何月何日と決められていたら、最後の武者修行で小倉の“三萩野バッティングセンター”に走りたかったのだが、いつ“入院せよ”と連絡が入るかが分からなかった為に、ついに県外へ出かけることが出来ないまま運命の日が来た。
昨日の夕方急に、“明後日の13日の10時に入院して下さい”と、入院はしたくないのに待ちに待った連絡だ。
糖尿病の担当医師から、四日に専門病院に入院させるから指示を待てと言われてから毎日毎日が、“今日は言ってくるか、明日は言ってくるのではないか”という不安にさいなまれ続けていた。
気の小さい私はこういうのが一番こたえるのだ。
“入院したが最後もう二度と甘い物は食えなくなるのではないか”という気持ちで、度々“ぜんざい”や“アイスクリーム”を食べていた。
一方ではかかりつけの医師が書いた入院先の医師への内容と食い違うほどにA1cが上がっていると、より厳しい食事療法をされるに決まっているので、少しでもA1cを下げていた方が身の為だと思って、一日、二日と甘い物を食べずに我慢したりもしていた。
“待つ”ということがこれほどつらいと思ったことは無かった。
イラついたり入院後の事が不安になったりで眠れないので夜通しバットを振り続けたこともあった。
決まれば決まったで、また少ないカロリー食が続くので折角増えて来た体重と筋肉が減少の一途をたどるわけなので、年齢の事を考えると、もはや“復活”の二文字はあきらめねばならず、それに加えて退院したらしたで次の肛門の手術が待っているので気力の消滅が心配だ。
まさかこんなかたちでバッティングセンターのホームラン人生が終わりを迎えるとは思ってもみなかった。
若者達からコテンコテンに叩きのめされて引退へ追い込まれると思っていた。
しかしテレビでの高校球児とのホームラン対決では、84歳という高齢でしかも退院後あまり日が経っていなかったにも関わらず2本対0本で勝てた。
それも上段に飛び込む大きなホームランで勝ったのだ。
力の衰えがどうしようもない状態で、若者達に一方的につぶされたというのなら諦めもつくが、 満足に飯を食わしてもらえずに引退せねばならないというのは納得がいかない。
なんとかして跳ね返したいが、今度やせてしまったら土台の筋肉が無くなっていて新たな筋肉のつけようがないので、もはやどうしようもないのだ。
残念無念だ。