モンテーニュとパスカルの比較は、色々と興味深い。そんな中の一つを手始めとして。




モンテーニュは『エセー』において、苦痛や死の恐怖から心を逸らす積極的な手段として「diversion(気をそらすこと)」を肯定的に論じました。これは後にパスカルが『パンセ』で批判的に用いた「divertissement(気晴らし)」の思想的源泉となった概念です。

モンテーニュの「diversion」 (気をそらすこと)
宗教戦争の動乱期に生きたモンテーニュは、物理的な痛みや精神的な苦悩に直面した際、心を別の対象へ向けさせる(逸らす)ことで、その苦痛を和らげるという実用的な対処法として『エセー』で提案しました。『エセー』第3巻4章「話術について」などで、心を活動させ続けることで、死や苦痛の恐怖から離れる「自然な治療法」として位置づけています。

パスカルの「divertissement」 (気晴らし) との比較
パスカルはモンテーニュのこの考えを承継しつつも、人間が孤独に耐えられず、神の存在を忘れるために熱中する「逃避」として、より批判的に「divertissement」と呼びました。

両者は、人が苦痛を忘れるために行動するという点では一致していますが、モンテーニュはそれを生存のための知恵(肯定)と見なし、パスカルは真の幸せから遠ざかる行動(否定)と見なしました。



えっ? 「Who Moved My Cheese?」ならば


『チーズを動かしたやつは誰や?』じゃねぇ?



そしてその答えは、チーズやそれを探すネズミを作った神様やな。


もちろんチーズが移動しうる空間や移動に要する時間をこしらえたのも、同じやつや。


よう知らんがな・・・



『ドン・キホーテ』後篇第33章は、サンチョ・パンサが公爵夫人と対話し、自身の「嘘」や「幻術」について語る重要な章です。この章において、サンチョは前篇でのドルシネア姫の魔法(実はサンチョが農婦を姫だと嘘をついた件)を、公爵夫人に問いただされた際に語ります。 

サンチョは、主人ドン・キホーテが狂っているから、時には嘘をついて現実に繋ぎ止める必要があると説明し、自分がドルシネア姫を魔法にかけた(農婦を姫だと偽った)のは、その嘘だったと認めます。
しかし、公爵夫人は「あの農婦は本当に魔法にかかっていた(真のドルシネアであった)」という前提で話を進め、サンチョに「お前が魔法にかけたのではなく、魔法使いがそうしたのだ」と主張します。

サンチョは自分が嘘つきの詐欺師ではなかった(魔法使いが悪い)という設定に安心し、自分の「幻術」が本当に魔法だったかもしれないと考え直します。また、サンチョはモンテシーノスの洞窟でのドン・キホーテの体験についても触れ、それも幻術の一種であった可能性を話します。

つまり33章は、サンチョが意図的に魔法のせいにしていた嘘が、公爵夫人たちにうまく利用され、次第に彼自身も「魔法だったかもしれない」という奇妙な世界に巻き込まれていく過程を描いています。


サンチョは判断中止のもと、従来の判断を保留しつつ、かつ新たな判断をも保留し、さらなる情報収集につとめるのが正解だった。そしてドン・キホーテ臨終後、モンテーニュのような「エセー」をのこしたかった・・・