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1980年7月15日 シャモニ 雨

ついにアイゼンピッケルも買った。ピッケル260FR約15600円。アイゼン174Fr約10500円。

これで気分よく雪のある険しい山へも行ける。

しかしちょっと予定より予算オーバー。まあその分日本へ帰るのが早くなるだけ。まあいいじゃないか。

しかしこのラ・ロジエールキャンプ場には日本人が多すぎる。

今までは日本人を見ると話したくなったけどこれではならない。

シャモニの山は地図で見る限り魅力がない。

これならツェルマットの方が数倍いい山が多い。

シャモニの山はロッククライマー向きの山。

シャモニーのテント場Chamonix-Mont-Blanc Les Rosières

お金もなくなってきたし外国(ヨーロッパ)の魅力も感じなくなってきたので、もうそろそろ日本へ帰る時期だ。

この後ローマへと行くわけだが観光はもう十分したのでローマでの観光はいらない。

日本へ帰ってのんびりとしたい。海外も1年いると飽きてくる。

レ・ロジエールChamonix

 

1980年7月16日 シャモニー 雨-晴れ 雲多し

この街は中途半端な登山者には合わない気がするので、スイスのツェルマットへ戻ろうかと考えている。

この山はロッククライミングのための山、尾根歩きの人間には不向きなようだ。

日本の山のように何のロッククライミングの技術が無くても、頂上に達することのできる山ならロッククライミングなど必要ないが、ここのシャモニの山は頂上に登るにはどうしてもロッククライミングの技術が必要だ。

隣のテントは日本人、彼らはなかなかのもので、毎日トレーニングをしている。

それを外人が(地元人)珍しそうに見ている。

レ・ロジエールLes Rosières

今は昔になってしまったが、ハードルの練習を毎日したものだ。それが今はなんたるこっちゃ。タバコと酒の毎日、歩くのが精いっぱいである。

手の力がないので、本当はもっと鍛えなくてはいけないのだが、彼らを見ていると練習しなくてはと思うのだが思うだけ。

毎日のトレーニングが大事なのになんたることだ。

すべて自分のため。自分の体の為なのに動こうとしない。困ったものだ。

 

1980年7月17日 シャモニー 曇り晴れ

久々の山行2526m、しかし何となく充実感がない。

今日は足の調子も良くとばしすぎか?筋肉が少し痛い。

このテント場はツェルマットのキャンプ場よりは設備はいいが大きすぎる、人が多すぎる。

テントの回りはフランス人がいっぱいでうるさくてしょうがない。

アルプス3大山岳地の中で、街が一番いいのはグリンデルワルト、山が一番いいのはツェルマット、一番味のあるのはやはりツェルマット。

シャモニは日本でいえば軽井沢、ツェルマットとグリンデルワルトは上高地に近いが清里のような感じ。

シャモニに2週間いたらクールメイユールへ行こう。

コルデュブレヴァンChamonix→Planpraz→Col-de Brevent→Planpraz→Les Plans→Chamonix

プランプラーズ

テント場を7:30出発。

霧だか雲だかで山は全く見えず。今にも雨が降りそうだったが、まあ行ってみようと出発。

ガスの中を登り、落石の跡が残るがらがら道を結構早いペースできつかったが登っていくと、ぱっとガスの切れ目にプランプラーズ1999mのケーブル駅が目の前に現れた。到着9:35

チョコレートを食べ、少し休んで出発。

4月に来たときとは比べものにならず、雪はまったく無く、少しだけ見えてた岩が大きな岩となって高くなっている。

3カ月でこんなにも変わるとは思ってもいなかった。

プランプラーズPlanpraz

しばらく行くと雪渓になり、買ったばかりのアイゼンを着け、先へ。

けっこう人も登っていて、踏み跡をたどり、楽な登りで頂上に着いたのは11:00ちょうど。

途中シャモニの反対側の谷は天気が良く、晴れている。

そして足下に雲海、気持ちのいい登りだ。

頂上に着くとガスがかかり、全く視界はダメ。

パンとチョコレートの昼食を食べ、シャモニの谷とは反対側の谷へ少し降りたりして遊び、コルデュブレヴァンへ向けて行進。

プランプラーズ

此処は誰も歩いた跡もなく、適当に下ったり登ったりして進むと、シャモニの街を見下ろす景色の抜群に良い所に出て、しばらく休憩。

ときどきエギューデュミディも見えるし、天気も良くなっていい気分。

急斜面の雪渓をグリセードのハイスピードで滑り降りると、途中一度尻餅をついてしまい、手を切ってしまった。

あとで気が付いたのだが右手の親指の所から血が流れ出していた。

シャモニ

グリセードもうまくなったもので、けっこううまく滑れる。

途中、登ってくる奴が「スキーをやっているように見える」と言った。

自分ながらグリセードはうまいと思う。

プランプラまで降り、4月に来たときと同じ場所の岩の上で休憩。

天気は良く、モンブラン山群はバッチシ。

今日は足も痛くないし、まあ快調と言っていい一日。しかしこの登山靴は雪に弱く、すぐに中の靴下まで濡れてしまう。

シャモニー

しばらくプランプラで休み、レ.プランへの道を下山。

テント場に着いたのは16:00。シャモニの山もまあまあだ。

 

1980年7月18日 シャモニー 晴れ-曇り 日本出発後320日目

3842m自己最高だがロープウェーで登ったでこれはいかん。

しかし今日の山行きは疲れた。登りはほんの少しだけで、あとは雪の下りばっかりだが、気が疲れたとでもいうのか気を使った。

今日の山行は装備不足。良い山行とは言えない。

もしイギリス人がザイルを使わせてくれなかったら降りられなかったし危険を冒しすぎた。

ザイルの勉強になった。

メール・ド・グラス氷河Aiguille du Midi→Rognon du Plan→Mer de Glace→Montenvers

メール・ド・グラス氷河

テント出発6時半。7時発のロープウェーに乗り、エギーユ・デュ・ミディ3842mへ。

そこから尾根道を下り、Refrge Du Rezuuinの小屋に着いたのは12時45分。

エギーユ・デュ・ミディAiguille du Midi

エギーユ・デュ・ミディを抜けるとき、みんながザイルを持っているので心配だったが、踏みあとを頼りに進んでいくと、細い尾根の下り、けっこう気を使いながら下るとコルデュブラン。

エギーユ・デュ・ミディから少しの間は広い尾根伝いで、アイゼンも良く効き楽な下りだったが、コルデュブラン辺りからは、前を歩いていたアイザイレンしたパーティーはすべて氷河下りのコースへ向かった。

エギーユ・デュ・ミディ

コルデュブランからシャモニ側を巻き、急な斜面をアイゼンとピッケルに頼り進むと、イギリス人のパーティー2人がいた。

天気もまあ良く、斜面約80度の急登の所までは、遠くマッターホルンも見えいい気分で景色を眺められた。

イギリス人のアイザイレンしたパーティーを、懸命にアイゼンとピッケルをアイスハンマーの様に使い懸命に登り、急登の所ロニョン・デュ・プラン3601mで抜きさった。

足下はシャモニーの街まで崖、もし踏み外したらそのままあの世行き。けっこう緊張の登り。

シャモニーモンブラン

ロニョン・デュ・プランを登りきると、まあ広い尾根道。

しかしコルデュブランのアンブへの下りはまいった。

懸垂で30m程下らなければならない所に出て、フランス人のパーティーが懸垂する間どう降りるか考えていたが、後から来たイギリス人のパーティーがザイルを使うように進めてくれたので、ザイルを使わせてもらい約30mの懸垂。

助かった。

懸垂のあとのルートでも、前を行くフランス人パーティーはザイルを固定して下っていたが、もうこれ以上他人のザイルを借りるわけにもいかないので、必死に自力下降。

どうにか氷河の上へ到着。

今思うと無謀な単独行だった。滑落しなかったのが不思議なくらいだ。

モンブランAiguille du Midi&Mont Blanc

もしもう少し良くルートを知っていたら絶対に此処へは来なかった。

今思うと良く落ちなかったぐらいだ。

Glacier dEnvers Du Planの氷河の上部でイギリス人のパーティーを30分ほど待ったが、あまりにも遅いので「サンキュウ」と大声で言って下降。

雪も解け始め、股まで潜り、クレパスを避けながらひやひや下降。

靴はびしょびしょ、服もびしょびしょ、途中何度かクレパスに片足が落ち、冷や汗。

ザックを尻に敷き滑り降りたりし、びしょびしょになりRefuge Du Regunの小屋へ12時45分着。

またもや左手に切り傷、血が流れていた。

このコース、アイザイレンをすべてがしていた。

今思うと単独行での下山は無謀だった。こんな事は二度と出来ない。

Refuge Du Regun小屋でチョコレートとミカン、タバコを吸い、メールドグラスへ。

メールドグラスは名前の通り氷の海と言った感じ。

平坦だが所々、大きなクレパスが口を開け、不気味だ。

踏み跡をたどり、メールドグラスの下の方へ行くと、雪が氷になり、氷の上の行進。

モンタンベール1909mに着いたのは15時10分。

ものすごい人出。足が痛くまたもやマメができた。

シャモニ針峰

全行程約7時間40分、疲れた。

モンタンベールからは歩いて降りる元気もなかったので18Frの切符を買って、電車でChamonixへ。

いい山だったが危険な山行きだった。

今日は天気も良く、遠くの山も見えたが、景色を楽しむ余裕はなく、必死の山行。

日本へ帰ったら冬山へ行きたい。

冬の穂高、槍の縦走など、天気が良ければ最高の気分だろう。

 

1980年7月19日 シャモニー 晴れ

今日は休養日。起きたのも9時頃。昨日は疲れた。

夕刻街中を散歩していたら昨日ザイルを借りたイギリス人に会い、ちょっと会話。

英語力には情けなくなる。もっと話し、丁寧なお礼を言いたかった。残念だ。

ツェルマット出会った日本人の夫婦にもテント場で会あった。

今日は人との再会が多い。

ジタンを2個と4Frのライターを購入。計11Fr80約700円、はっきりとフランス語での金額を聞き取れた。

昼食には米と野菜炒めに卵3個、夕食はパンスープに野菜炒めにソーセージ、卵3個。

これで明日天気が良ければ頑張ってLoc Blanへ行こう。

シャモニのテント場Les Rosières

 

1980年7月20日 シャモニー 曇り-雨雷強風

20時、ものすごい強風と雨と雷、テントが飛ばされそう。

このテント果たして今夜もつだろうか。

明日も雨だという。これではどうしようもない。ものすごい風、フライが飛んでいきそう。

本や服をビニールの袋に詰め、雨が入ってきてもいいように準備した。

 

隣のテントの日本人に西村寿行の本を借り読んだところ、なかなか西村寿行の本もおもしろい。

今朝は弁当の準備も支度もしたが、時々雨がバラバラ降っていたので山行はあきらめた。

しかし本を読んでいたためか一日が早かった。

シャモニ針峰郡テント場から

腹がもたれている、食べなれない米(長いこと米とはご無沙汰していた)の食べ過ぎか。

シャモニモンブランテント場から

 

1980年7月21日 シャモニー 雨-曇り

昨夜はひどかった。嵐がおさまりシュラーフに入り寝ようとしたところ、またもや突風、テントの前の紐がとれ、それと同時に左前方のフライのゴムが切れ、雨がドドーと入ってきて、支柱が風で大曲。

あわてて手で押さえたら、そこから柱がポキリ。テントの中は大洪水。

大雨の中、外に出て紐の取り替え。いやーまいった。ピッケルもナイフも錆。

どうにか天気も良くなりそうだ。それにしても昨夜の被害はひどい。まいった。

 

夜になりテントが近いドイツ人2人と日本人5人でシャモニの街のバーでビール。

24時過ぎまで飲んでいた。

ドイツ人はミュンヘンのクライマーでなかなかのクライマーの様だ。

 

1980年7月22日 シャモニー 快晴

昨夜ビールの飲み過ぎか足がだるく、苦しかった。

久々の体力的苦しみ。遅く出発したので行動範囲が狭い。

Aig Crochues2,840mへ

きつかった、やはり高低差1,800mを越えるのは苦しい。

プラン湖Chamonix→Flégère→Lac Blanc→Aig Crochues→Lac du Fouet→Chamonix

 

シャモニの街からてくてくと一度下ったことのある道を登る。

天気が良いのでハイキングの人がいっぱい歩いている。

フレジェールのロープウェー駅1,877mに着いたときはもうくたくた。

途中道のない山の中を這い上ったので苦しかった。

それと最近どうも疲れが貯まってきたみたいだ。

しかし休まずブラン湖へ。

ハイカーに混じり雪の道を登って行くと、ロープウェイでこられるからか、ブラン湖の小屋の所は黒山の人だかりになっていた。

メールドグラスMer de Glace

あまりにも人が多すぎるので、余り休まず出発。

雪は深いが、天気も良くぎらぎらと太陽が照りつけるので暑く、息きれぎれにエギーユクロッキュに向けてゆっくり一歩一歩登って、何度か途中立ち止まりどうにか頂上へ。

モンブラン

弁当のパンとチョコレートを広げ、食べ始めたらフランス人親子ハイカーが、アホみたくヤッホーなどとうるさいし、どうも調子悪い。

シャモニーの山

そしたらその親子が、近寄って来て大事な「水をくれ」だと!

まあ仕方ないのであげたところ、自分の水に不自由してしまった。

どうもこの山は居心地が悪いので二つ隣の山へ、岩を下り登り移動。

此処は誰もいなくいい気分。ちょうどベッドぐらいの広さの岩があったので、その上で裸で日光浴。

足下は岸壁。いい気分、しかし今日はどうも疲れた。

それに天気がいいためか喉が渇く。

シャモニー

8時30分にテントを出発し、頂上が12時50分。15時頃まで日光浴をし、下山。

気楽に下山と思っていたが、すごい岩で、手を使い慎重に下った。

アンブから急な雪の斜面を下り、lac du Fouetのロープウェー駅へ。

ものすごい人出だ。

しばらく休み、テント場へ。どうも今日の山行はかったるかった。

 

1980年7月23日 シャモニー 快晴

Aig de Blaitiere 3,507mへ

プランドレギュイユPlan de Aiguille

 

すえやまさんと夕刻5時頃ロープウェーでプランドレギュイユへ登り、そこの資材置き場でビバーグ。2,310m

けっこうビバーグの人もいてなんだかんだ余り眠れず、3時に目覚まし時計で起床。

思ってたより暖かく、寒さはそれほどでもない。

牛乳を温め、パンと簡単な朝食を30分ほどですまし、星明かりの中を出発。

今日の大失敗はヘッドランプを持ってこなかったこと。

すえやまさんの後を雪道をたどり、何度も転びそうになりながら歩いていくと、星も多く、足下にはシャモニの街の明かり。

シャモニーの朝

取り付きまで行くと、そこからは氷河の急斜面の登り。

ザイルを組み、氷壁の登り、氷河はそれほど大きなものではないが、急角度のためつらい。

スペンサークーロワールの下へどうにか着くと、そろそろ太陽が昇ってきた、朝である。

スペンサークーロワールは平均斜度51度。まあ滑ったらあの世行き確実の角度。

スペンサークロワール

アンブに出てから右へ行き、雪と岩の混じったところを登り、頂上へ8時着。

頂上で紅茶をわかし、休憩。雪の柔らかくならないうちに下山開始。

下山は登り以上にきつく、途中2度滑ってしまった。

モンブラン

滑りながら自分でピッケルを雪の斜面に打ち込むのだが、自分だけでは止まらず、2度ともスエヤマさんのお世話になってしまった。

それにしても急な斜面の下山は恐ろしい。滑った後は足がすくみ一段と良く歩けない。

まだまだアイゼンの使い方が全くダメ、ピッケルの使い方も同じ。

ロッククライミング

でもまあどうにかロープウェー駅へ着。

街に降りてきたのは昼前、恐ろしい下山であった。

 

1980年7月24日 シャモニー 快晴

このところどうしたことか膝の上の筋肉が痛い、痛くて屈伸ができない。

 

煙草はなるべくなら高級なものを吸いたい。

金がないから安いものを買うが、できるなら値段の高いうまいものがいい。

何故かというと煙草など生活必需品ではなく、あくまで娯楽、嗜好品だからだ。

どうせ趣味的に吸うのならいいものを選んだ方がいい。

しかし山は娯楽だから、それに全力をつぎ込んでいるわけでないので、山行きはあくまで娯楽であって苦行ではない。

しかしここシャモニーにいる日本人は大部分が山が命と行った人ばかり。

ちょっと合わない。あくまで娯楽としての山だから。

シャモニ針峰

 

1980年7月25日 シャモニー 快晴

一日中テント場でごろごろ。昨夜寝るのが遅かったので、朝起きるのも遅かった。

この4日間なんだかあっという間に過ぎてしまった。

残る山はモンブランだけ、モンブランへ登ったらまっすぐローマへ行こう。

 

1980年7月26日 シャモニ 快晴-雷雨

今日は一日のらりくらりと生活。

モンブランへ行こうと昨日食料を買い込み出発準備をしたが、雷雨にそなえて延期。

宇都宮大の田辺さんと2人でモンブランへ行く予定だ。

シャモニーの街ともモンブランを登ったらお別れ。

今は早く日本へ帰りたいという気持ちだ、もう外国はいい、二度と長い放浪旅行はしたいとは思わない。

 

する事もなく借りた本を読むとおもしろい。日本へ帰ったら本を読みたい。

シャモニ

 

1980年7月28日 シャモニ 晴れ 日本を出て330日目

この頃毎晩寝るのも遅いく山へ行く生活状態ではない。

シャモニーの街、最初はいやだったが最近だんだんと良く見えてきた。

昨夜はキャンップ場で親しかった、マッターホーン冬季初登搬者の送別会で、寝たのは24時過ぎ。

そして今日は6時起床。

 

今日のような金を使った山行きなら毎日行ってもいい。3,527m。

ツールロンドChamonix→Helbronner→Aiguille du Midi→La Tour Ronde→Chamonix

 

今日は2度目のザイルをつないでの山行。そして女性とつないだのは初めて。

山に対する知識不足にはがっかりするが、技術的にはまあどうにかなると思う。

ラ・トゥール・ロンド3,527mへ

朝、田辺さんに起こされ、6時ちょっと過ぎにテント場を出発。

ロープウェーでHelbronnerまで、ミディまでの往復の切符は田辺さんのただ券を利用させていただいた。

ラ・トゥール・ロンド

今日の山行は全く不満足。

1人だったら確実に頂上に立てたのに、5人で行ったため簡単なところでザイルを着け、手間取り、又コース選びも下手で、全く不満足の途中下山。

本当は3人で行くはずだったが、ロープウェー駅でリーダー役の人の知り合いの女性2人と一緒になり、5人で行くことになったが、女性2人ということもあり、リーダー役の奴も慎重にコースを選んだのか、普通のルートである雪のクーロワールを登らず、岩のルートを取り、それがかえって時間つぶしになってしまった。

又ザイルのつなぎ方も変で、どうも動きづらいザイルのつなぎ方だったので、そのザイル操作で一段と時間をとってしまった。

そのため稜線にも出られず、途中で下山というはめになってしまった。

ラ・トゥール・ロンド

リーダー役の奴の言うには岩と雪とミックスのルートなので、アイゼンを着けない方がいいだろうと、岩のコースを選んだのだが失敗だったと思う。

あの女性らもなかなか良く登るので、クーロワールをアイゼンで登れば楽に登れたのにと思う。

又あんな急斜面でもないところで、確保し合いながらというのはどうも好まない。

まあザイルも使ったことがないので、確保の仕方も何も知らずにずいぶんと迷惑をかけたかもしれないが、1人だったらもっと簡単にいけた。

ラ・トゥール・ロンド

今日の場合、団体行動と言うことで勉強になった。シャモニーに来てすべてが勉強だ。

ラ・トゥール・ロンド

ラ・トゥール・ロンド

 

1980年7月29日 シャモニー 晴れ

今日もテント場で日光浴。昨夜は2時過ぎまで借りた坂本龍馬を読んでいた。

 

1980年7月30日 シャモニー 晴れ

モンブランへ

雲ひとつなく、風もない。肌に感じる冷たい空気が気持ち良い。

田辺さんも起きたらしく、いくつかテントを挟んだ向こうに人影が動いている。

6時30分頃テント場を宇都宮大の田辺さんと2人で出発。

出発前、ヘッドランプの電球が切れてしまい、田辺さんに借りて交換。

Chamonix Busの所へ行くと一昨日ツールロンドへ一緒にいった女性2人がいた。

2人もモンブランへ行くと言うので、一緒に行く事にした。

モンブラン登頂Chamonix→Les Houches→ Nid d'Aigle→Refuge du Goûter→Mont Blanc→Chamonix

 

バスはレ・ズッシュのロープウェー駅の前に到着した。

すでにロープウェー駅にはピッケルを持った登山者が、何人もロープウェーの発車を待ってる。

普通なら登山電車に乗り、ロープウェーに乗り換えるのだろうが此処では逆で、ロープウェーに乗ってから登山電車に乗り換えるのである。

ロープウェーの到着した所は広々とした牧草畑の中にあった。

モンブラン

なだらかな牧草畑を横切るとロープウェー駅とは反対側の崖際に登山電車の駅があった。

駅と言っても草原の隅っこに駅名を書いた立て札が立っているだけで、駅舎も、勿論改札口もない駅だ。

10分ほど待つと2両編成の電車が登ってきた。

料金は高くバスが6Fr360円、ロープウェーが12Fr720円,電車が12.5Fr750円。

電車は急斜面をゆっくりと登り、終点のニーデーグルに到着した。

ニーデーグルを8時半頃出発し、グーテ小屋へ。

グーテ小屋の犬

電車を降りてからが今日の歩き出しとなる。駅前の広場で軽く体操をして出発。

途中クーロワールをトラバースする時、落氷がものすごいスピードで右股へ直撃、痛い!

第一日目、体の調子はいいが睡眠不足。

しかし快調で、田辺さんの登るスピードが遅く感じてしょうがない。

簡単な岩場は大得意、たぶん海の岩で慣れているからかもしれない。

アイゼンを着けたり取ったりしながらグーテ小屋に着いたのは13時半。

3,817mちょうど5時間の登りで標準ペースだ。

標高3,817mの地点での小屋。少し頭が痛い。高度障害か。

17時頃から夕食を食べ、10Fr600円のスープを飲む。

彼女たちは明日引き返すと言う。

18時ちょっと過ぎ、小屋の隣にある冬季小屋で2つのベッドを3人で使い睡眠。

どうも眠れない。

田辺さんも眠れないようでいる。

グーテ小屋

*帰りのローマでカメラを盗まれてしまい、この先の写真は無い。

 

眠れないので、これまでに行った先の事や田辺さんの山歴などを話しあった。

モンブランの氷河

何度か目を覚ましながら起きたのはAM1:45。寒くはない。

朝食を食べ、アイゼンを着け、2時44分に出発。どうも腹の調子と頭の調子が悪い。

バロの避難小屋あたりまでは調子良く、心配していた寒さもそれほどでもなかったが、最後の稜線に入る頃から最悪。

気持ちは悪くなるは、風で指と頬が痛いので、凍傷を心配して、頬を擦ったり、足の指を動かしたり、手を揉んだりしてどうにかゆっくりと進んでいく。

さすが4,000mを過ぎると酸素が薄いためか疲れる。

最後の細い稜線を緩く上ると、頂上。

朝日も出て、モンブランの陰がイタリア側に写っている。

雲海も見え、朝日に山々が輝き、このヨーロッパにはこの地より高いところはなく、すべての山々が足の下。美しい。

しかし体の調子は悪い、気分が悪い、どうも不調だ。

頂上は寒い。しばらく写真を撮り、下山。

登って来た道ではなく、直接シャモニの街へ降りる氷河下り。

モンブランの氷河Bossons Glacier

バロの小屋からボソン氷河を下り、プランデゼギーユのロープウェー駅まで。

体調は最悪、どうも俺は雪の下りは苦手らしい。

田辺さんは登りと比べると下りは元気いっぱいで、ものすごいスピード。ついて行くのがやっとという感じで長い長い氷河下り。

頭は痛いし、腹は下痢だし、足の筋肉はがたがた。

こんなに疲れたのは一人でいった八ヶ岳の赤岳から小斑沢駅までの縦走以来といった感じ。

ロープウェー駅からテント場までの長いこと。本当に歩くのがもういや。

しかし救いは足がそれほど痛くならなかったという事。

モンブランから帰ってきて体はばてばて。4,807mはきつかった。

モンブランの氷河

今日欲しかったのは目出し帽、羽毛服、薄い手袋。

気温はさほど低くはないのだろうが風が当たると、がちがちと痛いほど寒い。

腹痛はたぶん雪を溶かした水を飲んだからだと思う。

やはり腐れ雪は沸騰させなくてはいけない。

今まで水で下痢したことはないがひょっとしたら高度障害による下痢かも知れない。

ついに富士山より1,000mも高いモンブランへ登頂。

シャモニーモンブラン1985年Chamonix

Chamonixにもちょっと長居をし過ぎたので8月4日にはこの街をで出よう。

モンブランにも登ったし、ヨーロッパでの山行はまあ充実したとは言えないが良かった。

 

1980年8月1日 シャモニー 晴れ-快晴

いい天気だ、毎日快晴続きだ。モンブランも登ったし、もう行きたい山はシャモニーにはない。

いや、いくらでもあるが今の装備、気分では何処へも行けない。

エギーユデュミディ1985年Chamonix・Aiguille du Midi

今日もまた一日が終わり、お金が寂しくなってきた。

日本へ帰れるか不安なほどに少ない。

シャモニのろ1985年Chamonix

 

1980年8月2日 シャモニー 晴れ

今日の夕食は隣のテントではないが近くのテントの日本人、オオガキさんにカレーライスをご馳走になり、テントに戻ったのは午後10時。

今日もまた一日中ごろごろ、一日が終わり。

シャモニー

 

1980年8月3日 シャモニー 晴れ~曇り

今日は食べ過ぎ飲み過ぎ。ラーメンにチャーハン、ビールと。

シャモニを明日出発しようとしたがどうも天気が悪くなってきた。ぽつりぽつりとやっている。

今日の一日のんびりと昼寝。

モンブランの疲れがとれないのか?朝も眠いし昼も眠い。一年間の疲れがでたのか。

日本へ帰ると思い、安心したせいか、はたまた日本人が居るから安心したせいか。

どうもかったるい。しかしこの後も不安は待っている。

ローマでのこそ泥、切符の手配、まあいろいろと心配はある。

日本へ着くのは10日か14日であろう。できるなら7日に着きたい。

もうローマ見学などどうでもいいわ、今の気持ちは早く日本へ帰りたい。

 

1980年8月4日 シャモニ→ローマ 晴れ

シャモニからクールマイヨールを経由、さらにミラノを経由して夜行列車でローマへ。

シャモニーからローマ

 

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