前回Vol21は↑  *カメラを盗まれてしまった為当時の写真はありません

 

1980年8月5日 ミラノ→ローマ 快晴

ミラノ駅から乗った夜行列車は定刻通りに終着駅であるローマのテルミニ駅に着いた。

ミラノのドーモ1996年Duomo di Milano

 

蒸し暑い8月5日のお昼近くだった。

列車が行き止まりのプラットホームに入っていくと、出迎えの人々は両手を広げ、大げさなジェスチャーで何か叫んでいる。

列車の窓からはそれに答えるように、身を乗り出してやはり大声で叫んでいる。

古都ローマのイメージとは対照的な騒々しさと近代的な駅が迎えてくれた。

人々が降り終わってからゆっくりと電車を降りた。

 

登山靴がプラットホームに当たってごつごつと音がする。

Gパンを切ったハンズボンに登山靴を履き、ザックを背負っていた。一見登山者のいでたちである。

ミラノからローマMilano→Roma

日本を出るときに買った1年間有効の往復のチケットもあと2週間で有効期限が切れてしまう。

日本を出たのは昨年の9月。1年あまりが過ぎた。

冬のニューヨークで働いて貯めたお金も底をつき、手元に残るのは3万円あまりになってしまった。

チケットの有効期限が切れる前に帰らないと、いつ日本へ帰れるかわからなくなってしまう。

日本がそんなに恋しいかと言うとそうでもないのだが、今は無性に日本へ帰りたい。

日本を出るときには2.3年旅をしようかと考えていたものの、日本へ帰ろうと決めてからは日本へ帰るのが待ち遠しく、今では1日でも早く日本へ帰りたかった。

日本へ帰っても楽しいこともあるわけではない。

それどころか同期の連中にも抜かれてしまっているし、人並みに働ける自信もない。

何のために日本へ帰るのか?帰ってからの目的もないのだが、日本へ帰りたかった。

それほど外国に来てからは日本びいきになってしまった。

 

駅構内の荷物預かりへ、長いこと待たされて手荷物を置き、ショルダーバックだけを持って、フライトの予約をするため、航空会社のオフィスへ向かうことにした。

ローマテルミ二駅Roma Terminiネットから

イタリアという国は、何ともつかみ所のないおもしろい国である。

古代の遺跡にかじりついて、イギリスのように過去の栄光を懐かしんでいるのかと思えば、ミラノファッションもグッチもフェラーリもある。

そうかと思うと南では、カンツォーネかトスカで一日が始まり、一日が終わる。

そしてローマはそのつかみ所のない国の首都だけあって、一段と興味深い街である。

特に人間がおもしろい、それも男が。

 

駅前の広場には暇そうな男達が、若者から老人までうろうろしている。

彼らの近くを女の子が歩いていくと、何メートルも先の方からジーと見つめ、前を通り過ぎ、さらに何メートルも先の方へ歩いていってしまうまで、目を逸らさずに見つめている。

中には近寄っていって手当たり次第声をかける男もいる。

素敵な女の子を見るといいね、なんて思いながら気づかれない様にちらちら見るのだが、イタリア男と来たら堂々とジーと見つめる。

それも5.6歳の子供から老人まで。

そして女の子達も慣れたもので、そんな視線など気にもとめず、堂々と歩いていく。

やはり噂に聞いたとおりの伊達というよりも、好色という言葉がぴったりの、好き者のイタリア男が駅前にはうようよといた。

 

しかしそんな男達はかわいげがあるものの、イタリア男の憎たらしい奴もいる、コソ泥である。

旅行者、特に日本人は良くかもにされるらしく、いろんな手口で近寄ってくるらしい。

ニューヨークのように命の危険は感じないものの、せせこましい手口があるようだ。

ニューヨークにいたときには、命が危ないから絶対にそんな奴に出会いたくなかったが、ローマではせこい手口のこそ泥に出会ってみたい気がする。

こそ泥は大人だけとは限らず、子供達もやるようで、近頃は段ボール泥棒というのが子供の間で流行っているらしい。

 

以前パリで知り合った日本人が、やはりローマで段ボール泥棒にやられてしまったとのことだった。

彼の話によると4.5人の子供達が手に段ボールを持って駆け寄ってくるらしい。

あっという間に目指すカモを取り囲み、手に手に持った段ボールを餌食になった者の腰のあたりに当てて、腰から下を見えなくする。

すると見えなくなった段ボールの下から数本の手が伸びてきて、ズボンの前ポケットや、あるだけのポケットに手を入れて財布を盗もうとする。

これを手慣れたというのか、猛スピードでやってのけるらしい。

やられた方は何だこのガキどもはと思っているまもなく、子供達はどどどどと走り去ってしまう、もちろん財布と共にだ。

 

そして大人の泥棒となると、と言っても大人になると泥棒ではなく、巧妙な手口を使う詐欺師である。

ネットから

彼らの標準的な手口は、例によって大げさな身ぶり手振りで片言の日本語を話しながら近寄ってくる。

「昔日本にいて、日本人に大変お世話になりました」

などと言ってくる。どうも日本人旅行者は俺も含め、外人に話しかけられると、ついつい警戒しながらも話に乗ってしまい、詐欺師の言いなりになってしまう。

「私東京にいました、日本人皆親切」

「あなたに私が日本にいたときのお礼と共に、日本の話を聞きたいのでコーヒーでもご馳走します」

と、言われるとなんとなく親しみを感じ、ついついコーヒーをご馳走になってしまう。

コーヒーだけをご馳走になって帰ってくればいいものの、優しい心を持った日本人は、ついつい言ってしまう。

「それじゃ今度は私が」

地理に詳しい詐欺師の案内で飲み屋へ行く。

勿論詐欺師は「いい店があるから」とか、偶然その店に入るようにするのだが、当然ながら店と詐欺師はつながっている。

日本人はそんなこととはつゆ知らず、内心親切なイタリア人に会えていい店を紹介してもらえるなんて、これはついてる。などと思いながら店へ入っていく。

飲み屋に入ると、ビールやワインとかが載ったメニューが持ってこられる。

勿論値段の入ったメニューである。

日本人は此処でちゃんと値段を確認して、大丈夫という事で注文するわけだが、酔いも回りトイレに行き、いざ会計となると5倍も6倍もの法外な値段の請求書を、当然のごとくウェーターが持ってくる。

頭に来るものの、ほとんどが言いなりになってしまう。

なかには勇気のあるものもいて、「メニューの値段と違う」と言って、メニューを確かめるのだが、すでに遅く、トイレに行っている間にメニューはすり替えられていて、レシートに書いてあるとおりの値段になっている。

そこで一緒のイタリア人はと言うと、

「私が誘ったのだから私も半分出します、こんな値段のはずではないのだが仕方ない、私も払います」となる。

渋々とお金を払い、店を出たときにはやさしいイタリア人と友達になれて良かったと思って、丁寧に挨拶をして別れる。

実にうまくやられてしまうらしい。

残念ながらローマにいる間この手の詐欺師に一度も会うことがなかった。

と言うものの、このての詐欺師がねらう相手は背広を着た人とか、一目で金持ちと解る人をねらうらしく、GパンにTシャツ姿の貧乏人風はねらわないらしい。

詐欺師にはやられなかったが、段ボール泥棒にはテルミニ駅を出て通りを渡ったところで出会った。

話に聞いていたとおり5.6人の子供達が走り寄ってきて、手に手に持った段ボールで俺を取り囲むと、すぐに子供の手がGパンのポケットの中に入ってきた。

「おっ、これが段ボール泥棒か!」しかしこれはいけない。

その場で大声を出しながらぐるぐると回り、子供達を跳ね飛ばすようにした。

「何すんだ、この糞ガキ!けっ飛ばすど!」

子供達は俺の声に圧倒されたのか一目散に、何も取らずに逃げていった。

子供達が逃げていった方を見ると、母親らしい、一目でジプシーとわかる女が立っていた。

その女は子供達が逃げていくと、大声で子供達をしかり、俺をにらめつけ、唾をはき捨て去っていった。

 

ローマ到着早々嫌なことにあってしまい、なんとなく不吉な予感を感じながらPIA(パキスタン航空)のオフィスへ予約をしに行った。

インフォメーションでもらった地図を頼りに歩いた。

共和国広場を抜け、サンベルナルド広場から左に折れ、少し下ったところにPIAのオフィスがあった。

航空会社のオフィスが並ぶ通りである。

中へはいるとクーラーが利いていて涼しい。

カウンターにいた涼しげな髪のイタリア男に、帰りのチケットを差し出して明日のフライトの予約を頼んだ。

するとその男は無愛想に

「明日は満席」

と、英語で言った。どうも高慢な態度である。人を服装で判断してはいけない。

「それじゃ次の日本へのフライトは?」

「13日になるけどそれも満席だね」はげ男がにべもなく答えた。

「そりゃ困る、チケットの有効期限も間近だし、そんなに待ってられないよ」

はげ男の言いなりになってはいられない、こちらもお金がないのだ、長いことローマにいるお金がないのだ。

「今はピークなんだよ」

何とかして早く日本へ帰りたい。

「お金がないんだ、どうしても13日までに乗らないとお金が底をつき、飢え死にしてしまう」

必死にはげ親父に頼み込んだ。

親父は俺の根気に負けたのかしばらく考えてから言った。

「そんなに帰りたいのなら少し待ってな、キャンセルを調べるから」

親父は長いこと机の上に置かれたキーボードを叩いてしきりとうなっている。

ずいぶん待ったが、結局明日にならないとわからないとのことである。

粘ったかいがあってか明日キャンセルがあったら1番に入れてくれるとのことだ。

13日に乗れたとしても、13日まであと8日間。残りのお金は2万円あまり、一日あたり2,500円で生活しなければならない。

何度も禿頭の親父に頼み込んでPIAのオフィスをあとにした。

 

重い足取りで駅に戻り、荷物を引き取ってバスに乗った。ユースへ向かう32番のバスで。

駅前のバス停から乗り込んだのは、ほとんどが同じようにキスリングを背負った旅行者だった。

 

ローマでの宿はユース泊まりに決めた。

インフォメーションで何件かホテルを探してもらったが、何処に電話しても満員だった。

時計を持ってないので正確な時間は解らないが、20分ほどだろうかバスに揺られていくと、駅前から乗り込んだ若者旅行者が降りるので彼らの後を追ってバスを降りた。

バス通りを挟んで反対側の広い敷地に近代的な白い建物のユースがあった。

ユースの中に入ると、受け付けには若者が大勢順番を待っていた。

パスポートとユースの会員証を渡している。

「パスポート!」

顔から血の気が引いていった。

バスの中に大事なものを入れたショルダーバックを忘れてしまった。

中にはパスポートもはいっていた。

「どうしよう」

冷たい感じのする血が頭のてっぺんから足の先へ流れ去ったあと、今度は一気に熱い血が足から頭へ逆流した。

顔がものすごく熱い。

頭の中で日本の父や母、友人、富士山、イタリアの警察官の顔がどんでんがえししている。

手が震えている、自分自身に冷静になれ、と言い聞かしても足も震えだした。

イタリアではなくしたものは絶対に出てこないと言う。

よりによって帰国間際に一番大事なパスポートを置き忘れてしまうなんて、最大の失敗だ。

ショルダーバックの中にはパスポートの他にトラベラーズチェック、カメラ、帰りの航空券もはいっている。

ローマで働かなければならないのか! 

 

昨日までパスポートや帰りの航空券は首から下げて、Tシャツの下に吊しておいたのに、今日に限ってショルダーバックの中に入れてしまった。

泣きたいような無性に悲しさがこみ上げてくる。

とにかく今降りたバス停に走って戻ってみたが、乗ってきたバスは見えなかった。

がっかりしてしばらくの間バス停の前に立っていると、乗ってきたバスが走り去った方向から、同じ様な緑色をしたバスがやってきた。

ネットから

「俺のバックに気がついて引き返してくれたのか!」

と、内心喜んだものの、止まったバスへ駆け上がると違うバスだった。

ともかくショルダーバックを置き忘れたことを運転手に話した。

話したと言っても運転手はイタリア語だけなので、日本語と英語、そして6カ国語辞典を見ながらの会話である。

どうしてか手には6カ国語辞典だけを持っていた。

ザックはユースの受け付けにおいてきてしまったので心配である。

 

必死の会話が通じたのか、運転手は「座っていろ」と運転席のすぐ後ろの席を指さした。

バスが広場のような終点のターミナルに着くと、運転手は手招きで俺を連れて事務所の中へはいっていった。

事務所の中へはいると運転手は大げさな手振り身ぶりで、椅子に座ったデブの偉そうな奴にいきさつを説明しているようだ。

運転手が長いこと両手をひろげて話し終わり、英語とイタリア語ごちゃ混ぜで言った。

「この先に警察があるからそこへ行って事情を話せ」

多分そう言ったのだろう。

そう聞き取って彼らに礼を言って、指さした方向へ走った。

 

走ったり歩いたりして長いこと行ったが警察らしい建物はなかった。

額には汗がにじみ、登山靴がやけに重く感じる。

さらに歩いていくと警察らしい建物はないが警官が二人立っていた。

「パスポートをなくした」

2人の警官に向かって息をきりながらイタリア語で言った。すると二人とも

「何だ?」

と、言うような顔をしている。俺のイタリア語が通じないようだ。

もう一度今度は英語で言ってみたところ、一段と訳の分からないような顔をする。

いても立ってもいれないほどいらただしい。

「パスポートをなくしてしまったんだよ」

日本語と、指でパスポートの形を作って何度も言った。

そんなのを見て2人の警官は解ったのか、哀れんだのか、警官はあそこへ行けと指さす。

何の変哲もない一般の建物である。そして何か書いた紙切れをよこした。

「あの建物へ行ってこの紙を見せろ」

と言っているようだ。訳が分からないがとにかく今は藁をもつかみたい気持ちで、警官が指さした建物へ走った。

ネットから

ドアをノックしたが何の返事もなかった。

何度かノックしたが誰も出てこない。

ドアを開けようと取っ手に手をかけると、鍵もかかっていず驚くほど軽く開いた。

正面には幅が1間程もある広い大理石の階段が二階へ続いている。

「ボンジョルノ」返事がない。

「ボンジョルノ」

誰も出てこない。なんとなく不気味な感じのする建物である、日本のように木の部屋と違って、石の建物は外の暑さが信じられないほどひんやりとしていて、どことなく気味が悪い。

 

ゆっくりと広い大理石の階段を2階へ上がった。

2階の廊下に足を乗せようとした時、突然真正面の大きなドアが開いた。

「何のようだ」

ひげづらの男が出てきて、怒ったような顔をしていった。

「あ、あ、あ、あの、パスポートをなくしてしまったもので」

驚いてしまい日本語で言ってから、手に握りしめていた紙切れを男に差し出した。

男はうなずきながら紙を見た。

6か国語辞典から次の言葉を探そうと、必死にページをめくっていると、男は英語で話しかけてきた。

「此処は〇〇警察なんだ、なくしものは中央警察へ行ってくれ、駅の近くの中央警察だ」

男はそう言うとドアを閉めてしまった。

2人連れの警察官が此処を指さしたのは英語を話す人がいるからだったのだろう。

 

バス停へ戻るとさっきのボスのような親父が大げさな手振りで

「どうだった」

と、で迎えてくれた。

俺も大げさなジェスチャーで肩を落として見せた。

中央警察へ行かなければならないことを話すと、親父は何台も止まっているバスのなかの一台を指さして

「あれに乗っていけ」

と、言った。テルミニ駅に行くバスである。

親父は運転手にも事情を話してくれたらしく、テルミニ駅前で降りるときお金を払おうとすると、運転手は

「いいから、いいから」

と言ってお金を受け取らなかった。イタリア人にもいい奴がいる。

駅前広場の周りを歩き回ったが、中央警察らしい建物は見あたらなかった。

Tシャツはすでに汗でびしょびしょに濡れ、そこに埃りがついて、白いTシャツが汚らしく、みすぼらしい。

「あのおまわりめ、駅の近くだといったのに、無いじゃないか!」

駅の案内所へいって聞いてみると、地図で見る限りは確かに近くにあるが、大分離れたところに中央警察があった。

 

歩くのに疲れてしまいタクシーに乗りたかったが、ポケットに入っている全財産を見ると、歩かなければならなかった。

もし、トラベラーズチェックがなかったら、今持っているだけのお金でフライトの日迄過ごさなければならない。貴重なお金である。

登山靴をどたどたと音を立てながら早足で歩くと、すれ違う人々は振り返って俺を見る。

やっとのことついた中央警察は静かな通りにあった。

入り口で整理券のような紙切れを渡され、2階へ上がっていくと旅行者風の若者が何人かいた。

盗難にでも遭ったのだろうか、浮かない顔をしている。

奥の部屋へ入っていくと若い警官が一人一人面接のように、事情を聞いていた。

若い警官は俺の顔を見るとひたしげに英語で話しかけてきた。

「ユーアースズキ?」

何で名前を知っているんだろう?

「シイー、あっ、イエス、マイネイムスズキ」

「パスポートをなくしただろう」

若い警官はちょっととがめる様な口調でいった。

「はいそうでうす」

「おまえの国の大使館へ電話しろ、パスポートがあるぞ」

「日本大使館?」

「そうだ」

「あった!良かった、グラッチェ」

飛び上がりたいほどの嬉しさとはこのことだろうか、とにかくじっとしていれないほど嬉しかった。

 

親切なイタリア人が拾ってくれたらしい。

若い警官は「親切なイタリア人」を強調して言った。

奥の部屋で若い警官が日本大使館へ電話をしてくれた。

受話器を持ったもう片方の手で、机の上においてあった電池式の小型扇風機を手にとって、顔に風を当てている。

「メイドインジャパン」

そう言って彼はにやっとした。

 

大使館が電話に出ると彼はイタリア語で何か言ったあと、受話器をよこした。

女性の声がした。

「鈴木さんですか」日本語である。

「はい鈴木です」

「あなたのパスポートを拾ってくれた人が大使館へ電話を下さったのです」

「ご迷惑をおかけします」

「これからその方の家へ一緒に受取に行きますので大使館へ来て下さい。でもずいぶん遅かったわね、もう2時間も前に、拾って下さったかたから電話をいただいたのよ」

「途中でごたごたしていたものですから」

「真っ先に大使館へ来られると思っていたのですが、なかなか来ないので警察へ連絡しておいて良かったわ」

「お手数かけます」

「とにかく早く大使館へ来て下さい」

「はい、大使館はどの辺ですか」

「タクシーの運転手に言えば解るわ、近くですから」

「タクシーで」

「ええ」

お金がない。トラベラーズチェックがあったにしてもわずかである。

少しでも出費を抑えたいのにタクシーに乗ると1食分はなくなってしまう。

「はい、解りました」

渋々と返事をした。

ネットから

タクシーを大使館の前で降り、門番に名前を告げると、すでに話しが伝わっているらしく、すぐに通してくれた。

門をくぐって中にはいると、ちょうど日本人女性が裏から出てきたところだった。

彼女は気がつくとちょっと笑みを浮かべて近づいて来た。

「鈴木さんですか?」30代後半の整った顔をした女性である。

「はい、そうです」

「さっ、早く行きましょう」

 

彼女は庭に止めてあった白い小型車に乗り込んで、助手席のドアを開けた。

助手席に乗り彼女の横顔を見た。

日本女性を見るのは久しぶりである。

やはりイタリア人や外人と違って日本女性は綺麗な肌をしている。

パスポートをなくしてしまって大変なはずなのに、車に乗ってからは自分でも不思議なほど落ち着いている。

しばらくしてから彼女が言った。

「イタリアへは旅行で」

「ええ、日本へ帰るところなんです、帰国間際になって最悪です」

「そうね、でも幸運だわ」

「ええ、そうおもいます」

車は街の中心を抜け、広い通りの並木道を気持ちよく走っている。

「日本へ帰りたい?」と彼女が言ってきた。

「外国へ出て1年が経ちました、いろんな国へ行きましたけど、やっぱり日本が一番いいみたいですね」

「私も最初のうちは早く日本へ帰りたかったけど今はもう違うわ、とっても住みやすいのね。今ではもう日本へ帰りたいと思わないわ」

と彼女は何気なく言った。

イタリア人やローマの話をしているうちに彼女は車を酒屋の前へ止めた。

「ワインを買っていきましょ」サイドブレーキを引くと俺の顔を見て彼女は言った。

「はい、でもいくらぐらいのですか」

「心配する程じゃないわ」

彼女の選んでくれたワインを持って彼女のあとを歩いた。

拾ってくれた人の家はこの近くらしく、車を酒屋の前に置いたまま歩いた。

いつしか陽は大分低くなり、昼頃にはあれほど暑かったのに建物の陰を歩くと涼しかった。

「ここだわ」

彼女は入り口の上にある番号を見上げて言った。

高級マンションと言った感じのする豪華な石造りの4階建ての建物である。

建物の中に入り、古めかしい手動式のエレベーターの格子を開けて乗り込み、4階のボタンを押した。

エレベーターを降りると右手の出窓から夕日が差し込んで、出窓に置いてある赤い花が輝いていた。

 

初めて見る一般的なイタリア人の住まいである。

彼女は正面の重そうなドアを軽くノックした。

しばらくしてドアを開けて出てきたのは、はげ上がった白髪の60歳くらいのおじさんだった。

おじさんに勧められ部屋の中へ入りソファーに腰掛けた。

彼女は流暢なイタリア語でお礼を言ってくれたようだ。

2人の会話を黙って聞いていた。

おじさんは奥の部屋から布製のショルダーバックを持ってきた。

なつかしい俺のバックである。「あった!」心で叫んだ。

「中を調べてみなさい」

彼女に言われ、おじさんに頭を下げてショルダーバックを受け取った。

おじさんの手から彼女に渡り、俺の手に戻ったショルダーバックには、航空券もトラベラーズチェックもあった。

「ありがとうございます、親切な方に拾っていただいて、おかげで日本へ帰ることが出来ます」

彼女は通訳してくれた。

おじさんは中の物がみんなあるか心配してくれた。

 

何度も礼を言ってから部屋を後にした。

「よかったわね」車に乗ると彼女が言う。

「ええ、お手数をかけました、何かお礼をしたいんですけど」

「いいわよ、貧乏旅行なのでしょ」

「ええ、でもそれじゃ名前を」

「大使館の仕事だからいいのよ」

「でも」

一杯に開けた窓から入ってくる夕日の涼しい風に、長い髪をなびかせ彼女はハンドルを握っている。

横顔にときどき夕日が当たり、彼女は輝いていた。

さっぱりとした感じの良い彼女はついに名前も言わず、ユースの前まで送ってくれるとそのまま走り去ってしまった。

ネットから

今夜は野宿にするか、この騒動のためトラベラーズチェックは無事戻ったもののお金を使いすぎてしまい、ホテルに泊まるお金もなくなってしまった。

何度かは野宿をして何食か切り詰めなければならない。

しかし喜んだのもつかの間、ユースでパスポートがなかったので受け付けされず、パスポートが見つかってから行ったところ、満員だと追い出されてしまった。

なけなしのお金の中からバス代を払い、駅前へ戻るとあたりは薄暗くなっていた。

近くのパン屋で牛乳とパンを買い、露店でスイカを一切れ買って惨めな昼食兼夕食とした。

 

駅の構内には貧乏旅行者風の若者がごろごろと地べたに座ったり寝ころんだりしている。

彼らの近くに座り、さっき買ったパンとスイカをかじった。

とにかく味も何もあったものではない、ただ腹が満たされるだけである。

それでも腹が一杯になると、昨夜の夜行列車の疲れも、昼の騒動もあったからか眠気を感じる。

夜のローマを歩きたいものの無性に眠かった。

 

いつのまにか眠ってしまったらしく足を蹴飛ばされて目が覚めた。

眠い目を開けると警官が立っていた。

終電車も終わり構内にたむろしている浮浪者や、貧乏旅行者を追い出しているのである。

渋々と駅の外へ出ると駅前の芝生の上には駅を追い出された旅行者や、常宿としている浮浪者が寝袋や段ボールをひいてごろごろと横になっていた。

眠い目をこすりながらイタリア人の乞食の隣に荷物を下ろして横になった。

しばらく間、あたりを見ていると変質者のような男や乞食のような男達も、ぽつりぽつりと集まっていて、てんでんに木の下に寝ころんだ。

ちょっと不安な気持ちで見ていたものの又いつのまにか寝入ってしまった。

Roma Termini

「ヘイ、ユー、ウェイクアップ!」

頭の上で声がした。

「ウェイクアップ!」

体を揺すられて目が覚めた。目を開けると金髪の男が顔をのぞき込むようにしていた。

「荷物をやられたみたいだぜ」

男はアクセントがちょっと違った英語で俺の荷物を指さして言った。

またもやぼんやりしていた頭から血の気が引いていくのがわかった。

ザックが荒されてガイドブックや手帳が芝の上に散らかっていた。

眠る前に盗まれないようにとザックと手を紐で結んで、頭の下に枕代わりにして置いたのに、ファスナーが開けられていた。

 

「パスポート」またもやパスポートがない!ショルダーバックにいれて置いてなくしてしまったので、今度は絶対になくならないようにと、ザックのファスナーで開け閉めできるところの、本の間に挟んで置いたのに、それがなかった。

絶望だ。

失意のどん底である。

調べてみるとパスポートとユースの会員証とカメラがなくなっている。

航空券を持ってかれずにすんだのが幸い。

どうして帰国間際になってついていないんだろう。

盗んだ奴にたいする怒りよりも、自分自身に対してあきれてしまった。悲しい。

「赤いバックを持った20歳くらいの男だったぞ」

起こしてくれた金髪の男が心配そうに言った。

「はっきりとわからなかったが、ちょっと前だからの辺にいるんじゃないか」

しかし無駄である、いくら後を追って走り回っても赤いバックを持った男はいなかった。

ネットから

駅にいたパトロール中の警官に盗まれたことを話すと、全く相手にしてもらえない。

「明日にしな、明日だ、暗くてダメだ」

「何言ってんだバカおまわりめ」

一番大事なパスポートを盗まれたんだぞ、探してくれたっていいじゃないか。

いくら頭にきて日本語で言ったところで、警官は動こうともしない。

どうしようもないくらい悲痛な気持ちに襲われた。

渋々と荷物を見てくれてるよう頼んでおいた金髪の男の所へ戻り

「ありがとう、ダメだった、見つからなかったよ」

「俺がもう少し早く気がつけば良かったのにな」

金髪男はすまなそうに言った。

「いや、俺の不注意だ、それよりも知らせてくれてありがとう」

すべてをあきらめ芝の上に横になった。夜中の1時だった。

しかし夕方、夜と続いてこんな目に遭うとは、気がゆるんでいたためか。

早く日本へ帰りたい、お金がない。お金が欲しい。

 

1980年8月6日 ローマ 快晴

蒸し暑い朝が開けた。

森の空が明るくなると芝生に寝ていた浮浪者は、全財産のはいった紙袋を下げてどこかへ消えていく。

ぼんやりと彼らの後ろ姿を見ていた。

昨夜眠れずに目を開けると、一目でこそ泥とわかる浮浪社風の男が、何人も木立の陰に隠れて旅行者の様子をうかがっていた。

宿無し旅行者をカモにしている男どもである。

入れ替わり立ち替わり、何人ものあやしげな男がやってきた。

あれならぬすまれない方が不思議なくらいである。

腹が減った。

パン屋はまだ閉まっている、体がだるいのに食欲だけはある。

ネットから

午前5時、駅のロッカーが始まるのを待って荷物を預けた。

昨日も行ったので、なんとなく行きづらい思いで中央警察へとぼとぼと歩いた。

7時頃警察の前へ行くと、すでに数人が警察の門が開くのを待って並んでいた。

旅行者風の人が多い。

列の一番最後に並んだ。

前にいるのはアメリカ娘らしい2人連れだった。

門が開くのを待つ間彼女たちと話をすると、彼女たちも昨夜盗まれてしまったらしい。

 

駅を追い出されたあと、しぶとく駅前の階段の所に寝袋を広げて寝ていたところ、ジェニーと言う女の子はパスポートや財布をいれておいたバックを盗まれてしまい、マリーと言う女の子はすべての荷物を盗まれてしまったとのことだ。

寝ている間に盗まれたのは俺だけではなかった。

行列の前の方に並んでいる旅行者風の人々はみなそうに違いない。

彼女たちには申し訳ないが、パスポートを盗まれたのが他にいてなんとなく救われる気がした。

長いこと待ってやっとの事門が開いた。ぞろぞろと階段を上って二階へ行く。

前に並んでいた人も、俺の後ろに並んでいた人も、大部分は盗難のようで、皆同じ部屋へと向かう。

昨日の警官がいた。

「ヤア、カワサキ」覚えていたのか、警官は俺を見ると笑いながらひたしげに話しかけてきた。

「ノー、スズキ」

彼は笑っている。

「パスポートを盗まれた」

「昨日はなかったのか」

「いや、昨日は親切な人に拾ってもらえたけど夜中に盗まれてしまった」

そういうと警官は俺の顔をあほくさそうに眺めた。

「証明書を書いて欲しいんです」

彼は急に態度が変わって嫌なそぶりで紙をよこした。

紙には英語、ドイツ語、イタリア語で書いてあった。

手渡された紙に記入した。住所、氏名、盗難場所、日時、状況などを書き入れ、警官に渡すとスタンプを押して返された。

警官も1日に2度もパスポートをなくす俺にあきれたのだろう、何も言わなかった。

気持ちが完全に沈んでしまった。

ローマの盗難届盗難届

盗難証明を持ってとぼとぼと日本大使館へ向かって歩いた。

大使館では昨日の彼女にまったく会わす顔がない。

昨日の彼女が出たらどうしようと心配しながら中へはいると、運良く違う女性だった。

良かった。

「どう言ったご用件ですか」

「パスポートを盗まれたので再発行して欲しいんですが」

「証明書はお持ちですか?それと写真」

「はい」

ガラス張りの隙間から写真と証明書を差し出すと、受け付けの女の子は注意深く見ながら言った。

「盗難は多いんですよね」

同じくらいの歳だろうか、親し気な感じである。

「2週間ほどかかりますのでその間は他の国へ行けません」

「えっ!2週間も」

「日本へ紹介してからですから、早くても2週間はかかります」

「そりゃ困ります、来週には飛行機に乗って日本へ帰るんです、もう予約してしまったし、帰りの切符の期限も2週間もかかったんでは切れてしまいます」

そう言うと彼女は困ったような顔をして、

「途中どこにも寄らずまっすぐ日本へ帰りますか?」

「ええ、パキスタンで乗り継ぎのために2泊するだけであとはまっすぐ日本へ帰ります」

「それなら帰国のための旅券をすぐに発行できます、しかし期限は1週間です」

「充分です、すぐにでも日本へ帰りたいので」女の子はくすっと笑った。

「もう旅行は長いのですか」

「ええ、一年になりました」

「この写真は一年前ですか」

彼女は写真と俺の顔を見比べるようにして言った。

「そうです」

「老けてますね」

「旅行中苦労しましたからね、それにローマに着いてからは最悪ですから」

「いいえ、写真の方がです」

「えっ!」

重い足取りでPIAのオフィスへ行くと13日のフライトへ乗れるとのことである。

11日に帰国のためのパスポートを発行してもらえるのでこれで帰国の準備はすべて整ったが、ただ心細いのはお金である。

パスポートを発行してもらうのにもお金がかかってしまい、残り2万円あまりで8日間過ごさなければならない。

パキスタンでの2泊のホテル代と食事代はPIAで持ってくれる、とのことだからそれは心配ないとしても、一日あたり3,000円以下に抑えなければならない。

お金の他にも心配事は沢山ある。

パキスタンでの乗換の手続き、ローマへの空港への行き方。

はたしてうまくやれるか心配だが、焦ってみたってしょうがない。

まずは野宿を止めてちゃんとした屋根のある宿を探さなくてはならない。

勿論安いホテルでなければ食事に響いてくる。

 

独立広場あたりに安ホテルがあるというので何件か当たってみたところ、それでも6,000リラ以上がほとんどだった。

24軒目にたどり着いたペンションともロカンダとも名の付いている安宿は4,000リラだった。

4,000リラは確かに安いが今はそれでも大金である。

部屋は4階で、若いスタイルの良い美しい娘と、全く正反対のおばさんが経営する宿だった。

 

通された部屋はベッドが4つ、相部屋になっている。

すでに2つのベッドにはイギリス人の女の子がいて、残る2つが空いていた。

フィレンツェの安宿に泊まったときも女の子と同室であった。

女性と同室になるチャンスなどそれほどあるものじゃないので喜ぶべきなのだが、フィレンツェの時は息苦しさを感じたものだった。

そのことを思い出すと、イギリス娘と同室になるのもちょっと考えてしまう。

しかし目の前に若い女性が2人もいると、何か楽しいことがあるのではないかと、フィレンツェでの苦い思い出も忘れ、喜んで荷物をベッドの上に置いた。

以外と女性は大胆なもので、かえって男の方が気にしてしまい、いづらくなってしまうものだ。

ネットから

荷物を置くとすぐにシャワーを浴びることにした。

シャワーを浴びたあと洗面所で髭を剃っていると、同室になったイギリス娘が入ってきた。

この安宿はシャワー、洗面所、トイレすべて男女の区別なく共同である。

彼女たちは目の前でぱっぱっと着ているものを脱ぎ始めた。

「鈴木、もうシャワーに入ったの?」

俺のことなど全く気にもとめず、ブラジャーをはずしながらブロンドがみのジュリーという女の子が言った。

「ああ、気持ちよかったよ」

さりげなく、高鳴る心を抑えて言った。あっと言う間に2人は素っ裸になってしまった。

何という大胆さだろう、ロンドンにいたときハイドパークを散歩すると、良く芝生の上に上半身裸になって日光浴をしていたイギリス娘を良く見かけたが、彼女らは裸というものにそれほど抵抗を感じないのであろうか。

ミコノス島では知らないうちにヌーディスト海岸に泳ぎに行ってしまって驚いたが、それにしても大胆である。

高鳴る心を抑え、髭を剃り、歯を磨いているとルーシーがシャワーを浴びてでてきた。

ルーシーは隣の洗面台に向かい、髪をとかした。

勿論裸である。大きなオッパイがすぐ隣で揺れていた。

呆気にとられて見つめていた視線がさすがに気になったのか、ルーシーは

「エクスキューズミー」と言ってパンツだけをはいた。

そう言ってから又平気な顔で大きなオッパイを揺るがせて髪をとかしている。

今夜は公園で寝たとき以上に寝苦しい夜になりそうだ。

 

一昨日、昨日、今日とろくなものを食べていない。

お金がないから、ああ悲しい。

旅の終わりになってお金がないときにこんな目に遭うなんて、なんてついていないんだろう。

 

つづき⇓