『ローマの休日』と「資本主義」は直接的なテーマではないが、戦後自由主義社会の理想と現実、大衆消費社会の描写、ジャーナリスト倫理(取材対象の利用)と個人の自由の対立という点で関連する視点が見られる。特に、王女の「自由な休日」は消費社会の疑似体験であり、記者ジョーの「金のため」の取材は資本主義的論理の象徴。脚本家ダルトン・トランボが赤狩りで迫害されながらも「偽名」で作品を発表した背景には、思想・言論の自由と国家・資本(スタジオ)からの圧力という、資本主義社会の歪みと自由主義への希求が反映されている。
資本主義的な要素
大衆消費社会と自由の象徴: 王女が街を散策し、ジェラートを食べ、髪を切る一連の行動は、自由な消費と個人の選択が可能な「大衆消費社会」の疑似体験であり、自由主義の理想を体現している。
ジャーナリストの倫理と金銭: 記者ジョーは、王女のスクープを金儲けの手段(金銭的利益)として利用しようとする。これは、ジャーナリズムにおける金銭的動機と倫理(真実の報道 vs. 私情)の葛藤として、資本主義社会の側面を反映している。
脚本家トランボと「赤狩り」: 『ローマの休日』の脚本家ダルトン・トランボは、共産主義者と疑われハリウッドから追放された(赤狩り)。彼は偽名で脚本を書き続け、この映画もアカデミー賞を受賞。これは、資本(スタジオ)と権力(国家)の圧力の中で、個人の思想・言論の自由がいかに抑圧され、それに対抗しようとするかという資本主義体制下の葛藤を示している。
王女なき日本、コロセウムという兵庫県に乗り込んだ立花孝志。香椎なつは、誰に思い出の写真を渡すことになるのだろう?