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1980年6月13日 グリンデルワルト 快晴
Waldspitz 1904mへ
8時起床、夜中に雨の音が聞こえていたので、今日予定していたバッハアルプゼー行きはダメかと思っていたが、テントの外へ出てみると、雲はあるが陽が射している。
山ははっきりと見える。
すでにアイガーの雪はまぶしいほど輝いていた。
予定通り昼食用のパンとチーズを持って、バッハアルプゼーへ向けて出発。
バッハアルプゼーへ行く予定でグリンデルワルトの街を出発したのは8時45分。
しばらく舗装された道を牛を見ながら登っていくと、振り返ればアイガー、ウェッターホルン(ヴェターホルン)がだんだんと大きく見えてくる。
車の通れそうな広い鬱蒼とした森の中の道を登っていった。
途中から道は雪が積もっていて、長いこと履いていたぼろ靴で登ってきたため、滑ってどうも歩きずらい。
途中一度休み、森の切れたところにWaldspitzの小屋が建っていた。
着いたのは11時45分。3時間もかかってしまった。
しばらく小屋の前のベンチで休んでから、細くなった道を山を巻いて登っていくと、辺り一面雪となり、道もなくなってしまった。
急角度になってきた雪の斜面をさらに登っていったが、もうこれ以上は雪と斜面のため、危ないようなのでバッハアルプゼー行きは次の機会にとあきらめ、そこで昼食。
しかしここからの眺めは良く270゜の展望。
昼食はパンとチーズ、レモン1個そして水。
天気も良く、目の前にはヴェッターホルン、シュレックホルン、フィッシャーホルン、アイガー、ユングフラウと続く雪をかぶった岩山がある。
グリセードを少しの時間楽しみ、13時43分にWaldspitzの小屋を出発。
広い自動車道を又歩いて下るのもばかげているので、道のない山の中をまっすぐに降りていったところ、迷ってしまい、行けども行けどもガサ薮の中に入り混んでしまった。
靴は雪でびしょびしょ、手は引っかき傷で傷だらけ、谷を駆け下り、森の中を通りやっとのこと民家が現れた。
グリンデルワルトの街に着いたのは14:30
しかしこの街(スイス全部)の物価は高くガスボンベ1個2Frs40約330円、牛乳は1リットル入り1Frs10約150円、まあその分風景は綺麗だと納得。
1980年6月14日 グリンデルワルト 晴れ
今日からは又一人の生活が始まった。一緒にいた18歳の日本人安藤君は今朝下山して、ヨーロッパの旅に出た。
一人になってしまうとなんだか気が抜けたようで、何もする気が起きない。
する事がないと、決まって思うのが食事のことで、あれこれ考えをめぐらすのだが、最終的にはラーメンとなり、さっそく買い出しに出かけることにした。
食事を作ることは大変で、準備から後かたづけまでいれると、のんびりとやって3時間近くかかってしまう。
家庭の主婦は3食昼寝付きで時間を持て余しているようだが、結構大変ではないだろうか。
3度の食事に洗濯、掃除とやったら1日はいがいと早く終わってしまうに違いない。
テント生活を始めてまだ何日もたっていないが、今のところは食事を作るのが楽しみである。
食糧の買い出しに行くのがちょっと大変で、テント場から街のメイン通りまでは急な坂道を15分ほど登らなくてはならず、スーパーへ行くだけでけっこうな運動になる。
スーパーは広く、日本と変わりないが、パン屋さんがやはり目を引く。
スパゲティーとクノールの固形スープ、ネギ、フランクフルト、ワイン、チーズを買った。
めったにくれない紙袋をもらって、紙袋を抱えてメイン通りを通ってキャンプ場へと向かって歩いていくと、ちょっと悲しくなってしまう気分。
と言うのもメイン通りの両側には、しゃれたカフェが建ち並んでいて、必ず何人かが優雅そうにコーヒーを飲んでいたり、食事をしたりしているのが目について、紙袋がみすぼらしく見える。
昼食に駅前のコープでスパゲティーを買ってきて、葱とフランクフルトを入れてラーメンふうに作ったら旨かった。
旨かったので夜も同じものを作ろう。
ちょっと天気が崩れてきたようだ、昨日までは快晴の真っ青な空、しかし今日は薄雲が一面に広がっている。
昨夜はコーヒーを飲んだためか眠れず今日は不調の一日。
昼食後、テントの中にぐずぐずしているのも何だから、上グリンデルワルト氷河を見に出かけていったが、途中雪の斜面があり、今にも上から岩が落ちてきそうであったし、道もなくなっていたので雪の上を少し歩き引き返した。
Unterer Grindelwaldgletscher
今日はちょっと風が強い。
朝 パン、紅茶
昼 ラーメン(ソーセージ、ねぎ)紅茶
夜 ラーメン(ソーセージ、ねぎ)
キャンプ場のテントの数がものすごく増えた。
週末のためだと思うが、シーズンになったらシャモニーの街などは、人であふれてしまうのではないだろうか。
午後8時はまだ明るい。一人でここにいると時間の過ぎるのが遅い(夜が長い)
今欲しいものはサブザッグ、ズボン、その次にピッケルとアイゼン。
サブザッグとズボンだけで100$、そしてピッケルとアイゼンで100$、今200$使ったとしても生活できぬ事はない。
1980年6月15日 曇り時々雨 グリンデルワルト
Alpiglen1615mへ
Kleine Scheidggへ向けてテントを11:00に出発。
登山電車の線路に沿ってまあ早いペースで登っていくと5,6組の人を抜き、ノンストップでAlpiglenの小屋のちょっと先まで、此処までが約1時間30分、12時半着。
途中Brandeggのあたりは黄色の花が一面に咲き、足下にはグリンデルワルトの街、見上げればアイガー北壁、そして牛、何ともアルプス的な景色。
Alpiglenまで1時間30分
天気が悪く、寒かったためと根性無しのため、なんとなくこれ以上登る気にもなれなかったので、そこで昼食にスープとパン、トマトを食べ、アイガーの真下を通るルートで下山。
Grindelwald→Brandegg→Alpiglen→Gletscherschlucht→Grindelwald
さすがGパンを半ズボンにしたものでは登山にはむかない。
足は冷えるは、危ないはで、やはり登山は登山の服装が必要だ。
帰りのルートは道も余り良く整備されていず、山登りという感じのルートであるが、下グリンデルワルト氷河に近づく頃になって、雲行きが怪しくなってきたので、のんびりと歩いていたのを急ピッチの下山に切り替え。
梯子はあるは、急な階段や、氷河が解けた水の流れる川を通るのは雰囲気抜群の道。
なんだかんだと下っているうちに、薄日も射してきたので、のんびりと渓谷を見るため、遠回りして下山。
テントまでちょうどAlpiglenから3時間。
帰ってきたところ、外に出しておいたサンダルとバスタオルが、雨に濡れぬようテントの陰においてあった。
親切な人がいる、うれしい。
昨夜は雷と雨、またもや眠れず、今朝起きたのは10時半過ぎ。
やはりニッカボッカが欲しい、そしてできればアイゼンとピッケル。
朝 パン、紅茶
昼 パン、トマト1個、スープ
夜 ラーメン、パン、トマト2個、サラダ
一人での山のなかの夜は長い。夕食は18時頃食べ終わると、その後は何もすることなく、ただボケーと時間の過ぎるのを待つだけ。
一人旅の寂しさはこんな時に一番感じる。
旅行は二人がいい、好きな女の子と二人旅がいい。
風景を見て感動すれば、それを解り合えるし、一人旅は寂しい
。
1980年6月16日 グリンデルワルト 晴れ午後雲多い
昨夜は全く眠れなかった。
疲れてはいるのだが、紅茶の効き目が強いらしく朝までごろごろ。
そして今日出歩いたのは食料を買いに行ったのと、ニッカボッカを買いに行ったときだけ。
午前中は空に雲一つ無い真っ青な空だったが、午後から雲がでて又今日もアイガーの北壁は見られず。
ニッカボッカを買ったところ69Fr80約9500円で、たいした良いものではないがこれが一番安かったので購入。
店の女性がとても印象が良かったので気持ちいい買い物だった。
これで何処へでも登っていける。
でも日本で名の知れた山にはちょっと登れそうもない。
一つには資料不足、そして考えられるのは体力不足。
今日など街まで登って行くだけで精いっぱい、体が思うように動かない。
今は満腹、カレーを作ったら米を多く炊きすぎ、動くのも苦しい。
朝 抜き
昼 肉野菜炒め(肉、ピーマン、人参、きゃべつ)パン、牛乳、ミルクティー、リンゴ1個
夜 カレーライス(人参、キャベツ、肉)ビール1本
1980年6月17日 グリンデルワルト 曇り雨
Grosse Schsidegg 1961mへ
雨の中の散歩。今日こそは2000mの山へ登ってみようと、意気込んで出発したところ、途中からガスと雨、冷たい雨。
Grindelwaldに来て初めての2000mの地を歩き、気分は最高。しかし未だ山の頂上へは登ったことがない。
教会の時計でちょうど10時に教会の下を通り、舗装された道をくねくね登っていくと、同じ道をバスが悠々と登ってくる。
時計をもっていなかったので時間が全く解らないが、ノンストップでGrosse Schideggの小屋まで。
小屋の近くまで来ると、Tシャツ一枚の腕が冷えすぎて、しびれてしまっていた。
周りは一面が雪。コッヘル、コンロを持ってきたはいいが、ライターを忘れてしまい、結局使わずじまい。
昼食は30分ほどで卵とリンゴだけ。
ガスがだいぶでてきたが、帰りの道は地図で見ると大きな道路のようなので、気にもせずGrindel-Oberlager(1949m)へ向けて出発。
途中からは雪原とガスで、見えるところは全部白。
踏み跡だけを頼りに進んでいく姿は八甲田山の彷徨。
でもこんな事を考える余裕があるのだから気は楽だ。
しばらく行くと本格的な雨、昨日買ったばかりのニッカも濡れだしたので、合羽を上下着込み、歌を歌いながら視界15m程の行進。
近くに見えたはずの小屋もなかなか見えず、不安を覚えたがまあ気楽に下山。
またしてノンストップで教会に着いたのは、あたりが少し明るくなり、雨も小降りになった14:20。
片道(登りだけ)3時間20分のところを往復で4時間20分で歩けたので、まあまあのペース。
満足のいく一日。しかし体はびしょびしょ。
朝 パン、紅茶、ゆで卵2個
昼 ゆで卵2個、リンゴ1個
夜 肉野菜炒め (人参、ピーマン、キャベツ、ソーセージ)ご飯、ゆで卵2個、ビール2本
雨、雨に濡れたテント。雨の日も悪くない、特に今日など充実した一日の雨は気持ちがいい。
しかしこのテント生活、夜が嫌だ。
寝るとケツは痛いは、寒くて眠れないはで、テント生活をはじめてからどうも睡眠不足のような気がするが、けっこう今日などは歩けた。
それにしても夜と昼の気温の差が激しすぎる。
冷たい雨、しかし何とも言えぬ気持ちよい雨。
しかしテントが濡れて内側にまで雨が少し入ってきている。がテント生活は楽しい。
明日も雨だったらみんな濡れてしまってどうしようもない、明日は晴れてくれるように。
1980年6月18日 晴れ時々雨 グリンデルワルト
今日は又何処へも行かずテントの中でごろごろ、行ったといえば夕刻にお墓参り。
ロープとピッケルを形取り彫った墓石がいくつもあり山の街という印象の墓地。
縁起でもないがGrindelwaldのお墓を見て、こんなお墓の下に眠りたいと思った。
昨日の濡れたものを干し、登山靴の手入れをし、唯一の楽しみの食事づくりで一日は終わり。
昨夜こそはぐっすりと眠れるかと、オーバーを着込みマットも二つ折りにして寝たのに、どうも熟睡はできず寝起きがものすごく悪い。
何の音だか分からないが、ときどき雷か落石か?ものすごい大きな音がする。
それ以外はこのテント場は川の流れの音だけ。
日中は気にならない川の流れだが、眠る頃になるとどうも気になってしょうがない。今夜こそ良く寝るぞ!
朝 パン、紅茶、リンゴ2個
昼 パン、ラーメン(キャベツ、人参、ピーマン、ソーセージ)
1980年6月19日 曇り グリンデルワルト
Bachalpsee2263mへ
テントを9時10分出発。
First着11時20分なので2時間10分(標準タイム3時間30分)だいぶ早い所要時間だ。
First~Bachalpsee12時30分発、13時30分着、1時間で着いた(標準タイム1時間30分)
Bachalpsee~テント13時45分発、16時11分着、歩行時間2時間15分
今日の山行は苦登。
体力的な苦しみではなく、靴擦れ。特に右足がひどく、中指とかかと皮が剥け、痛くてたまらない。
これではしばらくの間、登山靴は履けない。
せっかく天気が良くなってきたようなのに残念。
しかし今の装備では2000m以上は登っていけない。
それ以上は、どうしてもロングスパッツが絶対に必要。
アイゼンとピッケルがあれば申し分なし。
オーバーズボンはカッパでどうにか代用できそう。
まあ満足の山行だったが、今日もまた頂上には登れなかった。
が歩行中に見えたファウルホルンは確実に登れる山だ。
今日はBachalpseeの手前で靴の中は雪でびしょびしょ、あそこが限界だった。
9時10分にテントを出発。
ゆっくりと2度目の道を登っていくと、頭の上をリフトに乗ったカップルが通り越していく。こっちは汗をかき、目に入った汗で痛く、苦痛歩きなのにうらやましい。
マイペースというのか、歩くにしたがって体調は良くなっていくが、逆に足は痛くなる一方。
テントを出発する時、皮の剥けていた左右の足の親指にサビオを貼っておいたのに、途中で靴下を脱いで足を見てみると、今にもかかとの皮が直径2センチほどに剥けそうになっていた。
フィルストの手前まで来ると、体は疲れなど全く覚えないのだが、足が痛く、普通に歩けない。
がまんしてフィルストまではと登っていくと、運良く雪の斜面。
雪上だと足を水平におくので、どうにか足の痛みはやわらぎ、せっせと爪先で登っていくと、前を歩いていたピッケルを持った若い地元民のような奴を軽く追い抜き、必死にフィルストへの最後の雪の急斜面を登った。
帰りに気がついたが、そいつめ、俺の踏み跡通り歩いてきている。
フィルストで10分ほど休み、ちょっとバッハぜーよりの、人のいないところで昼食。
アイガーはときどき雲の切れ目から顔を出すだけだが、見下ろすGrindelwaldの街の景色は実にすばらしい。
山はほとんどが雲の中。
昼食はラーメン、パンの予定だったがパンを食べ終わってしまったので、ラーメンだけ。
気温が低く、高度が高いためか、ガスコンロでは全く沸騰せず。
こういう時はやはり石油コンロに限る。
1時間ほどかけてのんびりとした昼食を終え、雪の斜面を少し登り気味に、古い足跡を頼りにトラバースして行くが、時たま股まで雪の中に潜ってしまい、靴の中は雪だらけになってしまった。
天気をちょっと不安に思いながら、もしガスがでたらと振り返り、振り返り、来た道を確かめ、雲行きを見ながらの行進。
なかなかバッハゼーは見えず。1時間ほど行くと予想通り足下に、ところどころ水色をした雪をかぶった湖のようなものが見え、小屋を見てバッハゼーと確認した。
バッハゼーはファウルホルンの真下にあるといった感じ。
ファウルホルンの手前の2700mの山も、地図にはルートが載っていないが登れそうだ。
四方は白一面、所々、雪が解けた跡の土が見える。
15分ほど休憩をして今来た道を引き返し。
ファルストに着くと靴の中はぐちゃぐちゃといっている。
下りでは雪がなくなり舗装された道にはいると、今度はかかとと爪先が痛んだがすぐ後ろを女の子が降りてくるので、痛そうな様子を見せず歯を食いしばり下山。
こりゃ長い時間の下山になると覚悟していたが、以外と早くスーパーの横の道へたどり着き、どうにか帰ってこれたと一安心。
しかし、かかとはすばらしいほどの痛々しさ!だが満足。
この時期は登山者もバッハゼーまでは行かないようだ。
充実した一日だったが、足が痛い。
足の皮が剥けてしまい、これでは当分の間登山靴は履けない。
かかとの所に直径2センチほどの大きな皮剥け、雪の上は平気だったが、登りと下りはきつかった。
靴下を絞ると水がでてくるほど濡れてしまい、シャワーを浴びたらひりひりと痛い。
目標通りバッハゼーまで行けたので良しとする。
やはりアイゼン、ロングスパッツは欲しい。
けっこう距離も時間も歩いてはいるが疲れてはいない。自分のペースというものが何となくつかめてきたような感じ。最初はゆっくりと歩き、汗が出て目に入りシャツが汗で濡れだした頃になると調子がでてくる。
1980年6月20日 小雨 グリンデルワルト
冷たい雨が降っている。
このところ3.4日続いて天気が悪く、雨が降ったり止んだりでアイガーの頭も雲の中。
しかし今日の雨は気分は悪いがちょうどいい雨。
どうせ晴れたって歩けないのだから雨の方がいい。
と言うのも昨日バッハゼーを見に雪の中を無理して、なじまない登山靴で長いこと歩いたために、かかとに大きな豆ができて剥けてしまい、歩くのも痛い。
この登山靴はインターラーケンの靴屋で買った物で、まだ長いこと履いたことがなかったところに、雪で足がふやけたところに長歩きでやられてしまった。
よく見ると直径2センチほどの大きさで、皮が剥け、赤い肉が見えている。
足に豆ができたのは生まれて始めてのような記憶だ。
高校の時、陸上部の長距離の先輩が、足の裏に5センチほどもある大きなマメができていて、さらにマメの中にもう一つマメがあったのを、何故マメなんかできるのだろうと不思議に思っていたが、実際にマメができてみると、あの先輩はよくあんなにも大きなマメで走れたものだと思い出される。
サンダルを履き、傘を差して街に出ると、ミニゴルフ場では雨など気にしない人達が遊んでいた。
教会の裏にある墓地の綺麗な墓石も雨に濡れていた。
ここの墓地は日本のお墓と違って暗い感じなど全くなく、美しく飾られている。
そしてガイドの死が多いのか、石に彫られたザイルやピッケルの墓石が目に付く。
寝るときの服装はパンツ、半袖下着、Gパン、靴下、カッターシャツ、トレーナー、ヤッケを着込みそのうえから寝袋に入り、足下はオーバーで囲む。
しかし朝になると寒い。
何という寒さだ、これじゃあこの寝袋では冬山に入れない。
しかしここグリンデルワルトは晴れた日中には26度ほどまであがるのに夜は10度以下。気温の差が激し過ぎる。
1980年6月21日 曇り グリンデルワルト
ロングスパッツ、アイゼン、ピッケルが欲しいがアイゼンとピッケルは買えない。
買うと日本へ帰るのを早めて8月20日にしないと資金不足になってしまう。
今日も天気はぱっとしない。
足も痛くハイキングもできないので町中をぶらぶら歩き回っていたら、夕刻ベントの工場の前で、チューリッヒで会った東さんに出会った。
東さんは自転車でヨーロッパを周っていると言う小口さんと一緒だった。
せっかく再会できたので、一人でレストランでは食べづらかったスイス名物のフォンデュを食べに行くことにした。
オイルフォンデュはテーブルの上に置いたコンロに、銅製の鍋の中にオイルをいれてある。
日本の天ぷらと同じ様な物で、角切りにした牛肉やパンを長い串に刺して、油の壷の中へいれて好みに応じて揚げ、それをいろいろあるマヨネーズにつけて、熱々の揚げたてを食べるのである。
寒いときには実においしく、日本の鍋料理兼天ぷらだ。
フォンデュの内容はものすごく良く、ソースが5種類ほど、そしてパイナップル、オリーブ、他につまみのような物が10種類以上あってフライドポテトとパンは食べ放題。
さらにウェーターおすすめの赤ワインを飲むと気分は最高。
値段はワインとフォンデュで一人36Frs約4900円。ちょっと高いが雰囲気がいい気持ち。
フライドポテト、パンを何度もお替りし、ワインも3杯ほど飲んだ。
その後以前一人で行ったことのある、近くのイタリア人がやっているEspreso Barへ行きビール3杯。
スイスではとにかくウィスキーはべらぼうに高く、水割り1杯が10Frs約1360円もとられる。
だからこの店でも飲んでいる人々はほとんどがビールで、俺達もカウンターに座りビールを注文した。
テントに帰ってきたのは22時頃、完全に酔ってしまいテントまでの下り坂は千鳥足。
本当に少ない量なのにメチャメチャに酔った。気分が悪い。
つれづれなるままに
全く何もすることなしに暇を持て余していると、なんとなく書くことだけになってしまう。
このところグリンデルワルトの街は天気が悪く、今日もまた曇り、空一面を厚い雲が覆っていてアイガーも何も見えない。
歩けない天気ではないが足の皮剥けはどうもあと2.3日は靴を履けそうもない。昨日、今朝とサンダルで町中を歩っている。
グリンデルワルトの街には日本人の団体さんが毎日やってくるようだが、こんな天気でアイガーも見ずに帰っていくのかと思うと、ちょっとはかわいそうだ。
しかし中にはたいした日本人もいて、雲の中を80Frs約10900円も出してユングフラウまで、登山電車で登っていく人もいる。
グリンデルワルトの家々は大きなホテルなどを除いて、普通の民家などは皆、焦げ茶色の木の家、そして窓枠は白、そして白いカーテン。
雨戸は緑色や赤、そして窓の下には赤やピンクの花々が綺麗に飾ってあり、綺麗だ。
屋根が雪下ろしのためか急角度で、屋根裏まで部屋があり、大部分の建物は日本の二階建てほどの高さだが、3階や4階はある。
スペインの白壁の家に赤い花、そして此処の茶色の板壁の家に赤い花、どちらも良く似合う。
どうも書き表すことができないが実にいい。
ミコノス島の真っ白な家も、海の青に反射して美しかったが、このグリンデルワルトの家も山にあってて、とても落ちつきがあり、実に何とも言えなくいい。
日本のように、また世界中の都会のようにコンクリートの高層建築でもなし、家々の屋根の色も同じで、街全体がしっくりといっている。
1980年6月22日 グリンデルワルト 曇り時々晴れ間
7時過ぎに起床。気分が悪い。二日酔いじゃないけどがたがた。
今日は体調が悪い、病気で悪いのではなく昨夜の酔いのためか。
山に入ったものだからつつましくしなくては。
それにしても昨夜の出費は大きい。ロングスパッツが買えた金額。
しかしまあ、たまにはいいではないか。
貧乏旅行だけど毎日はいやだから。時には大名旅行。
グリンデルワルトに入り初めてのレストランでの食事でもあったし。
天気も何となく良くなってきたようだ、明日は歩こう。
夕方、散歩の帰りに昨夕会った日本の女の子2人に途中で会った。
彼女たちは今朝ユングフラウヨッホまで行って来たとのこと。
足下は雲海、空は真っ青、そしてアイガー、申し分無いようなことを言っていた。
小学生の頃、マッターホルンの写真の載った教科書を見て以来のあこがれの地スイス。
久々に夕日がテントに当たり、中は薄赤く明るい。
が、アイガーを初めとする山々は上が皆雲の中に隠れてしまっている。
今日読んだ本から当たり前のようなことを。
幸福というものは決して他から与えられるものではない。
自己の生命の内に築いていくものである。
人生には嵐の日もあり、雪の日もあろう、だが、自己の胸中の大空には常に希望の太陽が輝き、青空が美しく広がっていればよいのである。
絶望といい、不幸といい、それをそうと決めるのは所詮その人の心の仕業である。
現実から逃避した一時の幸福感、これに対し、自己の生活全体の充実。
浅はかな蜃気楼のような幻影の幸福であってはならない、どんな苦難をも克服し、人生を力ずよく悠然と生きることだ、それが本当の幸福といえると思う。
それは生活の中に、現実の社会の中に、自己を輝かして自在に乱舞してゆくこと。あたかも波乗りを楽しむように、苦難さえ喜びに変え、希望に変え、人生それ自体を光輝かせていくことだ。
この旅行で気がついたこと。何事も自分から求めていかなければならない。
偶然にむこうからやってくることもあるが、それは希で、すべては自分次第で動き、それが良くも悪くも心に感じることになる。
1980年6月23日 雨 グリンデルワルト
朝起きると雨。
一昨日お土産屋の前で会った日本女性2人と東さん達とクライネシャイディックへ、晴れたら行こうと計画していたが、約束の時間の8時に駅前の公園に集合したときには一段とひどく降り出した。
せっかく集まったのだからライネシャイディックは中止にして何かをやろうと、カレーパーティーになった。
俺のテントの中で日本人6人ドイツ人1人の計7人でのカレーパーティー。
7人がコンロを囲んでのギュウズメのカレーは苦しく楽しい。
その後東さん達と3人でバーへ行き、どういうわけかイギリス人に、ビールを5杯(1杯1Frs50約200円)ほどご馳走になった。ファームキャンプでの出来事を話したのが受けたのか?
グリンデルワルトで出会った人々。
小口さん 自転車でヨーロッパ 髭の人
岡部さん 背の高い女性
東さん 年輩の人
石井さん
中根さん
Martin Pesch German
1980年6月24日 グリンデルワルト 曇り
Kleine Scheidegg 2,061Mへ
昨日雨でクライネシャイディックへ行けなかったので、今日に変更した。
クライネシャイディックでのアイガー見学は、昨日の日本人6人とドイツ人のマーチン一家とで、電車組と歩き組に別れて出発した。
歩き組のメンバーは4人。
歩き組に入りグリンデルワルトの公園の前を10時に手ぶらで出発。荷物は電車組が持っていってくれるので、気持ちの良いハイキング。
のんびりと一度歩いたことのある道をAlpigrenまで行く。
アルプス独特の綺麗な花で飾られた窓の家々を見ながら、細い牧草の中に続く道を行くとカウベルをつけた牛や羊が道をふさいでいる。穏やかな風景だ。
Grindelwald→Alpigren→Kleine Scheidegg
すれ違う人々は口々に「グーテンモーゲン」と言ったり、なんだかんだと言う。
その都度にマーチンになんと言ったのか聞くと、マーチンが日本語では何というのかと反問してくる。
適当に「○○」だと教えると、知らないとは恐ろしいもので、マーチンは教えたとおりに言ってしまう。
行き交う人々は口々に「グーテンモーゲン」と言う。しかしそれ以上に「ボンジュールムッシュー」や「ボンジョルノ」と聞こえる。
今まではなるべくその国の言葉を使おうとしていたが、この日いらい挨拶は堂々と日本語で、行き交う人毎に「おはよう」「こんにちわ」と言うようにした。
グリンデルワルトにやってくる日本人は、ほとんどが団体旅行の人達で景色をみるだけで、ハイキングや山登りにやって来る人はごくわずか。
それに比べ近国からやってくる人々は本当にここの自然を愛し、足で確かめようとやってくる。
アルプスは見るだけでもすばらしいが、さらなる美しさを汗をかいて感じて欲しい。
何だかんだ話したり、美しい風景を見たりしている間に、アルピグレンに着いたのは11時半。
アイガー北壁も、ときどき雲の中に見えたり隠れたり。
小屋のCafeで紅茶を注文し、30分ほどの休憩。
12時になり、またのんびりと登り始めると、途中で電車組に追い抜かれてしまい、電車の窓から手を振りながら「おさきにー」と行ってしまった。
13時頃、クライネシャイディックに着いた。
荷物も持っていず、靴も普通ので充分歩ける道だったので、疲れもせず、すぐにワインとラーメンで昼食。
電車組が食料を持っていき、野外でのラーメンパーティー。ワインとラーメン。
アイガーを見ながらの味は格別のものがあり、パリのルマタンも目じゃない。
ラーメンは中華料理か日本料理か、カレーライスはインド料理か日本料理か。
なにはともあれマーチン一家も喜んでくれ、盛大な日本食パーティーだ。
しかし、燃料が足りなく半煮えラーメン。
下山する予定でいたが、どういうわけか山小屋に泊まることになってしまい、6人で小屋泊まり。
宿代10Frs約1360円の支出。と痛かったが楽しい一日。
アイガー北壁もメンヒもユングフラウも目の前にある。
夜は足下にグリンデルワルトの町明かりが美しく輝いている。
*クライネシャイディックの山小屋 駅から5分 Grindelwald Blick
1980年6月25日 クライネシャイディック 雪から雨
朝起きると、昨日の盛大なパーティーが終わった頃から降りだした雪が止まず窓の外は雪。
止む気配もなく、窓から外を見ていると岩も木もどんどん白くなっていく。
女子2人と男子1人はグリンデルワルトとは反対側のラウターブルンネンの町へ旅立ち。
残りはGrindelwaldへ。雪の中の別れ。
クライネシャイディックを11時頃出発し、公園の前に着いたのは13時。
みんなでぶらぶらと歩くと、雪の中の下山であってもなんとなく山に来たという気分はなく、ただ散歩の延長といった感じ。
昼食をコープで食べ、夕食はマーチンも来て4人でシチュー。
1980年6月26日 曇り雨 グリンデルワルト
ユースへ無銭泊り。
一人でテントの中。久々の一人と言った感じ。
みんなでいるのは楽しいけど、自分の生活ペースが崩れてしまい大幅に使いすぎ、そしてテント場の人たちにも印象を悪くしているようだ。
生活が乱れてしまってどうも今は山へ入っていけない。でも足もマメで痛かったのでちょうど良かった。
明後日からは4山を登ってからツッエルマットへ行きたい。
夕方17時ごろユースへ行き、またみんなで自炊。
あまり気乗りしないが天気も悪いし、足もまだ完全に靴を履ける状態じゃないので、半分甘えで行って来る。
このところ毎日ワイン。
1980年6月27日 グリンデルワルト 雨
今日で連続13日目の雨。
夕食にコーポへ行き5Frs50約750円の定食を食べ、コーヒ-とケーキで2Frs90約400円。
その後Espresso Barへ行きビール3杯、そしてシーバスの水割りが10Frs約1350円。
そしてまたスパゲティ9Frs約1200円とワイン10Frs約1350円を飲み猛烈に使いすぎ。しかし気分のいい一日。
だが金を使えば楽しくならないなんて悲しい。
金を使わなくても楽しめなければ。
1980年6月28日 グリンデルワルト 曇り-雨 日本を出て300日目
朝といっても昼食前、久々の太陽の光で少し暖かい。
今日から一人での生活を再開。
この一週間、天気のためもあったが団体行動をしていたので自分の生活がメチャ崩れ、お金も使いすぎている。
日本人にはしばらく会いたくないと思うものの、やはりみんなでいると楽しく心ずよい。
グリンデルワルトでの山行は何となくあきらめ気分。山をあきらめグリンデルワルトの街を出よう。
しかしどうしてこうも毎日グリンデルワルトの街は天気が悪いのか。
明日晴れたらどうしよう、山へ行こうか行くまいか。
毎夜の酒の飲み過ぎで不調だ。
1980年6月29日 グリンデルワルト 雨-曇り
今日もまた雨、いったいこの天気はどうしてしまったのだ。
毎日毎日テントの中でごろごろしているだけ、どうせごろごろするのなら緑の芝生の上で太陽に照らされてごろごろしたい。
ヨーロッパを廻っているとき雨が少なく本当に良かったが、スイスに入ってからは全く晴天の日は数えるほど。
10日間が雨、5日間が曇り、3日間が晴れ、連続15日間ぱっとしない天気。
明日は雨が少しでも止んで、テントが乾いたらツェルマットへ行く。
もし朝から雨だったらどうしようか、天気待ちか。
それにしても連続毎日雨、気分も滅入ってきた。
昨日、今日と夕刻マーチンがテントへ来たので、マーチンと別れの杯ではないが、テントの中でワインを二人で飲み合った。
あいつは17歳、いい奴だ、忘れず手紙を書かなくては。
眠れぬ夜。
今時間は夜の11時半、雨も止み、星空が見へ、新雪の山が白く、青白く輝いている。明日は晴れそうだ。
眠れないのに、コーヒーを飲んでいる。
明日はグリンデルワルトの街を出ようと思っていたのに、星空を見ると、もう少しいたいような気分、新雪の上を歩きたい。
一日中雨の中テントに閉じこもり、何も動こうとせずいたので、疲れもせず眠くならない。
明日は晴天の中を惜しみながら下山するか、それとも又、天気の悪くなるまで待つか、まだこのグリンデルワルトの山には行きたい山が沢山ある。
ツェルマットへ行って、雨だったらグリンデルワルトの街を恋しく思うし、いったいどうしよう。
グリンデルワルトの街と山は好きだが、2週間も連続して雨に降られたし。
グリンデルワルトの街にはいたいが、いたくないような、明日の朝に決めよう。
1980年6月30日 グリンデルワルト-ツェルマット 晴れ
寒い、しんしんと冷えてくる。今は午後8時45分。
ツェルマットのキャンプ場に到着。
グリンデルワルトを出るときは久々の晴れ、新雪に山が輝く中をこの地へ。
しかしこのキャンプ場、キャンプ場にしては場所も悪く設備も悪い。しかし3Frsと安い。
食器等の洗うところもなくお湯も出ない。しかしキャンプカーがないというのが何よりいい。
しかし最悪の条件の悪さ。
ツェルマットの街にはちょっとがっかりの大観光地。グリンデルワルトより田舎を予想していたのにこれではちょっとがっかり。
しかし憧れのマッターホルンもその姿を見せているし、まあ文句は言えないだろう。とにかく1週間
いてみよう。
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