前回⑲の続き↑

 

1980年7月1日 ツェルマット 曇り

雨男になってしまったのか?ツェルマットの街も天気が崩れはじめた。

今日はロングスパッツを買ったので、これで安心して雪の中も歩けるのに、どうして天気が悪くなるのか。

地図を見るかぎりでは標高3000m台の山を歩けそうだ。

雪の状態次第ではあるが、できるならこの3000mを突破し3200m台に乗せたい。

今までの最高は3190mの奥穂高岳。富士山は登ったことがない。

山には長く居たい、それには装備が欲しい。

しかし残念ながらお金がない。

グリンデルヴァルト、ツェルマット、シャモニーモンブランのアルプス3大地の中ではグリンデルヴァルトが1番良い街ではないかな。

Matterhorn

 

1980年7月2日 Zermatt 曇り山は雪

ウンターロートホルン3104mへ

久々の山行き、それもついに目標の3000m突破。

次の目標は3190m以上、そしてその次は3770m以上。最終目標は4000m。

それにしても長い山行きをすると足の皮が剥け、またこれで3.4日は山へ行けない。

いったいどうしたことだろう。

早くこの登山靴が足になじんで欲しい。

靴が悪いのなら早く足が靴に対応できるだけの、タコになって欲しい。

それじゃなければせっかくの山がなんにもならない。

それにしてもこのツェルマットは夜と朝がものすごく寒い。その割に雪は少ない。

スイスに入ってから気持ちよく熟睡したことがない。その割には体力は充分ある。

キャンプ場

痛々しい姿になって戻ってきたが、ついにあっけなく3000mを突破!雪の降る中をエッチらこっちら歩いた。

帰りはまたもや同じ所の内側にマメ、そして左足の親指にまで豆が!

 

時計が止まっていたので何時だか解らず起床。

その前に一度目をさましたとき23時20分で止まってた時計を4時50分と勘違いし、しばらく寝て目を覚ますと、正確な時間は6時40分だった。

空は雲が多く、マッターホルンは見えなかったけど、どうにか雨は大丈夫そうだったので、パンとコーヒーの朝食をとり7時45分ウンターロートホルン3104mを目指してテントを出発。

山に入る道が解らず、2度ほど間違いながら、どうにか樹林の中を右へ左へ曲がりながらしばらく登っていくと、スキー場の斜面に出て、スンネッガ(2522m)へ到着。

9時10分(1時間25分の登り)早、足の調子が悪く、気を使いながら休まずに出発。

地図には載ってないリフトの下の道を登っていくとブラウヘルト(2522m)着9時50分(歩行40分間)

Unterrothorn

ここでロングスパッツをつけ、道が解りづらいので注意して休まず出発したが、団体の登山者に惑わされ道を間違えてしまい、登り尚し。

この辺から雪も降りだし、残雪も多くなっていたがグリンデルヴァルトの雪と違って堅く、氷のようになっているので潜りもせず、いい調子で前進。

しばらく緩い道を登っていくと指導票(2754m)。辺り一面真っ白。

Unterrothorn

遠くにはフィンデルン氷河のものすごい大きさ。残念ながら4000mの山はみんな雲の中。

此処に着いたのは10:40、此処で弁当に持ってきたバター付きのパンと水を飲み、30分ほどきゅうけいをして出発。

チョコレートとミカン、トーストも持っていたが、どうも寒いためか食欲もなく、ついに食べずじまい。

前方右に見えるオーバーロートホルン(3415m)に登るつもりで出発したはいいが、大雪原。踏み跡もどんどん雪で薄くなって行くし、道がわからない。

まあとにかくアンブ迄行ってみようと、雪に日本語を書きながらぶらぶらと登っていくと、すぐにアンブ2981mに到着。

此処ですでに自己のアルプス記録は軽くオーバーした。

Matterhorn

オーバーロートホルン3415mの山は、この今の足では痛くてとてもじゃないが登れない。

全く登る予定でなかったウンターロートホルン(3103m)は角度が全くなく、雪原を歩くといったようなので、目標の3000m突破をめざし、雪の降る中を出発。

目の前には雪野原といった感じの山と、黒い、怪しい雲。

しかしこれも簡単に頂上で、体力がすごくなっているのか!足の痛みさえなければいくらでも登っていける感じだ。

頂上に着いたのは11時50分。30分ほどタバコを吸い、休憩。

Zermatt→Sunnegga→Blauherd→Unterhthorn

 

テントを出発して頂上まで高度差1500m、4時間5分。

雲が多く4000m級の山は全く見えない。雪も降っているし残念。

しかし頂上からツェルマットの街も見えるし、何よりもフィンデル氷河がすごい。

12時20分山頂を出発。アンブの所まで下っていくが、どうも目の前のオーバーロートホルン3415mが気になり、途中まで直登できそうだったので、登ってみたが雪が堅く爪先が痛くて蹴れないので引き返し。

時計はすでに14時近かったので寄り道もせず、休みもせず足の痛みをこらえながらスンネッガまで来た道を後戻り。

スンネッガから谷沿いの道を登っていくと、ツェルマット独特の石屋根に木の造りの倉庫のような建物が数軒。

この下山の道はとても景色が良く、常にマッターホルンが目の前に見え、最高の気分。しかし足が!

緑の杉の様な木も何とも言えぬ黄緑色のような若葉を一面に、そのあいだからは雲に隠れてはいるがマッターホルンが見られる。この道はいい。

Matterhorn

 

Matterhorn

Zermattの街が見えてくると、どうにも足が痛く、全くまいった靴だが足だか。

テント場まで何とか戻ってきたのは15:00。

靴を脱ぎ足を見てみると、左足の親指に1センチほどのマメ、右足のかかとの内側は治ったマメの跡に又、1センチほどのマメが出来、皮が少し剥けてしまっている。

気分は上々、足は最悪!下山は2時間40分かかった。

 

1980年7月3日 Zermatt 曇り

今日は山にも行かず使いすぎ、10Frsの地図と本を買い、食料も沢山買い込み、そしてサビオも。

午後から近くの高台へちょっとした散歩。

Zermattの街を見下ろすにはちょうど良いところ。

Matterhorn

少しの時間寝ころびいい気分。

夕刻雲が無くなりマッターホルンの夕焼け。

赤く染まったマッターホルンを撮るためにカメラを持って近くの高台まで実に美しい。

ピラミッドというよりスフィンクスのような形。

Matterhorn

このテント場はお湯が出ないのが痛い。

洗濯をしたいけど水が冷たすぎるし、これで3Frs約400円はちょっと高いのではないか。

 

1980年7月4日 Zermatt 晴れ

3286mついに自己最高記録。

しかし足も自己最高のマメ、痛さ。

今朝は寒くテントに着いた露が凍っていた。しかし天気は快晴。

午後になり曇ってきたが山ははっきりと見える。

7時頃起き山支度をしゴルナーグラートに向けて出発。

予定では近くの散歩だったけど、昨日買ったサビオを足に張り痛みをこらえて出発。

ゴルナーグラートで日本人2人に会い少し話をし3286mへ向けて出発。

帰ってきたのは17時45分、約10時間の山行であった。

しかし足はもう当分靴を履けそうにないほど痛い。しかも今日は疲れた。

距離が長かったこともあるが、雪道が半分以上だったため、爪先で歩いたので疲れたみたいだ。

足はもうがたがた。右足はかかと、人差し指、親指、左足はかかと、親指ともうだめだ。

Stn Riffelap→Riffelberg→Gornergrat→Hohtalli→Gviiensee→Eggen

 

7時10分にテントを出発。

またもや道に迷い、足をかばいながら樹林の中を登っていくと、遠くベルナーオーバーランドの山々も見え、マッターホルンもはっきりと姿を見せている。

快晴、最高の登山日和である。

リッフェルアルプの登山電車の駅を過ぎて、次のリッフェルベルクまでの登りは、緑の芝の上のアルプスの散歩といった気分。

雪解けの水も流れ、羊もいる。そして目の前にはマッターホルンが。

天気はいいし疲れもないし最高の気分、ただ足が。

リッフェルベルクからは道にまよいながら、雪の斜面を爪先で登るきついきつい登り。

かかとを着いても登れるのだが、かかとを着くと足の皮の剥けたところに当たり、痛くてつけない。爪先だけの登り。

道も解らずやけくそで線路を渡り、最後のきつい登り、すると下から登山電車ですいすいと登ってくる人々。

こっちは半袖シャツ一枚で汗でびしょびしょになっているのに。

しかし以外にも早くゴルナーグラートに到着。11時10分。

天気がいいためかものすごい人出で日本人もいる。

日本人の若者2人と少しの間話をし、チョコレートとミカンを食べ、足にサビオを貼りたかったけどそのまま雪の稜線を下っていく。

11時30分発。下りきってから登り、右側は氷河。

左側は足を滑らしたらそのまま雪の上を滑っていってしまいそうな斜面。

こんな時はアイゼンとピッケルが欲しい。

頂上に近づくにしたがって雪もか堅くなり、爪先でけっ飛ばしながらの前進は息が切れる。

しかし気分はいい。だが、靴も濡れてきて中まで染みてきている。

こんな苦しい登りは久しぶり。途中何度立ち止まっただろうか。

ホーエリ3286mについたときはもうくたくた。こんなに疲れたのは久々。

Matterhorn

ゴルナーグラートから約200m登るのに1時間かかってしまった。

頂上から少し下ったところ(戻ったところ)にザックを置いておいたので、そこまで戻り昼食のパンとチョコレート、水。

鳥がなれなれしく寄ってくる。

時計を見るのも忘れそのまま下山。

今度はかかとで蹴飛ばしながら下り、ゴルナーグラートで服を着替え少しの時間休憩。

グリュンゼーの方の道を進むが、踏み跡も道も全く解らず、すべて雪。

それも膝まで潜る雪の中を適当に下山。

すでに靴下はびしょびしょ。

途中、何度も地図を見ながら進むと、どうにかあっていたようだが最後は崖を降り、やっとグリュンゼーの湖の近くのレストランへ到着。

すでに16時を過ぎていたのでちょっと焦り気味に、痛い足を我慢しながら早足で下山。

途中靴下を1枚にしたり2枚にしたり、3枚にしたりしたが全く効き目なく、痛い。

エッゲンからは一度歩いた道なのでそのまま早足で下山。

マッターホルンも頂上を雲の中に隠し、空も雲が多く、暗くなってきている。

教会からテント場までの道の長かったこと、必死に痛い足を我慢してテントへ。

17時45分着。

今日は本当に苦しかった。

3286m自己最高の頂上からの景色は格別だった。

4000mの山々が目の前にある。

登り5時間10分、下り5時間。

登りも下りも同じ時間とは何というこっちゃ。下りは足が悲鳴をあげる。

 

1980年7月5日 Zermatt 曇り

今日は一日ごろごろ。しかし今日はシャワーを浴びた。

じつに6日ぶりのシャワー。

1Frs約140円で5分間。髭も剃ったし久々のさっぱり気分。

洗濯もしたが水の冷たいこと。これならユースへ泊まった方がよかったか。

顔が日に焼けたのかひりひりする。

このテント場がもう少し場所の良いところにあれば、お湯のでないことなど気にしないのだがどうも場所が悪い。

ガスボンベの値段がまちまち、グリンデルワルドでは2Frs20,2Frs約270円,1Frs80,そしてここツェルマットでは1Frs80,1Frs60と最高と最低では60円ほど違う。

今はドルも日本円もレートが悪いので、今持っているスイスフランでスイスにいる間は持たせたい。

ツェルマットの街

 

1980年7月6日 Zermatt 小雨霧雨

一日中テントの中、天気も一日中霧雨のような天気。

昨夜は何故か眠れず久々の不快な気分。

今朝7時少し前に目を覚ましトイレへ行きまた寝たところ、目を覚ましたのは11時過ぎ。

天気も悪いのでちょうどいい一日。

雲がとっても低い。山は全く見えない。

足も明日あたりは靴も履けそうだ。

しかし今は何もすることなく絵はがきを書き、英語の本を訳し読みしているが、どうもすぐに飽きてしまう。

時間の過ぎるのは結構早くもう午後16時30分だ。

夜懐中電灯を天井から吊すようにし、今その明かりの下で日記を書いている。

何故か今夜はロマンチックな気分。

薄明かりの中というのは何となくそんな気分にさせる。

Matterhorn

 気の向くまま

今自由気ままな生活をしている。

このツェルマットの住人は、今日のような雨の日にも羊を追っている。

それなのに俺は何することなく、終日テントの中でごろごろとしている。

人生こんなんでいいのだろうか、今頃日本にいる友達は、自分の仕事や目標に向かって努力しているであろうに、俺はただ時間の過ぎていくのをごろごろと待つだけで、何の結果も何のためにもならない生活。

今この生活が将来どのような結果に結びつくか、今思うに単なる時間の無駄ずかいに過ぎない。

人々は皆苦労しているのに俺だけこうのんびりと、1年もふらふらしていて良いのだろうか。

この1年間の結果が良く出ようと悪く出ようと、それは自分自身で選んだ道。

今この生活がいつの日か、雨の中びしょびしょに濡れて働かなければならないときが来るかもしれないが、それは自分で選んだ道。

 

1980年7月7日 Zermatt 晴れ

5時頃トイレに行ったときものすごい寒さで雲が無くなっていた。

晴れるのは分かっていたが、どうも山へ行く気がなく起きたのは10時。

晴天の一日無駄遣いか。

午後から雲がでてマッターホルンは見えなかったけど、12時頃テントを出てぶらぶらと散歩。

それでも2200m当たりまで登りツェルマットの街を足下に見てちょと横になりいい気分。

ダムの所までいき引き返してくると約4時間。

本当のハイキングコースだけどのんびりとアルプスの散歩という気分で気持ちいい。

日本の山と違ってあの緑の牧草だから気分が出るのか。

牧草というにはちょっと貧弱で、羊たちにかわいそうな草でお花畑と言った感じ。

ついにこのテント場に日本人が来た。山屋の夫婦という感じのカップル。

 

1980年7月8日 Zermatt 雨 日本を出て310日目

ザーザーと降る雨よりもしとしとと降る雨の方が何となく寂しく感じる。

今日の雨は冷たい雨という感じ。

雨が降ると何もすることなくただ食事を作るだけ。

昨日摘んできた花を真ん中に食事風景を写真に撮った。

そして今はまだ13時、雨が降っている。

このテントの耐久力テストをしているみたい。

もっと雨が土どっと降ってくれないか。

少しでも雨が降ると水滴が内側の布の所につき、少しだが漏れてくる。

そして地面からも濡れてくる、きっと大雨になったら身動きでいないかも知れない。

日本のような台風並みの風があったら飛ばされてしまいそう。

ああ、本当、一人というのは寂しく何もすることがない。

旅行はやっぱり二人がいい、一人は何をするにも寂しい。

 

1980年7月9日 Zermatt 雨

雲がとっても低い天使がおりてきそう。

荒井由美じゃないけどそんな空。二日続けての雨。

今日は昼からビールを飲んでいます。

昨日今日と食べてばかり、何もすることがないから食べることだけ。

シャワーも浴びたけど本当に浴びたというだけ、全く洗いもせずお湯で流したというだけ。寒くてゆっくり浴びられもしない。

やっと手足、体の皮の剥けが収まったと思ったら今度は顔の皮剥け。

これはひどくどす黒い、垢のような皮が剥け剥けた後はちょっと白っぽく、まるで垢がとれたみたいな皮の剥け方。

先日の雪山のためのようだ。

今ヨーロッパ大陸全部を覆っているような低気圧、気圧の谷が大きく広がっている。明日も雨のようだ。

 

1980年7月10日 Zermatt 曇り山は雪

久々の山行。3000m。

またもや足の皮が一枚剥けたが今日はそれほどの痛みもなく、体力的にも楽な山行。

しかしヘルンリヒュッテ迄行けなかったのが残念!でも良い気分。

辺り一面新雪の中、誰の足跡も付いていないところを進んでいくというのは実にいい気分。

適度の疲れというのは体にいい。食事もうまいし快眠も今日はできそうだ。

昨夜はどうも眠れず今朝は眠たかった。

ツェルマットは居るほどに味が出てくる街みたい。

シャモニはちょっと通り過ぎたくらいなので、良く知らないがアルプスの三大地で一番のような気がする。

テント場を6時半に出発、ちょっとぱらぱらと雨が降っていたし、山はガスで見えなかったが4.5日山へ行ってなかったので、天気に関係なく出発。

ガスの中をまあまあのペースで登っていくと、シュヴァルツ湖の小屋に着いたのが8時45分。2時間15分のガスの中の散歩。標準タイムは3時間ちょっと。

湖の方に降りて4人と3人のパーティーのあとをついて行き、3人のグループを階段の所で追い抜き、アンブへ出る最後の所で4人の団体を追い抜き(この団体は道路工事の人達)、トップに立ったと思ったら、雪の上に踏みあとがあった。

しばらくその踏みあとを追って登って行くと、雪が深すぎて困っているイギリス人風の30歳ぐらいの男が一人。

トップを替わり、ラッセル。

道はわからないは、ガスで視界は悪いは、雪は時たま股までもぐるはの中を、適当なルートで膝まで潜りながら、時たまガスの切れ目から見える小屋を目指してラッセル前進。

必死の勢いで誰の足跡もない新雪の中を前進していくと、ついに急斜面の所々岩の出たところに到着。

誰かの詩だったが、僕の前に道はない、僕のあとに道は出来る。

手で岩をつかみながら登ると前から2人が下山してくる。

その時はルートが全く分からず、何処を歩いて良いのか解らなかったので、助かったと思ったが降りてきたやつらの道も適当だったので、一段と必死で登るが途中ついにあきらめ。

あきらめの前にイギリス人が「俺は引き返す」と行って誘ってきたが「あと1時間前進する」と言うと、奴も俺のあとを着いてきていたが、何度も天気が悪いとかで引き返すと言うばかり。

1人ならガスも出ているし、下山のことが気になるのですでに引き返していたかもしれないが、変な見栄で進むと言ってしまった。

小屋への最後の登りを前に下山。10:45

しばらく行くと前方から軽装のものすごい数の人がやって来た。苦労して歩いた、踏み跡しかなかった雪の上は、すでに一本の幅の広い道になっていた。

すべての人が俺のあとをついてきたのだ。誰一人として横を歩いた足跡はない、道を作っていい気分。

アンブの手前の岩の上でパンの弁当。

自分の歩いた道を眺めながら水とパン4切れ、そしてバナナの昼食。

俺達の引き返した所までいける奴はいないようだ。

一組だけ歩いているのが見えたのはピッケル、アイゼン、ロープを持った8人ほどのパーティーだけ。

それにしても予想以上の雪の多さと、急斜面、これではマッターホルンなどとてもじゃないが登れない。

しかし雪さえなかったら、あの程度の角度の岩なら登れる。

シュワルスゼ迄来ると、かなりガスも切れ間が多くなり歩いた山も見えるし、足下にはツェルマットの街もいがいと大きく見える。

今日は靴の調子も、前の山行きからみるとだいぶ良く、足が痛みだしたのはツェルマットの街に近づいてからだった。

しかし右足のかかとの皮が又一枚剥け、三重のマメになってしまった。

ロングスパッツが悪いのか靴が悪いのか、毎回雪の上を歩くと靴の中わびしょびしょになる。

シュワルスゼ発13時15分、テント着15時20分。途中コープで買い物。

Schwarzsee

アイゼンとピッケルの必要さを改めて示された。

アイゼンがあれば雪道は楽だということを八ヶ岳で知っていたが、今日のような場所では必要だ。

あと、サングラス、これは雪道を下ばかり向いて歩いていると、雪めくらになるからこれも必要だ。

ワカンはあれば便利のようだが、さほど必要としないのではないかな。

あと手袋、手袋が今日は欲しかった、岩をつかんで登る時、手が冷たくて。

オーバーズボンはなくともどうにかなりそう。

オーバーズボンは風の強い寒いときだけで十分のようだ。

あと、ネッカチーフがあれば頭に巻いて汗止めにちょうどいいみたい。ハンカチ代用で今日は大成功。

シュラーフだが持っているこのシュラーフでは夏山さえ心配。

夏に穂高で2日ほど使ったときは全く寒さなど感じなかったのに(あのときは小さなテントに4人)今は毎晩、毎朝寒さを感じる。

シュラーフも羽毛のシュラーフで、さらにシュラーフカバーがあるといい。

あとはダウン。

日本へ帰って冬山へ行くときは絶対ダウンが必要。

冬山でなくとも夏テントを使うときは持っていった方がよいと思う。

他に絶対必要なのは雪を歩くときは替えの靴下。

夏山の服装は晴れているなら、Tシャツ一枚で充分だが陽のない時は、登りで暑くとも長袖シャツ。

今日持っていった装備は服装が、登山靴、靴下短長各1足、ニッカズボン、Tシャツ一枚、カッターシャツ二枚、ウィンドブレーカー、カッパ上下、サビオ、磁石、地図、時計、ボールペン、カメラ、ライター、水筒、食糧一食分、ロングスパッツ、以上。

必要だったものはアイゼン、ピッケル、手袋、サングラス。

他にもし、持っていくとするなら懐中電灯、コンロ、セーターこれだけあれば夏山の日帰り登山は楽勝。

1980年7月11日 Zermatt 曇り、午前中ガス

メッテルホルン3406mへ

3406m疲れた。

雪というのは疲れる。太股、膝から上の筋肉が痛い。それ以上に足は痛い。

やはり人生一日が終わって疲れた!と思わない様じゃおもしろくない。

今またロンドン以来の手巻き煙草を吸っている。

ファームキャンプで吸っていた手巻きは、名前を忘れてしまったがインターラーケンでSamを買い、グリンデルヴァルトでもSamを買い、ツェルマットに来てからSamがCoopに無いのでパイプ用のMonthey Bleuと言うのと、今日2Frs40約330円で買った40g入りのオランダ製Bisonと言うのを吸っている。

最近煙草が何故かうまいように感じる。煙草無しではどうも一日が始まらないし、終わらない。

ビールもうまく感じるのは最初の1杯ぐらいだが、つい今日も2本買ってしまった。

決してうまいとは思わないのだが何故か欲しくなる。不思議なものだ。

Zermatt→Trift→Mettelhorn

 

自己最高記録の更新。今までの最高3286mを120m上回る3406m。その分苦しかった。

靴も靴下も昨日の山行で濡れていたので、今はマメが二個、左足のかかとの別の所に一個、そして右足は四重のマメ、そして指は左右共に痛い。

特に親指と人差し指が今にもマメになりそう。

右足の親指にはマメが二個、しかしそれはそのままタコになりそう。

人差し指は左右共に豆が皮が剥けている、痛い。

 

そして今日も又ラッセル車。僕の前に道はない。

テントを7時10分に出発し、ガスの中、何も見えないところを登っていくと、3人と2人の2組を追い抜き、トリフトに着いたのは8時45分。

標準時間2時間のところを1時間35分。

さほど早いペースではないのに軽く2組追い抜き。

彼らは重装備のかっこいい服装の奴等。

しかし追い抜いてすぐに、すでに足が痛く、いつ又抜き返されるか心配であったが、頂上まで抜かれなかった。

トリフトの急登を登り終えると雪野原で、辺り一面雪。

古い踏みあとも見えるし、新しい今朝の踏みあとも見えるのでスパッツをつけ、痛い足を我慢しながら踏み跡をたどっていくと、前にいるのは2人。1人と6人のパーティー。

6人のパーティーは女の子もいるのでペースも遅く、すぐに追い抜き、先行するのはあと一人。

周りの山は頂上がすべて雲の中。

Mettelhorn

ガスはなくなっていたが、景色が半減。

第一のアンブに出たところで古い踏み跡は新雪に消えてて、前の一人が懸命にラッセルしながら行くが、200m程でダウンしたようで、今度は俺のラッセルの番。

最後の大きなアンブの直登の真下まで約1km、膝まで潜り、時たま股まで潜りながらラッセル。

斜面をトラバースする時、雪が変な音を立て、今にも雪崩そう。

大分差を付けておいた6人のパーティーが近づいてきて、トップを交代。

その間、チョコレートと水で休憩。

3166mのアンブに出るところまでの100m程、6人の跡を悠々と楽についていくと、彼らはそこで休憩。

しかたなく又一人でラッセル行進。

Mettelhorn

めざす山は遥か雪原の向こうに鋭く立っている。左右は断崖の山。

めざす山の手前、右側の3345mの山の下を巻く頃になり、後ろからさっきの一人の男がやってきてトップを交代。

英語で会話を交えると、彼はスイス人でジュネーブに住んでいるとのこと。

視界は10m程、時たま切れ目からのぞく目標にトップを交代しながら登っていくと、遥か足下に7人の姿、6人組の2人と俺が追い抜いた2人、3人のパーティー。

頂上をあと少しとするところになると雪が少なくなり岩が目立ち、滑ってへとへと。

2人とも息が切れて最後の力という感じで直登。

しかし頂上まであと3mと言うところで、俺達の踏み後をつけてきた6人組の一人、若い男に抜かれ、頂上にやっと着いたのは彼が一番、俺とスイス人はその後から。

トンビにさらわれた気分。

しかしほとんど3人同時の登頂だ。

頂上は二方向が崖、一方は尾根になっているが鋭い刃のようになっている。

Mettelhorn

ついに3406m。しかし視界は悪く、全く見えない。

しばらくすると次々とあとの6人が登って来た。

頂上でスイス人と固い握手、気持ち良い頂上だ。

弁当のパンと、チョコレート、水を飲み30分程で来た道を下山。

すでに靴の中はびしょびしょ、雪のなくなる所までは軽く降りてこられたのに、土の上になると痛く、トリフトのちょっと上の所で1時間ほど靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、天日干しをし下山。

約1時間でZermattの街へ着16:30

明日はとてもじゃないが歩けない。もし晴れたらどうしよう。

今日の山行で又、しみじみとピッケルとアイゼンが欲しかった。

みんな持っているし、役に立っている。

手をピッケル代わりに、雪の中へつっこんだり、岩をつかんだり、ピッケルがあれば楽に登れるし、降りれる。気を使うのはその分無駄働きだ。

今日の山、視界が良かったらすばらしいに違いない、もう一度登ってみたい。

足の調子の良い時に。この頃の山行は全く休憩なし。  

 

1980年7月12日 Zermatt 晴れ

2180m

朝靴を履いたときから足は痛かったが、天気が良さそうなのでスンネッガをめざして出発。7時45分。

足がたまらなく痛くスネガの手前の平地でストップ。2180m。

10時着、3時間ほどそこで裸になり日光浴。

マッターホルンも見えるし今日はいい天気。それなのに足は最悪。

Matterhorn

 

13時過ぎ頃からは全く雲もなくなり快晴。明日も天気が良さそうだ。

Zermattの街とも後二日でお別れすることにした。

山はものすごくいい山があるけど、街は人間はどうも好きになれない。

日本人の山支度の団体さんに会った。

山登りツアーなるものがあるのか。

 

 

 

1980年7月13日 Zermatt 雨

昨日は夕方からあんなに晴れ渡ったので、今日は快晴かと思っていたのに雨。

しかし空は明るい。

昨夜は何故か疲れていて8時頃すぐに眠りに就いたが、夜中12時頃目が覚めてしまい、なかなか眠れず今朝起きたのは8時半頃。

もしもう少し早く起きていたら山へ行ってたかもしれない。

こんな小雨なら山なら雪で平気だから。

いよいよ明日スイスともお別れなのだが、荷物がだいぶ増えてしまったみたい。

なるべく荷物を少なくしているのだがどうも増えてしまう。

Matterhorn

海外の生活はもう充分楽しんだ。海外で生活する気は全くない。

旅行でなら一か所1週間程ならオーストラリア、南米、カナダ、ネパールへ行きたい。

しかしそれ以上に日本に帰って人並みの生活をしたい。

やはり言葉が通じるのが一番だ。

日本へ帰ったら喫茶店へ行きたい。そしてゆっくりと新聞を読みたい。落ちつきたい。

日本へ帰って、もし退職金が入っていたら、1カ月間のんびりとし、その後仕事を探す。

すぐに一生を決める仕事が見つからないようなら、しばらくの間はマネキンとして働いてもいい。

やはり仕事場所は東京になってしまうだろう。アパートを借りるのも大変だ。

引っ越しの時はザックに寝袋だけを持っていけば十分だ。

働いてお金ができたら布団を買えばいい。

山小屋でしばらくの間アルバイトをしてもいいかも。

Matterhorn

 

1980年7月14日 Chamonix 晴れ-曇り

Chamonix着。

パリのシャンゼリゼ通りがそっくりそのままやってきたように、シャモニの街には着飾った女の子やしゃれたカフェテラスが通りを埋めていた。

お土産屋や銀行の両替所の前は人だかりとなり、山村のイメージとは全く違った華やいだ街になっていた。

3カ月前にシャモニーを訪れたときには、街のいたるところに雪が残っていて、通りにはスキーヤーが板をかついで歩いていたのに。

スキーヤーのにぎわいのなかにも落ちつきのある街だったが、今は全く違う街のようになっていた。

しかし山だけは変わりなく、針峰群は鋭く天空をさし夕日が薄赤く染めている。

マッシュルームの頭のようなモンブランもあった。

やはりフランスは気持ちがいい。

二度目の街だからかもしれないが何となくスイスより人当たりがいい。

着いてすぐキャンプ場を探し歩き、結局は前に一度見たことのあるレプラの近くのキャンプ場へ。

キャンプ場へ行く途中、女の子からボンジュール。気持ちがいい。

それに女の子も美人が多い。

それにしてもこのキャンプ場は日本人が多い。

こんなにも日本人が居るとは思ってもいなかった。

4月に来たときと比べるとテントの数もものすごく増えている。

雪もけっこうある様だしピッケルとアイゼンを買って歩き回ろう。

Chamonixの山は全部歩きたい。何となくスイスと比べ居心地も良さそうだ。

手持ち軍資金 

日本円20,000円    =80$

イタリアリラ    =3$

フランスFr    =8$

アメリカ$     =175$

トラベラーズチェック=320$

スイスFrs    =38$

合計624$156,000円あと1ヶ月、アイゼンとピッケルを買っても日本へ帰れるだろう。

 

つづき⇓