大なるものが厳然と自己の前にある。それ以下のものが人間なのだ」

言葉ににじむのは、山岳信仰の背骨をなす山への畏れである。山を単なる山と見下す現代人の軽さを、武蔵なら何と嘆くだろう。「旅のついでに富士登山を」と、霊峰を侮った軽装で臨む外国人観光客がいる。

▼宿泊客で埋まる山小屋を尻目に、0泊2日の「弾丸登山」を試みる。山上の寒さをしのぐため、トイレを占拠する。マナー軽視の横紙破りに、多くの登山者が閉口しているとも聞く。

▼山頂踏破を一生の記念とするのは構わない。山への賛美と畏怖はしかし、必携のアイテムだろう。富士山に限らない。

近年は整備が行き届かぬ「バックカントリー」でスキー客が事故に遭うことも多い。恐れを知らぬ人に、山は容赦なく牙をむく

▼人間の非力を謙虚にかみしめたい「山の日」である。登山家の野口健さんはかつて、富士山の世界遺産認定へ向けた取り組みに難色を示していた。登録を境に観光客が殺到し、踏み荒らされた屋久島をごらんなさい、と。登録から今年で10年、今は任意とされる入山料1千円の見直しなど、一定の規制に手を付けてよい頃合いだろう。霊峰が音を上げる前に、である。

▼「富士山の闇は日本の病み」。そんな警鐘も、野口さんは鳴らしている。




令和5年8月11日[金]

産経新聞朝刊1面  産経抄より全文掲載



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一つ文句を言わしていただくと

この記事の最後のほうに


「霊峰が音を上げる前に」


という一節がございます。


既に富士山は【地鳴り】や【地震】という形で【音を上げて】います。

噴火だけが【音を上げる】状態ではないのです。

私達人間に出来ること…………

簡易トイレ、バイオトイレの設置、携帯トイレの義務化は喫緊も喫緊ですが、


【近付かないこと】【登山しないこと】


当たり前のことですが、我がの欲望の為に我がの排泄物で、時々は自分自身が【死体】となって【御神体】を汚す穢すことをじっくり目瞑って思考を巡らしたほうがよい。



2006年までに積もった糞尿は未だ分解されずに残っているという厳然たる事実。


【臭いものには蓋】

【旅の恥はかき捨て】      は



【神様仏様相手には通用しない】


ということも。