鹿島か、ガンバか?
そう、鹿島でしょう。理由はごくごくカンタン。クラブとしての経験、そして指揮官。
2-2の後半44分
ガンバは大黒の左クロスからアラウージョが決め、逆転に成功。
しかし、本当の逆転劇がそのあとに待っていた。
速攻を仕掛けた鹿島は、アレックス・ミネイロが起死回生の同点弾をマーク。
試合は引き分けに終わったが、
これは、鹿島の"敗戦(勝点0)"から"引き分け(勝点1)"への逆転といえよう。
試合後、ガンバの西野監督は
「引き分けはいらなかった」と話している。
それならば、だ。
アラウージョの勝ち越しゴールの場面で
ガッツポーズを見せるべきではなかったのではないだろうか?
結果論と言われればそうかもしれないが、
あの瞬間、ガンバから勝利がスルリと逃げていったのだと思う。
選手というのは、案外 監督を見ているものである。
「やった!」という監督の安堵、
これが無意識のうちに選手に伝染し、隙が生まれてしまった。
また、監督やコーチという職業は
時に、先頭に立って怒ったり喜んだり、激しいゲキを飛ばすことで
選手たちとの一体感を強めていく。
そう、喜ぶことが悪なのではない。
しかし、あの時の西野監督は、「まだだ」と態度で選手に示すべきだった。
監督は、演技が必要な時もある。
できることなら、憮然とした表情で見守るべきだった。
オシム監督(千葉)なら、そうしたに違いない。
年齢的に若返った鹿島は、浮き足立つと危ない。
それは若手選手の退場などをはじめ、今季の戦いぶりを見れば明らかだ。
しかしあのクラブには
タイトル獲得の重圧を体感してきた小笠原や本山、本田、そしてセレーゾ監督がいる。
また、所属する選手がどんなに変わろうとも
実績や歴史のあるクラブには
"ココ"という時の戦い方、勝ち方というものが、しっかり根づいているはずだ。
だから、鹿島が優位。
最終節が行なわれる12月3日には、
鹿島が2001年以来4年ぶりのタイトルを獲得しているだろう。
8番けんた、ラストゲーム
関西リーグ 第7節
CASCAVEL 対 MAG'S(マグ) 戦
近くにいたお客さんが話していたように
「これがタダ(無料)なんて!」という、本当に本当に良い試合だった。
ピッチの選手と満員の観客、
そして会場にいた全ての人が一体となり、
白熱したゲームがさらにアツく、ハイレベルになっていったという感じ。
1-2とマグの1点ビハインドのまま拮抗していた試合、
均衡を破ったのはやはり藤井健太。
「"ここ"というときに点を取ってくれる」
誰もが口をそろえてそう評価する、マグの8番。
ふじいさんの同点弾でチームは勢いづき
終わってみればスコア4-2。マグは無敗(6勝1分け)をキープした。
今日はふじいさんにとって今季最後の関西リーグ。
早めに会場入りしてベストポジションをキープしようとしたのに
あろうことか遅刻 (^-^*)
いや、会場の「なみはやドーム」には10分ほど前に着いていたのだけれど
サブアリーナの入り口が分からない!
――方向音痴はこんなところでも足を引っ張ってくれる――
周囲を数周さまよった後、やっとのことで駆け込んだものの
すでに時計は1分半ほど進んでいたのです (TT)
(ふじいさん、スタメンじゃなくてよかった…)
サイト用の写真、元会社の同僚で先輩にお願いしてあってよかった…)
今日のマグは、これまでに私が見たどの試合よりもまとまっていて
文字通り、チームが一つになっていた。
ふじいさんの試合後の第一声は笑顔で
「最後に最高の試合ができた。
チームの仲間に、サポーターに、お客さんに、そのほか全ての人に感謝したい」。
やり残したことは何もない、そんな表情で力強く話してくれた。
(詳細は近日中にサイト にアップします)
普段は(仕事なので)淡々と経過を見守っているんだけれど
今日ばかりは私も気持ちが入ってしまって
ふじいさんが同点ゴールを挙げたとき、そして勝ち越し点、追加点が入ったときには
不覚にもジャンプまでして喜んでしまった!
こういう興奮、これからあまり味わえなくなってしまうのかなと思うと
残念。とっても。
でもフットサルをやめてしまうわけじゃないのだから。
これからも
サイトの管理人として、いちファンとして応援していきます。
今日の試合に足を運んでくださったみなさん
管理人からもお礼を言わせてください。
温かく見守ってくださり 本当にありがとうございました。
ただいま勉強中:ゲルト・ミュラー
Kさんがいま、
某サッカー専門誌でゲルト・ミュラーについて連載しているので
そのお手伝いやら何やらで、私も少しだけ知識が増えた。
古い選手のことを、新たに知る。
これは、今の仕事が楽しい理由の1つ。
“爆撃機”(デル・ボンバー)と呼ばれた、元西ドイツ代表のストライカー。
驚異的な数のゴールを量産し
フォワードなら誰もが手にしたいと願うタイトルを、次々と手に入れた(最下部ご参照)。
ま、こんな話はたぶんどこにでも、ゴロゴロ転がっている。
私が「へぇ~」と思ったのは、もう少し違う話だ。
ゲルト・ミュラーの誕生日は1945年11月3日。
ご存知のとおり
第2次大戦の終戦が8月15日だから
もう少し早く生まれていれば、
後世に名を残す活躍をするどころか、この世に存在しなかったかもしれない。
出身地はドイツ南部のネルトリンゲン(Noerdlingen)。
ここは、あのヒトラーが愛し、
別荘(『ケールシュタインハウス』という)を持っていた地・ベルヒテスガーデン(Berchtesgaden) の近く。
ヒトラーが足を運ぶということで
「そこに軍事施設があるのでは?」と疑われ、戦争中には敵軍の偵察も入ったとか。
しかしこの辺りはドイツでも有数の山深い地域。
あるのは、ただただ雄大な自然だけ、ということで爆撃は免れたらしい。
そう、繰り返しになるが
母親がもう少し都市部にいたならば、
ドイツ史上最高のストライカーは、この世に生まれてこなかったかもしれない。
運命って、タイミングって不思議。
(ジーコやペレではなく)本当に、『サッカーの神様』はいるのかもしれない
なんてことも思いたくなる。
それからもう1つ。
ゲルト・ミュラーは1963年
地元のクラブ、TSVネルトリゲンでデビューした。
ここでの活躍が認められ、翌シーズンには名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。
そこで選手生活のほとんどを過ごし(1964~79)
チームで、そして個人で、数々のタイトルを手にしたのだが
それよりずっと前に、
実はニュルンベルクの入団テストを受けていたという。
しかし結果は不合格!
当時のニュルンベルクに、その素質を見抜けるスタッフがいたのなら
その後 バイエルンが獲得したタイトルのうち、いくつかは
ニュルンベルクのものになっていたハズ…
実に惜しい話だ。
とはいえ、ゲルト・ミュラーの活躍は
皇帝ベッケンバウアーがいたからこそ、とも言われているから
ニュルンベルクであれほど大輪の花が開いたかどうかは定かでない。
「どこで」
「誰と」
「何を」 するか
それによって運命や人生が大きく変わるかもしれないし
変わらないかもしれない。
偶然なのかもしれないし、必然かもしれない。
何か決断を迫られているわけではないから深く追求はしないけれど…
なんだか話があっちこっちに行ってしまった (^-^;)
まとまる気配もないので
最後に、ゲルト・ミュラーに少しでも関心を持った方へ。
過去のワールドカップ(W杯)のビデオ、DVDを見るのも良いですが
まずは、日本代表の大黒選手(G大阪)をチェックしてみてください。
Kさん曰く
大黒のゴール前、ペナルティエリア内での仕事ぶりは
ゲルト・ミュラーを髣髴(ほうふつ)とさせる
のだとか。
私もそれほど多くは見られてはいませんが、なるほど。確かに似ています。
ぜひどうぞ!
詳しくはこちら→ http://kagawa.fcjapan.co.jp/archives_new/bn050215.html
または雑誌『サッカー○ガジン』で。
【ゲルト・ミュラーが獲得した主なタイトル・賞】
ブンデスリーガ得点王 7回(67、69、70、72、73、74、78) ※1
ゴールデンブーツ 2回(70、72) ※2
ドイツ年間最優秀選手 2回(67、69)バロンドール 1回(70) ※3
70年W杯得点王 10得点
W杯通算得点 14得点(13試合)
※1 ブンデスリーガ :ドイツのプロ1部リーグ (日本で言うJ1リーグ)。
72年の1シーズン40ゴールの記録は今も破られていない。
※2 ゴールデンブーツ:欧州各国リーグで、シーズン中に最も多くゴールを挙げた選手に贈られる賞。
※3 バロンドール :サッカー専門誌『フランス・フットボール』が創設した、
欧州最優秀選手に贈られる賞。
UEFA加盟国のプロリーグでプレーする選手を対象に、欧州各国の記者が選ぶ。